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第五十五話「商人の提案と、物流の革命」

 バベル・ガーデン、総務室・特別応接スペース。


 この日、ここにはいつもとは違う熱気が渦巻いていた。


 バンッ!


 小柄な赤髪の行商人リッカが、テーブルの上に一枚の広域地図を叩きつけた。


「賢者様、ルミナ部長。単刀直入に申し上げます」


 彼女の瞳は、黄金貨ゴールドよりも鋭く輝いている。


「このバベル・ガーデンを、大陸最大の『物流ハブ』にしませんか?」


 対面に座る賢者メルキオラスが、その瞳をパチクリとさせた。


「物流ハブ?僕たちはただの大家と店子たなこの集まりだよ?」


「いいえ。今はもう、違います」


 リッカは地図上のバベル・ガーデンを指差し、そこから赤い線を四方八方へと伸ばした。


「開放されたダンジョンエリア。あそこからは、希少な魔石や素材が産出されます。そして、ヴォルグ料理長が開発した『エナジーバー』や、ガルシス様の『温泉蒸し』…ここには外の世界が喉から手が出るほど欲しがる『特産品』がある」


 彼女は一息つき、ニヤリと笑った。


「冒険者は素材を売りたい。商人は商品を仕入れたい。…なら、ここをその『交換所マーケット』にしてしまえばいいんです。わざわざ街まで戻らなくても、ここで全て完結する仕組みを作るんです」


 隣で聞いていた総務部長ルミナが、素早く計算機(魔導ソロバン)を弾いた。


「…なるほど。場所代、テナント料、取引手数料。さらに冒険者の滞在時間が伸びれば、飲食や宿泊の需要も発生する…」


 パチン、とルミナが計算機を置く。


 眼鏡の奥の瞳が、リッカと同じ「商売人」の色に染まっていた。


「利益率は…現在の三〇〇%増。…乗りますわ、その話」


「話が早くて助かります!」


 リッカとルミナがガッチリと握手を交わす。


 メルキオラスは「やれやれ」と肩をすくめた。


「女性陣が元気だと、僕の仕事が減って助かるなぁ。…許可するよ。ただし、変なのが入り込まないように、審査は厳重にね」


「お任せください!私の『商人ネットワーク』を総動員して、骨のある連中を連れてきますから!」



◆◇◆◇◆



 数十日後。バベル・ガーデン地上周辺エリア。


 かつては殺風景な広場だった場所が、劇的な変貌を遂げていた。


 カンッ、カンッ、カンッ!


 トンテンカン!


「ルド!そっちのほろ、結び方が甘いわよ!風で飛んだら商品が台無しでしょ!」


「ひぃぃッ!すいません師匠ぉぉ!でも、あのミノタウロスさんが睨んでくるんですぅぅ!」


 リッカの指示の下、弟子のルドが涙目でテントを設営している。


 その周囲には、リッカが呼び寄せた外部の商人たちが、荷車から次々と商品を運び出していた。


「へえ、ここが噂の…。魔物が出るって聞いたが、警備がしっかりしてるな」


「場所代も安いし、これなら商売になりそうだ」


 彼らは最初は怯えていたが、フィオーレ率いる受付嬢たちの完璧な対応と、ギズモ率いるゴブリン警備隊の規律正しさを見て、すぐに目の色を変えた。


 ここは、安全で、金が動く場所だ、と。


 そして――さらに数日後。


 『バベル・ガーデン交易市』の開場が宣言された。


「いらっしゃいませー!東方の珍しい香辛料だよ!」


「ダンジョンで拾った魔石、高価買取中!その場で現金払い!」


「武器の修理なら任せな!ドワーフ直伝の研ぎを見せてやる!」


 ワッ…!


