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第二十四話「甘美なる地雷と、酸っぱい甘味」

 バベル・ガーデン第一層、西側エリア。


 巨大な建造物の基部でありながら、人工的な防衛機能を持たない「開放区画」となっている。


 そこに扉や門の類は存在しない。


 あるのは、世界樹の根と絡まり合った外壁に、ぽっかりと空いた巨大な開口部だけだ。


「こんにちはー!どなたかいらっしゃいませんかー!こんにちはー!」


 鬱蒼とした森の気配が漂うその穴に向かって、やけに明るく、通りの良い女性の声が響き渡った。


 声の主は、赤髪の巻き毛が特徴的な、小柄な女性だった。


 一見すると愛らしい町娘のような風貌だが、その背中には異常なものが背負われていた。


 彼女の体躯の倍はあろうかという、超巨大なリュックサックである。


 パンパンに膨れ上がったそれは、見るからに数人は入れるほどの容積がある。


「…おや?お留守ですか?…では、お邪魔しまーす!」


 彼女は悪びれる様子もなく、キョロキョロと周囲を観察しながら、塔の内部へと足を踏み入れた。



◆◇◆◇◆



 その様子は、総務室で即座に感知されていた。


「…あれ?誰だろ?珍しいな」


 監視モニターを見ていたゴブリンのオペレーターが首を傾げた。


 聖王国軍が去ったばかりのこの時期に、単独で、しかもあんな目立つ荷物を持って…。


「部長!ちょっといいですか?」


「…どうしました?」


 書類仕事に没頭していたルミナが顔を上げる。


 彼女はモニターを覗き込み、目を細めた。


「…行商人、でしょうか。それにしても」


 ルミナの鋭い観察眼が、画面の中の侵入者の動きを捉える。


 リュックの生地が張り詰めている様子からして、中身は空ではない。


 相当な重量があるはずだ。


 だというのに、彼女の足取りは、まるで羽毛布団でも背負っているかのように軽やかだ。


 泥濘ぬかるみを避け、自然な動作でしっかりしている。


「面白いですね。ただの迷い人ではなさそうです」


 ルミナは懐からスマホを取り出し、慣れた手つきで回線を開いた。


 視線はモニターの先、警戒心なく歩く赤髪の女性に固定されたままだ。


「賢者様、お忙しいところ恐縮ですが、今よろしいでしょうか?」


『大丈夫だよ。どうかした?』


 メルキオラスの穏やかな声が返ってくる。


「今、一階の西側に行商人らしき女性が一人、侵入してきました。…敵意は見受けられません。接触してみてもよろしいでしょうか?」


『行商人?…そうか、良いタイミングかもしれないね。いいよ、許可する』


「ありがとうございます。また、後ほどご連絡いたします」


 通話を切ると、ルミナは立ち上がった。


 彼女の脳内で、瞬時にリスク管理と利益計算が行われる。


 相手は未知数。


 だが、もし有益な商品なり知識を持っているなら、この出会いはチャンスになる。


「料理長に連絡を。…一階まで同行を願いたい、と」



◆◇◆◇◆



 一方その頃。


 最上層、『樹洞の聖域』。


 下界の出来事など知る由もないこの場所で、真音は深刻な悩みを抱えていた。


「…はぁー」


 盛大なため息と共に、真音はこたつの天板に突っ伏した。


 彼女はテーブルの上に置かれた『極上スライム・ドロップ』の山を、恨めしげに指でつついた。


「…飽きたぁ」


「なんと。あれほど渇望しておられたドロップではないか」


「美味しいんだよ?味は最高級だし」


 真音は一粒つまみ上げ、光にかざした。虹色の輝きが美しい。


 だが、彼女はそれを口に運ぶことなく、指先で弄ぶ。


「でもさぁ…毎日毎日こればっかりだと、さすがに飽きるっていうか、舌が麻痺してくるんだよね。もっとこう、脳髄を刺激するような酸味とか、鼻に抜けるフレッシュな香りが欲しいなぁって」


