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第二十五話「敗走の聖騎士と、王都の唖然」

 聖王国軍がバベル・ガーデンへの侵攻を開始してから、数週間が経過していた。


 大陸最強と謳われた聖騎士団二千名。


 意気揚々と踏み入った森を、彼らは奇妙な集団となって逆の方向に歩いていた。


「…寒い」


「足が痛い…靴をくれ…」


 それは、見るも無惨な行軍だった。


 男たちは皆、肌着一枚、あるいは腰布一枚という半裸の姿である。


 泥にまみれ、唇は紫色に震え、その瞳からはかつての精悍な光が完全に消え失せていた。


 彼らは武器を持っていなかった。


 身を守る鎧も、寒さを凌ぐマントも、食料も、水筒さえも、すべてあの「塔」に置いてきた――否、奪い尽くされたのだ。


 ガサッ!


 街道脇の茂みが揺れる。


 ただの野兎が飛び出しただけだったが、屈強なはずの騎士たちが「ヒィッ!?」と情けない悲鳴を上げて身を寄せ合った。


 無理もない。


 今の彼らにとって、森に棲む最弱のゴブリンでさえ、命を脅かす捕食者となり得るのだから。


「…列を乱すな。歩け。歩くのだ」


 先頭を行く男――騎士団長ガウェインが、掠れた声で叱咤する。


 彼もまた、白銀の甲冑と聖剣を失い、薄汚れたインナーだけの姿だった。


 だが、その瞳にだけは、狂気じみた執念の火が灯っていた。


(このままでは終わらん…。必ず王に報告せねばならない。あの場所で見た、世界の理を覆す『異常』を!)


 彼は泥水を啜り、木の根を齧りながら、ひたすらに王都を目指した。


 その背中は、かつての英雄の面影など微塵もない、ただの落魄らくはくした男のものだった。



◆◇◆◇◆



 聖王国、王都グランドリア。


 巨大な城壁に囲まれたこの都は、今日も繁栄を極めていた。


 大通りの門番が、街道の向こうから近づく土煙に気づく。


「おい、見ろ!あれは…聖騎士団の旗印か?」


 遠目に見えるボロボロの旗。


 門番たちは色めき立った。


 英雄たちが帰還したのだ。


「開門!聖騎士団のご帰還だ!皆のもの、出迎えよ!」


 大門が重々しい音を立てて開かれる。


 市民たちが歓声を上げて沿道に詰めかけた。


 花吹雪を用意する娘たち、憧れの騎士を一目見ようと肩車をする親子連れ。


 だが。


 門をくぐり抜けてきた集団を見て、歓声は一瞬で凍りついた。


 ザッ、ザッ、ザッ…


 入ってきたのは、薄汚れた裸の男たちの群れだった。


 異臭が漂い、虚ろな目でトボトボと歩くその姿は、凱旋パレードというより、亡者の行進デス・マーチだった。


「…え?」


「な、なんだあの集団は…?山賊か?それとも乞食か?」


 市民たちが困惑し、後ずさる。


 母親が子供の目を手で覆う。


「シッ…目を合わせるんじゃありません」


「衛兵!何をしている、あんな不審者たちを通して!」


 ざわめきと怒号が広がる中、最前列にいた老人が、震える指で先頭の男を指差した。


「ま、待て…。あの先頭の男…まさか…」


 泥と垢にまみれ、頬はこけ、目は血走っている。


 だが、その骨格と、身に纏うわずかな威圧感は、市民たちがよく知る人物に酷似していた。


「…ガウェイン卿?聖騎士団長の、ガウェイン様なのか!?」


 その言葉が波紋のように広がる。


「嘘だろ…?」


「天下の聖騎士様があんな格好で…」


「いったいどうしたっていうんだ…」


 歓喜は、瞬く間に疑惑と恐怖、そして耐え難い憐憫れんびんへと変わった。


 突き刺さる視線。


 それは剣で斬られるよりも鋭く、ガウェインのプライドを抉り取っていく。


 だが、ガウェインは足を止めなかった。


 彼は歯を食いしばり、羞恥心という感情を殺して、王城へと続く長い坂道を登り続けた。



◆◇◆◇◆



 王城、謁見の間。


 豪奢な玉座には聖王が座し、その傍らには教皇と、国の中枢を担う大臣たちが並んでいる。


 重苦しい沈黙の中、跪いたガウェインは、冷たい床をずっと見つめ続けていた。


 彼には急ごしらえのローブが与えられたが、それだけでは隠しきれない疲労と狂気が、全身から滲み出ている。


「…面を上げよ、ガウェイン」


 聖王の低く、抑揚のない声が響く。


「この無様な帰還…。余程のことがあったと見える。申してみよ」


「は、ははッ…!」


 ガウェインは顔を上げた。


 その目は、見てきた「真実」を伝える使命感に燃えていた。


「我々は、世界樹に寄生する『塔』へ侵入いたしました。…しかし、そこは地獄でございました」


「地獄?強力な魔物でもいたのか?」


「いいえ。…敵は出てきませんでした。ただ無限に続く回廊と、最後に現れた『巨大なゴーレム』によって、我々はゴミのように排出されたのです」


 大臣たちがざわつく。


 ゴーレム?


 排出?


