表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
46/64

第四十六話「勇者の手紙と、故郷への想い」

 バベル・ガーデン、『スライム牧場』。


 ここは、元勇者が牧場長を務め、かつての魔王軍幹部候補生たちがスライムの世話に明け暮れる、世界で最も平和で、ぬるぬるした場所だ。


「よしよし、いい子だ。今日のツヤも最高だぞ、グリーン」


 牧場長アレクセイは、ブラシを片手にスライムを磨き上げていた。


 プヨヨンッ!


 磨かれたグリーンスライムが、嬉しそうにアレクセイの頬に体当たりする。


「ははは!くすぐったいぞ!…おや?」


 牧場の入り口に、一人の男が立っていた。


 背中には総務部の目印が刻印された鞄。配達人だ。


 バベル・ガーデンには、稀に郵便物が届く。多くは、行商人リッカ経由なのだが、元勇者軍、元魔王軍の行方がわからぬ中、一縷の望みを託してバベル・ガーデンの一層に置いていく者がいるのだ。


 そういった「お届け物」を配達するのが、総務部所属の配達人だ。


「ここが牧場か…。すいません、アレクセイ様はいらっしゃいますか?」


「私ですが」


「地上からの届け物です。…差出人は、故郷のお母上からと」


 ドクン。


 アレクセイの心臓が、早鐘を打った。


 彼は泥だらけの手を慌ててタオルで拭き、震える手で封筒を受け取った。


「母さん…から」


 配達人が去った後も、彼はしばらく動けなかった。


 封筒の文字は、記憶にある母の字よりも、少し震えていて、小さかった。



◆◇◆◇◆



 夕刻。牧場の休憩室。


 アレクセイは、開封した手紙をテーブルに置き、頭を抱えていた。


『親愛なるアレクセイへ。

 元気にしていますか。ご飯は食べていますか。

 村のみんなも、お前が魔王を倒して帰ってくるのを待っています。

 母さんも歳をとりました。最近は膝が痛くて、畑仕事も辛くなってきました。

 …いつ、帰ってくるのですか。

 一目だけでも、お前の顔が見たいです』


 短く、拙い文章。


 だが、そこには痛いほどの愛情と、寂しさが詰まっていた。


「母さん…」


 アレクセイは天井を仰いだ。


 故郷の風景が脳裏をよぎる。


 黄金色の麦畑。暖炉の火。


 そして、玄関先で自分を待ち続ける母の背中。


(僕は…ここで何をしているんだ?)


 勇者として旅立ったあの日。


 必ず世界を救って帰ると誓った。


 だが今、自分は剣をブラシに持ち替え、スライムの機嫌を取る毎日を送っている。


 借金返済という名目はある。


 だが、本心では――この生活に満足してしまっている自分がいる。


「…裏切りだ。これは、母さんへの」


 ズン…と心が沈む。


 その負のオーラを察知したのか、足元のスライムたちが心配そうに寄り添ってきた。


 プヨ?プヨプヨ?