 と、広場が喧騒に包まれる。


 ダンジョン探索を終えた冒険者たちが、吸い寄せられるように露店へと集まってくる。


「おおっ、すげぇ!ポーションの補充、ここで出来るのか!」


「この剣、刃こぼれしちまってたんだ。助かる!」


「おい見ろよ、あっちで『エナジーバー』の作りたて売ってるぞ!」


 活気。熱気。そして金の回る音。


 それは、閉ざされた塔が「街」へと進化する産声だった。



◆◇◆◇◆



 その喧騒を、少し離れた回廊の影から見つめる影があった。


「…ふーん」


 エプロンドレスの少女――大家、真音である。


 彼女は口にスライム・ドロップを放り込み、大事そうに噛みながら、眼下の賑わいを見下ろしていた。


「随分と騒がしくなったわね」


「お気に召しませんか?大家様」


 隣に控えていたリッカが、緊張した面持ちで尋ねる。


 もし「うるさい」の一言が出れば、この市場は一瞬で消滅する。


 真音は無言で広場へ歩き出した。


 人混みの中へ、ふらりと入っていく。


「あ、ちょっと!お嬢ちゃん、迷子かい?」


 恰幅の良い肉屋の店主が、真音に声をかけた。


 彼はここが初めての商人であり、この少女が何者かを知らない。


「おじさんのとこの串焼き、美味いよ!一本どうだい?」


 差し出されたのは、タレの焦げる匂いが香ばしい「ビッグボアの串焼き」だ。


 リッカとルドが「ひぃッ!」と息を呑む。


 不敬だ。


 大家様を「お嬢ちゃん」呼ばわりなど、即座にデコピンで空の彼方へ飛ばされても文句は言えない。


 だが。


 クン、クン。


 真音の頭の上の熊耳が、ピクリと反応した。


「…いい匂い」


「だろ?一本銅貨三枚だけど、可愛いから二枚でいいよ!」


「ん。もらう」


 真音は小銭を渡し(ルミナに持たされているお小遣いだ)、串焼きにかぶりついた。


 ハムッ。


「…!」


 肉汁が溢れる。


 ヴォルグの洗練された料理とは違う、野趣あふれる暴力的な旨味。


「…美味しい」


「ガハハ!だろ!もっと食って大きくなれよ!」


 店主が豪快に笑い、真音の頭をワシワシと撫でた。


 周囲の空気が凍りつく。


 リッカは卒倒しかけた。


 しかし、真音は――。


「ふふっ」


 怒るどころか、少し照れくさそうに笑ったのだ。


 熊耳が嬉しそうにパタパタと揺れる。


「ねえ、リッカ」


「は、はいッ!」


「ここ…なんか、楽しい」


 真音は串焼きを片手に、キラキラした目で市場を見渡した。


 色とりどりの商品。


 飛び交う大声。


 笑い声。


 それは、かつて孤独に引きこもっていた彼女が知らなかった「世界」の熱だ。


「ヴォルグのご飯もいいけど、こういうごちゃごちゃしたのも悪くないね」


「…!ありがとうございます!」


 リッカは胸を撫で下ろし、そして誇らしげに微笑んだ。



◆◇◆◇◆



 市場の賑わいは、夜になっても衰えなかった。


 むしろ、仕事を終えたバベル・ガーデンの兵士(従業員)たちも加わり、一種の宴会場と化していた。


「おい人間!そっちの酒、俺にも飲ませろ!」


「おうよ!代わりにそのつまみ寄越せ!」


 元魔王軍のオークと、冒険者の人間が肩を組んで笑っている。


 物のやり取りは、心の壁をも取り払う。


 「交易」という共通言語の前では、種族の違いなど些細なことなのだ。


 市場の片隅で、リッカとルドは木箱に腰掛け、夜空を見上げていた。


「…すごいですね、師匠」


 ルドが、焼きトウモロコシをかじりながら呟く。


「最初はただの廃墟だと思ってたのに…。まさか、こんな『街』ができるなんて」


「ええ。でも、これはまだ始まりよ」


 リッカは、星空の下にそびえ立つ世界樹を見上げた。


 その梢の遥か上、あの我儘で愛すべき大家がいる場所を。


「ここはもっと大きくなる。世界中の物が集まり、世界中の人が交わる…本当の『バベル(塔)』になるわ」


「へへっ。その時は、僕らが一番の豪商ですね!」


「当然でしょ。しっかり働きなさいよ、相棒」


 リッカはルドの背中をバシッと叩いた。


 痛いと騒ぐ弟子の声も、今は心地よいBGMだ。


 こうして、バベル・ガーデンは「自立」への大きな一歩を踏み出した。


 勇者の剣でも、魔王の魔法でもなく、「商い」という力によって。


 後に、この交易市は『世界樹の麓市ふもといち』と呼ばれ、大陸全土から珍品と美食を求めて人々が集う、伝説のマーケットへと成長していくことになるのだが――それはまだ、少し先の話である。

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