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第五十二話「冒険者ギルドの噂と、最初の客」

 商業都市クロスロードの酒場『踊る雄鶏亭』。


 紫煙とエールの香りが充満する喧騒の中で、赤髪の少女リッカは、わざとらしく声を潜めて冒険者たちに囁いていた。


「ねえ、知ってます?西の『世界樹の塔』の話」


「ああん?あの聖騎士団がパンツ一丁で逃げ帰ったって噂の廃墟か?」


「ええ。実はあそこ、古代文明の『未開封ダンジョン』だったらしいですよ。…聞いた話じゃ、入り口付近の宝箱から、とんでもない純度の魔石が出たとか」


 冒険者たちの目の色が変わる。


 未踏のダンジョン。


 手付かずの宝。


 それは、命知らずの彼らにとって何よりも甘美な響きだった。


「信じるか信じないかは貴方たち次第ですけど…早い者勝ち、ですよねぇ?」


 リッカはニヤリと笑い、リュックを担いで店を出て行った。


 その背後で、数組のパーティが顔を見合わせ、こっそりと席を立ったのを、彼女は見逃さなかった。



◆◇◆◇◆



 数日後。


 バベル・ガーデン第一層、西側エントランス。


 鬱蒼とした森を抜けた先に現れたその巨塔を見上げ、若い剣士のグレンは口を開けた。


「で、でけぇ…。これが世界樹の塔か」


 黒髪を風になびかせ、背中の剣を担ぎ直す。その瞳には、隠しきれない冒険心が燃えていた。


 隣で、小柄な弓使いの少女ミアが、呆れたように肩をすくめる。


「ちょっとグレン、口が開いてるわよ。…本当にここなの?噂じゃ、入った瞬間に行方不明になるとか、パンツ一丁にされるとか、ろくな話を聞かないんだけど」


「大丈夫ですよ、ミアさん」


 杖を持ったおっとりとした魔法使い、オルガが優しく微笑んだ。


「リッカさんの情報は正確です。それに、見てください。あんなに立派な入り口があります」


 オルガが指差した先。


 巨大な樹の根と石壁が融合した開口部に、不自然なほど立派なマホガニー製のカウンターが設置されていた。


 そして、そこには一人の女性が佇んでいる。


「…受付嬢?」


 グレンたちは顔を見合わせた。


 廃墟と聞いていたのに、そこだけ高級ホテルのフロントのような空気が流れている。


 三人は恐る恐る近づいた。


「いらっしゃいませ。ようこそ、バベル・ガーデンへ」


 カウンターの中にいたのは、金髪をシニヨンにまとめ、洗練された制服を着こなした美女――フィオーレだった。


 その所作は優雅で、笑顔は完璧。


 だが、眼光の奥には歴戦の戦士だけが持つ鋭さが潜んでいる。


「あ、あの…俺たち、冒険者なんですが」


「はい、存じております。ダンジョン探索のご希望ですね?」


 フィオーレは流れるような動作で、一枚の羊皮紙と羽ペンを差し出した。


「初回のご利用には、こちらの『入塔同意書』へのサインをお願いしております。…なお、塔内での器物破損、指定区域外への侵入、およびゴミのポイ捨ては重罪となりますのでご注意を」


「じ、重罪…?」


「ええ。場合によっては…『掃除』させていただきますわ」


 フィオーレがにっこりと微笑む。


 その笑顔の裏に、「物理的な排除」という意味が含まれていることを、グレンの本能が敏感に察知した。


「わ、わかった!ルールは守る!俺たちはただ、腕試しがしたいだけだ!」


「結構です。では、通行証を発行いたします。…ご武運を」


 通行証を受け取り、ゲートをくぐる三人。


 その背中を見送りながら、フィオーレは小さくガッツポーズをした。


(よし…!噛まずに言えましたわ!お客様、ゲットです!)



◆◇◆◇◆



 バベル・ガーデン第一層内部。


 そこは、石造りの回廊と、世界樹の根が複雑に絡み合う立体迷宮だった。


「すげぇな…。壁が光ってるぞ」


 グレンが壁に触れる。微弱なマナが脈打ち、松明なしでも周囲が見渡せる。


 だが、感心している余裕はなかった。


 ガサガサッ!!


 頭上の枝葉が揺れ、影が降ってくる。


 天井に張り付いていた巨大な蔦植物――『スネーク・アイビー』だ。


「敵襲ッ!上だ!」


「ちっ、いきなり!?私の弓で射抜いてやるわ!」


 ミアが素早く矢をつがえ、放つ。


 ヒュンッ!