 贅沢な悩みだ。


 だが、食に妥協を許さない真音にとって、それは死活問題だった。


「イチゴ味とか…みかん味とか…甘酸っぱいのが食べたい…」


 うわ言のように呟く真音を見て、ラズリは困ったように首を傾げた。


 バベル・ガーデンには豊富な野菜や肉はあるが、嗜好品としての果物は極一部だ。


「…ヴォルグに言えば、何か隠し持ってるかな」


 真音はガバッと身を起こした。


 熊耳が「ピーン!」と立ち上がり、期待に震える。


「よし、決めた。厨房へ行く!…無いなら作らせるまで!」


「御意。お供しよう」


 真音はヴォルグの魔力反応を探った。



◆◇◆◇◆


『どちらさまですかー?』


 第一層の西側エリアに声が広がる。


「え!?わ!えーと、行商人のリッカといいます」


 リッカは、相手が見えないのに、律儀に体ごとお辞儀をした。


「道に迷って困ってて…休憩するための場所をお借りしたいのと…もし、よければなにか買っていただけませんかー?」


『…わかりました。今、担当者がそちらに向かいますので、少々お待ちください』


「はい!ありがとうございます!」


 その時、前方の開けた場所に、突然二つの人影が現れた。


 一人は、実務的なスーツに身を包んだ知的な美女。


 もう一人は、純白のコックコートを着た巨漢のオーク。


「こんにちは!」


 女は満面の笑みで手を振った。


 対するルミナたちは、周囲を警戒しながら立ち止まる。


「ようこそ、バベル・ガーデンへ。私は総務のルミナです。…よくこの森を無傷で抜けられましたね」


「あはは、獣道には慣れていますので!申し遅れました、私、行商人のリッカと申します!へぇ、ここってバベル・ガーデンっていうんですか!」


「ええ、そうよ。買ってほしいものってなにがあるのかしら?」


「あ、はい!」


 リッカと名乗ったその女性は、背中のリュックを下ろそうとした。


 華奢な腕が、荷物のベルトを掴む。


 そして、軽々と――。


 ズシィィィィィィィンッ!!


 荷物が地面に置かれた瞬間、地響きと共に土煙が舞った。


 周囲の空気が一瞬震えるほどの質量。


 数百キロ、いや、それ以上か。


「…!」


 ヴォルグの眉が動いた。


(ほう…。あの細腕で、この重量を片手で扱ったか。身体強化の魔法を使った形跡もない。…純粋な筋力か)


 ルミナもまた、表情には出さないものの、内心で警戒レベルを引き上げた。


(やはり、見た目に騙されてはいけませんね。この方、只者ではありません)


「それで?その重そうな荷物の中身はなんだ?我々は必要な物は自給自足できている。半端な物なら持ち帰れ」


 ヴォルグが腕組みをして睨みつける。


 だが、リッカはオークの威圧感などどこ吹く風だ。


 彼女は塔の構造美や、ヴォルグが腰に下げているオリハルコン製の包丁を値踏みするように一瞥し、ニッコリと笑った。


「まあまあ、そう仰らずに!」


 リッカはリュックの留め具に手をかけた。


「まずはご挨拶代わりに、私が扱っている中で『最高級の嗜好品』をお見せしましょう!万人に愛される、間違いのない逸品です!」


 彼女が取り出したのは、美しい装飾が施された陶器の壺だった。


 ルミナとヴォルグが身構える中、リッカは自信満々にその蓋を開け放った。


 ポワン


 濃厚で、脳がとろけるような甘い香りが漂った。

 中身は、黄金色に輝く液体――最高級ロイヤル・ハニー。


「美容にも滋養にも良い、王族御用達の…」


 リッカが得意げに説明しようとした、その時。


「おい馬鹿ッ!それを閉まえ!!」


 ヴォルグの顔色が、一瞬で土気色に変わった。


 彼は知っている。かつて魔王軍時代、


 同じものを突き出して、当時の将軍がどんな目に遭ったかを。


「その匂いは、大家殿が最も――」


 ドォン!


 ヴォルグの制止も虚しく、空間が歪んだ。


 転移魔法特有の衝撃波と共に、彼らのすぐ横に、パジャマ姿の少女と、小さなドラゴンが現れる。


「ねえヴォルグ!何か新しい味の…」


 真音だった。


 だが。


 ピタリ。


 真音の言葉が止まった。


 鼻先数センチ。


 そこに、彼女がこの世で最も忌み嫌う、ベタベタして甘ったるい粘液があった。


 場の空気が凍りつく。


 森のざわめきすら消えた。


 真音の頭頂部にある丸い熊耳が、ゆっくりと、しかし確実に後ろへと倒れていく。


 それは、猫が極度の不快感や攻撃性を示すサイン――完全なるイカ耳状態。


「…げっ」


 真音の口から漏れたのは、心底嫌そうな声だった。


「臭い。私の嫌いな、ベタベタする匂いがする…」


 黒曜石の瞳からハイライトが消え、ジトッとした視線がリッカを射抜く。


 真音の肩の上で、ラズリが殺気を迸らせた。


「貴様ァ!我が君への狼藉、万死に値するぞ!!」


 ラズリの喉の奥で、蒼い業火が渦を巻く。


「ッ…!?」


 リッカの反応は劇的だった。


 普通なら腰を抜かす場面だ。


 だが彼女は、瞬時に腰に差していた棒に手をかけ、重心を落として防御姿勢を取ったのだ。


(な、なにこの圧力!?)