 彼らの冷たくて柔らかい感触が、今は罪悪感を刺激するだけだった。


「…邪魔だ。向こうへ行け」


 アレクセイは、つい冷たい言葉を吐いてしまった。


 スライムたちがビクリと震え、悲しげにしぼむ。


「あ…すまない、違うんだ。僕は…」


 自己嫌悪で押しつぶされそうになった、その時。


「――湿気くさいわね」


 凛とした声が、湿った空気を切り裂いた。


「!?」


 アレクセイが弾かれたように顔を上げる。


 入り口に立っていたのは、エプロンドレスの少女――大家、真音だった。


 頭の上の熊耳が、不快そうにペタリと伏せられている。


「お、大家様…!本日はどのようなご用件で…」


「散歩よ。グミの生育状況を見に来たんだけど…アンタの顔色が腐ったゾンビみたいだから、グミまで不味くなりそう」


 真音はスタスタと歩み寄り、テーブルの上の手紙を一瞥した。


「…手紙?」


「は、はい。故郷の母から…」


「ふーん」


 真音は勝手に椅子に座り、スライム・ドロップを一粒口に放り込んだ。


「で?『帰りたい』って泣いてたわけ?」


「ッ…!」


 図星を突かれ、アレクセイは言葉に詰まる。


 彼は拳を握りしめ、絞り出すように言った。


「…母は、待っています。僕は勇者として、故郷に錦を飾るはずでした。なのに、今の僕はただの牧場主…。母を裏切って、自分だけこんなに楽しく暮らしていていいのかと…」


 沈黙。


 真音はドロップを噛み砕き、ゴクリと飲み込んだ。


 そして、あっけらかんと言った。


「なら、帰れば?」


「…え?」


「借金?まあ、まだ残ってるけど…アンタ、今まで十分働いたし。退職金代わりってことでチャラにしてあげてもいいわよ」


 真音は黒曜石の瞳で、アレクセイをまっすぐに見つめた。


「嫌々働かれても、生産性が落ちるだけだし。…帰りたいなら、今すぐ荷物をまとめて出ていきなさい。西のゲート、開けてあげるから」


 冷たい言葉。


 突き放すような響き。


 だが、アレクセイは知っていた。


 この我儘な大家が、本当は誰よりも「身内」を大切にすることを。


 これは、彼女なりの優しさであり――試練なのだ。


「…」


 アレクセイは視線を落とした。


 足元には、先ほど叱責してしまったスライムたちが、まだ心配そうに彼を見上げている。


 さらに奥、牧場の柵の向こうでは、クイーン・スライムが虹色に輝き、部下の魔族たちが汗を流して働いている。


 ここには、彼が築き上げた「世界」がある。


「でも…寂しくなるな」


 真音がポツリと呟いた。


 彼女は視線を逸らし、頬杖をつく。


「アンタがいなくなったら、誰がこいつら(スライム)の言葉をわかるのよ。…こいつら、アンタがいないと、またストレスで酸を吐き散らすかもね」


 プヨッ!


 足元のスライムが、同意するように高く跳ねた。


 そして、アレクセイの足にギュッと抱きついた。


(…ああ)


 アレクセイの目から、涙が溢れた。


 温かい。


 故郷の母の温もりとは違う。けれど、確かにここにある、命の体温。


「僕は…」


 アレクセイは涙を拭い、顔を上げた。


 その表情から、迷いは消えていた。


「僕は…帰りません」


 彼はきっぱりと言い切った。


「母のことは心配です。でも…僕は今、ここで必要とされています。この子たちには、僕がいなきゃダメなんです」


「ふーん。…親不孝者」


「はい。僕は親不孝な息子です。…ですが、世界一幸せな牧場主です」


 アレクセイは胸を張った。


 かつて聖剣を握っていた手で、今は愛するスライムを撫でる。


 その誇りは、勇者時代よりも輝いて見えた。


「勝手にしなさい。…その代わり、明日からのノルマ、二割増しだからね」


 真音はニカっと笑った。


 熊耳が嬉しそうにピコピコと動く。


「覚悟の上です!さあ、大家様!採れたての新作ドロップの試食をお願いします!」


「ん、食べてあげる」



◆◇◆◇◆



 その夜。


 アレクセイは、机に向かってペンを走らせていた。


『拝啓、母さん。

 手紙をありがとう。僕は元気です。

 ご飯も、ここの料理長が作る飯が世界一美味いので、太り気味なくらいです。


 帰れなくて、ごめんなさい。

 でも、僕は今、新しい「戦場」を見つけました。

 剣ではなく、愛情で育てる命の現場です。

 ここの仲間たちは、少し…いや、かなり変わっていますが、みんな良い奴らです。

 口の悪い大家様も、本当は優しい人です。


 もう少し、ここにいさせてください。

 いつか胸を張って、僕の育てた「宝石」を持って帰ります。


 追伸

 仕送りの代わりに、僕が作った特製ドロップを同封します。

 腰痛に効く成分を入れておきました。食べてください。

 

 親不孝な息子、アレクセイより』


 書き終えた手紙を封筒に入れ、アレクセイは大きく伸びをした。


「よし!」


 窓の外には、世界樹の葉が風に揺れる音が聞こえる。


 空を見上げると、満月が輝いていた。


 遠い故郷の空とも繋がっている、同じ月だ。


「…待っていてくれ、母さん。僕はこの場所を、世界一の牧場にしてみせるから」


 翌朝。


 リッカにお願いしてもらうよう、配達人に手紙を託したアレクセイの顔は、昨日の雨雲が嘘のように晴れ渡っていた。


「さあ野郎ども!今日はクイーン様のブラッシングだ!気合を入れろ!」


「「「イエッサー、牧場長!!」」」


 魔族たちの野太い返事と、スライムたちの楽しげな跳ねる音が、今日もバベル・ガーデンに響き渡る。


 勇者の剣はもうない。


 だが、その手には今、もっと大切な「家族」の命が握られているのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