第五十三話「警備班の葛藤と、守るべきもの」
バベル・ガーデン第一層、警備室。
世界樹にほど近い中央区画の無機質な部屋で、元魔王軍第三師団副官、ゴブリンのギズモは、モニター越しに映る映像を睨みつけていた。
「異常なし。…D―4エリア、冒険者パーティ通過。戦闘行為なし。…なんだ、あれは」
彼の目に映っているのは、殺伐としたダンジョン攻略…ではなく、和やかに記念撮影をしている冒険者たちの姿だった。
「おーい、こっちこっち!世界樹の根っこの前で一枚撮ろうぜ!」
「きゃはは!すごーい、大きい!」
ピースサインをする人間たち。
ギズモは眉間のしわを深くし、爪で机をカリカリと引っ掻いた。
「…解せぬ。解せぬであります」
彼は誇り高きゴブリン戦士だ。
かつては人間を恐怖のどん底に陥れるため、闇に潜み、毒を塗り、罠を仕掛けた。
だが、今の任務は『警備』。
あの脳天気な冒険者たちがルールを守るか監視し、大家・真音の「平穏」を守ることだ。
「奴らは人間であります。いつ裏切り、牙を剥くかわからない。…油断大敵、油断大敵であります」
彼は自分に言い聞かせるように呟き、警棒を握り直した。
だが、現実は彼の警戒心を裏切り続ける。
「お、そこの警備員さん!お疲れ様です!」
巡回中、すれ違った冒険者が笑顔で手を振ってくる。
「…異常なしであります」
「この魔石、珍しいやつですよね?買い取ってもらえますかね?」
「受付のフィオーレに聞くであります。…立ち話は通行の邪魔であります」
「へへっ、ありがと!」
敵意がない。
それどころか、敬意すら感じる。
ギズモのゴブリンとしての本能が、「敵」と認識すべき相手をどう処理していいか迷っていた。
(我は…何と戦えばいいのでありますか?)
バベル・ガーデンで人間とともに生活して、以前ほどの嫌悪感はなくなった。
かつての上司であるヴォルグほどには馴染んでいないが、それでも友好的にふるまえるほどには馴染んできた自覚はある。だが、それは、毎日、顔をつきあわせてきたからだ。
冒険者。多数の人間。知らない人間たち。
ギズモは、割り切れない想いをかかえつつ、「警備」という新しい職務を遂行していた。
◆◇◆◇◆
その日の午後。
警備室の警報魔導具が、けたたましい音を立てた。
『緊急警報!E―2エリアにて、救難信号を確認!』
フィオーレからの通信だ。
「状況は!?」
『初心者のソロ冒険者が、ルートを外れて未整備区画へ侵入しました!魔物反応多数!このままだと…!』
「了解!直ちに急行するであります!」
ギズモは椅子を蹴倒して飛び出した。
E―2エリア。
そこはまだ、間引きが済んでいない、狂暴な原生生物の巣窟だ。
「馬鹿者が!ルールを守れと言ったのに!」
ギズモは回廊を疾走する。
小さな体躯を活かし、壁を蹴り、根の上を飛び越える。
魔王軍時代に培った機動力は、今も錆びついていない。
現場に到着した時、そこは絶体絶命の状況だった。
「ひぃッ、くるな!あっちいけぇぇぇ!」
まだ十代半ばと思われる少年剣士が、尻餅をついて後ずさっていた。
その目の前には、巨大な牙を持つ大蜘蛛『スカル・スパイダー』が、涎を垂らして迫っている。
「…食われる!」
ギズモの脳裏に、かつての戦場がフラッシュバックする。
人間を襲い、食らう。それは魔族として当然の営みだった。
だが。
(違う!今の我は魔王軍ではない!バベル・ガーデンの警備隊長であります!)
彼は腰のホルスターから、警棒ではなく「閃光玉」を抜き取った。
「そこまででありますッ!!」
カッ!!
強烈な閃光が炸裂し、蜘蛛の視界を奪う。
キシャアアアアアッ!!
怯んだ隙に、ギズモは少年の前に飛び込み、警棒を展開した。
魔力で強化されたミスリル製の特殊警棒だ。
「立てるか、人間!」
「えっ…ご、ゴブリン!?」
「警備隊長ギズモであります!貴様の不始末、我が尻拭いをする!下がっているであります!」
ギズモは蜘蛛に向かって身構えた。
体格差は十倍以上。だが、一歩も引かない。
「大家様の庭で、勝手な捕食は許さん!」
蜘蛛が飛びかかる。
ギズモは紙一重で毒牙を躱し、懐に潜り込む。
「せいッ!」
警棒の一撃が、蜘蛛の顎を正確に打ち砕いた。
さらに追撃。関節を狙い、動きを封じる。
殺しはしない。
「無力化」し、再利用するのが警備の流儀だ。
ギズモの旋風脚が炸裂し、巨体はボールのように転がっていった。
蜘蛛は戦意を喪失し、そそくさと闇の奥へ逃げ去っていく。
「ふぅ…」
ギズモは警棒を収め、振り返った。
少年は、腰を抜かしたまま呆然としていた。
「怪我はないでありますか」
「あ…はい…」
「ならよし。…規定違反であります。罰金と、一ヶ月の入塔禁止処分であります」
ギズモが事務的に告げると、少年はハッとして、そしてボロボロと涙を流した。
「ありがとう…ございます!」
「え?」
「助けてくれて…本当に、ありがとうございます!」
少年は地面に額を擦り付けんばかりに頭を下げた。
ギズモは硬直した。
人間から、感謝された。
恐怖の悲鳴ではなく、純粋な感謝の言葉。
(これが…「守る」ということ?)
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
敵を殺し、奪う時の高揚感とは違う。
もっと静かで、誇らしい充足感。
「…ふん。仕事でありますから」
ギズモは顔を背け、ぶっきらぼうに言った。
だが、その口元は僅かに緩んでいた。
◆◇◆◇◆
警備室への帰り道。
ギズモは、いつもより胸を張って歩いていた。
すれ違う冒険者たちが、彼を見て敬礼の真似事をする。
かつては警戒していたその仕草が、今は仲間への挨拶のように見えた。
「警備隊長!お疲れ様です!」
「おう!異常なしであります!」
ギズモは短く答えた。
彼の仕事は変わらない。
不審者を監視し、ルールを守らせ、大家の安眠を守る。
だが、その意味は変わった。
ここは戦場ではない。
様々な種族が行き交い、笑い、明日を夢見る場所。
それを守ることこそが、自分の新しい「戦い」なのだと。
「…悪くない職場、でありますな」
小さな警備隊長は、帽子を目深にかぶり直し、再びモニターの監視に戻った。
その目は、以前よりも鋭く、そして優しく光っていた。