 矢は正確にアイビーの茎を捉えたが、硬い表皮に弾かれた。


「嘘っ!?鉄より硬いじゃない!」


「世界樹のマナを吸ってる魔物は頑丈なんだ!オルガ、援護頼む!」


「はい!炎の精霊よ、我に力を…ファイア・ボール!」


 オルガの杖から火球が放たれ、植物の動きを止める。


 その隙を見逃さず、グレンが踏み込んだ。


「はあぁぁッ!」


 剣閃一閃。


 渾身の力で茎を断ち切る。


 ドサリ、とアイビーが崩れ落ち、光の粒子となって消滅した。


 後には、緑色に輝く小さな石が残された。


「はぁ、はぁ…。やったか」


「なによこれ、第一層の雑魚敵よね?強すぎない?」


 ミアが肩で息をしながら、ドロップアイテムを拾い上げる。


「でも見て。これ、かなり純度の高い魔石よ。…苦労に見合う価値はあるわね」


「ああ。燃えてきたぜ…!ここは本物だ!」


 グレンは剣を掲げ、ニカっと笑った。


 彼らは慎重に、しかし大胆に奥へと進んでいく。


 行き止まり、罠、そして新たな魔物。


 全てが新鮮で、スリリングだった。


 そして、探索開始から三時間後。


 崩れた壁の奥まった場所に、彼らは「それ」を見つけた。


「おい、あれ!」


「宝箱…!」


 古びた木の箱が、ひっそりと置かれている。


 グレンが慎重に罠がないか確認し(罠はなかった)、蓋を開ける。


 パカッ。


 中に入っていたのは、数枚の金貨と、小瓶に入った青い液体。


 そして、一束の乾燥した薬草だった。


「金貨と…ポーションか?それにこの草は…」


「これ、『上薬草』ですね。市場でも高値で取引されるレア素材です」


 オルガが目を輝かせる。


「やったわ!大当たりじゃない!」


「ああ!噂は本当だったんだ!」


 三人は手を取り合って喜んだ。


 実はその宝箱、賢者メルキオラスが「初回特典」として配置したものであり、ポーションはルミナが試作した「回復薬(試供品)」だったのだが、彼らがそれを知る由もない。


「よし、今日はここまでだ。欲張ると痛い目を見る。帰還するぞ!」


「賛成よ。お腹も空いたしね」


「無事に帰るまでが冒険です」


 三人は満足げな表情で、来た道を引き返していった。



◆◇◆◇◆



 夕刻。


 受付カウンターに戻ってきたグレンたちは、フィオーレに戦利品を見せた。


「確認をお願いします!魔石と、宝箱の中身です!」


 フィオーレは手際よく鑑定用魔道具(虫眼鏡型)で品定めをする。


「…はい、確認いたしました。魔石は当ギルドでの買い取りも可能ですが、いかがなさいますか?」


「えっ、買い取ってくれるのか?じゃあ頼む!」


「かしこまりました。…はい、こちらが換金代金です」


 渡された革袋はずっしりと重い。


 グレンは目を見張った。街のギルドよりもレートが良い。


「すげぇ…。ここ、最高じゃん!」


「おめでとうございます。無事のご帰還、何よりですわ」


 フィオーレは、練習通り――いや、それ以上に自然で美しい笑顔を向けた。


「またのご来訪を、心よりお待ちしております」


 その笑顔に見惚れ、グレンは顔を赤くして鼻の下を擦った。


「お、おう!絶対また来るよ!仲間にも教えとく!」


「ちょっとグレン、鼻の下伸びてるわよ。行くわよ!」


 ミアに耳を引っ張られながら、グレンたちは森の向こうへと去っていった。


 その背中は、来た時よりも一回り大きく、自信に満ちていた。



◆◇◆◇◆



 その様子を、遥か上空――第七五〇層のテラスから見下ろしている影があった。


「ふーん。帰ったわね」


 手すりに頬杖をつき、つまらなそうに呟くのは、エプロンドレスの少女――大家、真音だ。


 頭の上の丸い熊耳が、風に吹かれてふわふわと揺れている。


 その口には、お気に入りのスライム・ドロップが放り込まれている。


「どう?彼らは?」


 隣に並んだメルキオラスが尋ねる。


 彼は手元の水晶板で、ダンジョン内の監視カメラ映像をチェックしていた。


「んー、まあまあじゃない?剣士の踏み込みは甘いし、弓の子は視野が狭いけど…諦めないところは嫌いじゃないわ」


 真音はドロップを噛み砕き、ニカっと笑った。


「それに、下層エリアのテストをお金払ってやってくれてるんだし?」


「あはは。ちゃっかりしてるねぇ、大家さんは。それに、エレベーターを使用した宝箱補充班も問題なさそうだし」


 メルキオラスは、スマホに写る宝箱補充班の機敏な動きを確認していた。


「冒険者が増えてきたら、宝箱補充班も拡充しないとね」


「当然でしょ。タダで遊ばせてやる義理はないもの」


 真音は背伸びをした。


「さて、と。…リッカの話じゃ、これからもっと増えるんでしょ?お客さん」


「そうだね。彼らが良い噂を広めてくれれば、来週には行列ができるかもしれない」


「忙しくなるわね。…ルミナたち、倒れないようにアメとムチ(ボーナスと残業)、調整しといてよ」


 真音はクルリと背を向け、部屋の中へと戻っていく。


 その足取りは軽い。


 静かすぎた塔に、新たな「雑音」が混じり始めた。


 だがそれは、決して不快な音ではない。


 バベル・ガーデンが、世界に向けて息をし始めた音なのだ。


「あ、そうだ。くまちゃん」


 真音は振り返り、悪戯っぽく笑った。


「あ、そうだ。次の宝箱には、『ハズレ(ミミック)』も混ぜておいて。…楽して儲けようなんて、甘いってことを教えてあげなきゃ」


「…鬼だね、君は」


 賢者の苦笑いが、夕暮れの空に溶けていった。


 ダンジョン「バベル・ガーデン」。


 初期の営業は、上々の黒字スタートとなっているようである。

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