 軍事報告としてはあまりに要領を得ない。


「言い訳はよい。…それで、肝心の『古代の叡智』はどうした?あの塔に眠る神話級の遺物は持ち帰ったのか?」


 聖王が身を乗り出す。


「…持ち帰ることは、できませんでした」


「なんだと?手ぶらで帰ってきたと言うのか!」


「いいえ、手ぶらではありません。…陛下、私はあの塔で、信じがたいものを目撃いたしました」


 ガウェインは一度言葉を切り、意を決して口を開いた。


「行方不明となっていた、勇者アレクセイです。…彼は、生きておりました」


「おおっ!?」


 場が色めき立った。


「で、彼は無事か?囚われていたのか?それとも共に戦ったのか?」


「…彼は…牧場経営をしておりました」


 シーン。


 謁見の間の空気が止まる。


「…牧場?」


「はい。彼は、特殊なスライムを使役しておりました。我々の装備をスライムに食わせて回収させ、あろうことかそのスライムを抱き上げ、頬ずりし…」


 ガウェインの声が、悔しさと困惑で震える。


「我々に、こう言い放ちました。『私は今、人生で最も充実した仕事――牧場経営をしている』と」


 大臣たちがあんぐりと口を開けた。


 教皇が眉間の皺を深くする。


「…ガウェイン卿。勇者が、スライムに頬ずりをして、牧場経営?…神の祝福を受けた戦士が、か?」


「はい!間違いありません!彼は完全に、あちら側の住人となっておりました!」


 ヒソヒソ、と囁き声が漏れる。


(団長は気が触れたのではないか?)


(ショックで幻覚を見たに違いない)


「ま、待たれよ!報告はまだあります!信じてください!」


 ガウェインは必死に叫んだ。


 このままでは狂人扱いされる。


 さらに重大な事実を突きつけねば。


「さらに!あの場所には、死んだはずの魔王ガルシスもおりました!」


「なっ!?」


 その名が出た瞬間、場に緊張が走った。


 聖王が立ち上がる。


「魔王だと!?…まさか、勇者を洗脳し、世界征服の軍団を組織しているとでもいうのか!?」


「い、いいえ。…奴は、空から降ってきました」


「空から?」


「はい。私が切り札として召喚した『灼熱の魔人イフリート』を、奴は片手で圧縮し…の球体に変えてしまいました」


「イフリートを…片手で?」


 魔法大臣が絶句する。


 やはり魔王は脅威だ。


 世界を滅ぼす力を蓄えているに違いない。


「で、魔王はその力を何に使ったのだ?我々への攻撃か?」


 ガウェインは唇を噛み締め、見たままの真実を告げた。


「奴は…その球体を見て、満足げにこう言いました。『良いサウナストーンが手に入った』と」


「…は?」


「そして、『この忙しい時に。業務妨害だ』と言い残し、我々には目もくれず、石を持ち去っていきました…」


 謁見の間に、深淵のような静寂が訪れた。


 誰一人として言葉を発しない。理解が追いつかないのだ。


 勇者はスライム牧場主。


 魔王はサウナの石集め。


 それを、国の英雄だった男が、大真面目な顔で報告している。


 バンッ!!


 聖王が玉座の肘掛けを拳で叩き割った。


「いい加減にせよッ!!」


 雷のような怒号が落ちる。


「牧場だの、サウナだの…!神聖な謁見の間で、何をふざけたことを言っている!余を愚弄する気か!」


「し、真実なのです!私は見たのです!あの塔は狂っています!」


「黙れ!衛兵!この乱心者をつまみ出せ!」


 ガウェインが両脇を衛兵に抱えられる。


「お待ちください陛下!あれは脅威です!放置すれば国が…!」


 教皇が冷ややかに、侮蔑の籠もった視線を投げかける。


「ガウェイン卿。…魔王軍に装備を奪われた失態を隠すために、そのような狂言を弄したか。あるいは、未知の精神攻撃を受け、脳を焼かれたか。…いずれにせよ」


 教皇は扇子で口元を隠し、宣告した。


「もはや貴殿に騎士団を率いる資格はない。…地下牢にて、頭が冷えるまで療養せよ」


「そ、そんな…!あれは真実なのだぁぁぁッ!!」


 ガウェインの絶叫が遠ざかっていく。


 重い扉が閉ざされ、謁見の間には気まずい空気が残された。



◆◇◆◇◆



 その後。


 人払いがされた教皇の私室。


 教皇は、豪奢な椅子に深く腰掛け、ワイングラスを揺らしていた。


 その背後の影から、一人の人影が音もなく現れる。


「…ガウェインの話、どう思う?」


 教皇が静かに問う。


「狂人の妄言でしょう。信憑性の欠片もありません」


「だが」


 教皇は言葉を遮った。


「二千人の騎士が、誰一人欠けることなく、装備だけを綺麗に奪われて帰ってきた。…これは事実だ」


 教皇の目が鋭く光る。


「もしガウェインの話が全て狂言でないとしたら?もし、勇者や魔王すら顎で使うような『支配者』があの塔に潜んでいるとしたら?」


「…」


「あの塔には、常識では計れない『何か』がある。それを突き止めねば、我が国の覇権が揺らぎかねん」


 教皇は影に向かって命令を下した。


「行け。最も腕の立つ密偵を送り込め。…塔の内部を探り、その『支配者』の正体を突き止めるのだ」


「御意」


 影が揺らぎ、気配が消える。


 聖王国の闇が、静かに、しかし確実に動き出そうとしていた。


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