 リッカの脳が高速回転する。


 相手は熊人(に見える)。なのにハチミツを嫌悪している。


 甘い匂いを「臭い」と言った。


 ならば――正解は逆だ。


 真音が右手を上げた。


 その指先に、世界樹の浄化システムである青い鬼火が灯る。


「消えなさい。その壺ごと」


 終わった。


 誰もがそう思った瞬間。


「これは間違い!こちらを!!」


 リッカはハチミツの壺を躊躇なく放り捨て(ヴォルグが慌ててキャッチ)、リュックから小さな木箱を取り出した。


「私の自信作!『宝石果実セミドライフルーツ』です!!」


 彼女は箱の蓋を開け、真音の前に突き出した。


 中には、ルビーやトパーズのように輝く、色とりどりの果実が並んでいた。


 真音の倒れていた熊耳が、微かに反応した。


 ハチミツの匂いを押し退け、凝縮された果実の香りが漂ったからだ。


「…干し果物?」


 真音は怪訝な顔で、指先の鬼火を消した。


 そして、警戒しながら赤い果実――ドライ・サワーベリーを一粒つまみ、口へと運ぶ。


 ムギュッ


 弾力のある噛みごたえ。


 そして次の瞬間、口の中に爆発的な酸味と、凝縮された甘い果汁の旨味が溢れ出した。


「…ん!」


 真音の目が大きく見開かれた。


 熊耳が垂直に立ち上がり、パタパタと嬉しそうに揺れ始める。


「すっぱ…!でも、何これ。グミみたいに噛みごたえがあって…美味しい!甘い!」


 真音の顔がぱあっと輝いた。


 それを見たヴォルグも、興味深そうに箱の中の別の果実――ドライ・フィグを手に取り、匂いを嗅いだ。


「ほう…。完全に乾燥させず、水分と旨味だけをギリギリまで残して凝縮しているのか」


 料理人の目が光る。


「…そのまま食うだけじゃない。これをブランデーで戻せば極上のコンポートになる。刻んでテリーヌに入れれば、食感のアクセントになる…!」


「美味しい!もっとちょうだい!」


「どうぞどうぞ!いくらでもどうぞ!はい!」


 リッカが差しだした箱を、真音は嬉しそうに抱え込んだ。


「ヴォルグ!これ!買って!」


「はっ!仰せのままに!」


 リッカは深く息を吐き、張り詰めていた肩の力を抜いた。


 賭けに勝ったのだ。


「ありがとうございます!…こちらは、私の独自の製法で作ったものです。他所では手に入りませんよ?」


 リッカは商人としての顔に戻り、ニヤリと笑った。


「…何箱ご購入ですか?」


 リッカは、真音、ラズリ、ルミナ、ヴォルグと順番に目線を移し、最後にルミナをみつめた。


「…全部で何箱ありますか?あと、何種類の果物が?」


「全部で三十二箱あります!種類は…えーと、十四種類ですね。各種詰め合わせのものと単品で入っているものがあります。先ほど、お嬢様にさし上げたものが詰め合わせのものです!」


(…お嬢様?ああ、大家様のことでしたか。確かに、そう見えなくもないですね)


「それではすべて購入しましょう」


 ルミナは、満面の笑みで大事そうに食べている真音を見ながら答えた。


「聞いてもよろしい?」


「はい!なんでしょう?」


「このあたりには、よく来るのですか?」


「いえ、初めてです。いつもはもっと北のルートを通るのですが、なにやら何千人という半裸の集団を発見したので、気味が悪くて迂回したらここに…」


「ああ、なるほど」


 その集団には心当たりがあった。


 聖王国だ。


「もし、あなたが良ければ今後とも販売しに来てくれるとうれしいのだけど」


「え!?本当ですか!?来ます!来ます!やったー!」


「主が気に入ったようなので、定期的に来ていただけると助かります。あと、今日は急だったので準備するのは難しいですが、あなたが希望するものを、こちらから卸させていただくこともできますよ?」


「あ!それはうれしいです!ここでお互いのものを売買させていただければ最高です!」


「それで?なにが欲しいですか?」


「そうですね…私の商圏は、ここから少し離れているので、ナマモノでなければだいたい取り扱っています。あ!鉱石とかだとうれしいです!鉱山まで行くのは遠くて…」


「鉱石…それだと準備できますね。次回の時までに見繕っておきましょう」


「ありがとうございます!」


 ヴォルグが口を挟んだ。


「リッカといったか。鉱石が欲しいのだとすると、取引先に鍛冶屋がいるのか?」


「います!腕がたつ鍛冶師ですよ!」


「ふむ。それならば、大きめのボウルとザルを十個ずつお願いしたい。あと、卸し金とレードルもあれば欲しいな」


「毎度あり!かしこまりました!」


 リッカは深々と頭を下げた。


「干し果物の箱はどちらに置けばよろしいですか?」


「あとでまとめて持っていくから、そこに置いてくれていいわよ。あと、お代は、これでいいかしら?」


 すごい早さで、次々と箱を積んでいくリッカに、ルミナは硬貨の入った革袋を渡した。


 ズシリと重い。


 枚数をざっと数えたリッカは目を見開いた。


「え!?こんなに!?」


「初めての取引だし、今後の期待も込めてね」


「ありがとうございます!では、また、十日後くらいにお邪魔します!今度はもっと持ってきますね!」


「期待してるわよ」


 リッカの背中を見送りながら、ルミナは予感していた。


 この行商人が、バベル・ガーデンと外の世界をつなぐ、細くとも強靭な『糸』になるであろうことを。


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