第二十三話「英雄の残滓と、適材適所」
世界樹の根元、バベル・ガーデン入り口前。
そこには、大陸に名を轟かせた聖王国騎士団の、見るも無惨な姿があった。
「うぅ…寒い…」
「ベトベトする…取れない…」
巨大自動清掃機によって排出された二千名の騎士たちは、高粘度の洗剤まみれになり、地面に折り重なるように倒れていた。
彼らの誇り高き白銀の甲冑は泥と泡にまみれ、瞳からは戦意という光が完全に消え失せていた。
そこへ、バベル・ガーデンから無機質な放送(ルミナの声)が響き渡った。
『――業務連絡。牧場長、資源回収班を投入してください。対象は「金属類」のみ。中身(人間)は不要です』
直後、巨大な扉の脇から、楽しげな声が響いた。
「はーい、了解です!さあ、みんな!ごはんの時間ですよー!」
現れたのは、作業着に長靴という出で立ちの青年――アレクセイだった。
彼が手を振ると、背後の茂みから無数の「スライム」が飛び出した。
だが、それは通常のプルプルしたスライムではない。体色がドス黒く変色し、強酸性の泡を吹く特殊個体だ。
「いけっ!ミスリルだけを綺麗に舐め取るんだ!」
スライムたちは歓喜に震え、倒れている騎士たちに殺到した。
「ひぃっ!?なんだこいつら!」
「やめろ!溶ける!鎧が溶けるぅぅ!」
ジュワワワワ…。
騎士たちの悲鳴が上がる。
スライムたちは人体には目もくれず、彼らが身に着けている高価なミスリル鎧や、手放した聖剣だけに吸着し、凄まじい勢いで溶解・吸収していく。
数分後には、騎士たちは下着一枚のあられもない姿で、寒空の下に放り出されていた。
◆◇◆◇◆
その光景を呆然と見ていた一人のベテラン騎士が、スライムたちに指示を出している青年の顔を見て、雷に打たれたように目を見開いた。
「そ、その顔…まさか…」
騎士は震える指で青年を指差した。
「行方不明になっていた『勇者アレクセイ』様ではありませんか!?」
その言葉に、絶望していた騎士団がどよめいた。
アレクセイ。
かつて魔王討伐の旅に出たきり、消息を絶った伝説の英雄。
聖王国の兵士にとって、彼は憧れの象徴だった。
「アレクセイ様!?なぜこのような場所に!」
「まさか、魔女に囚われたのですか!?」
騎士たちの悲痛な叫びを聞き、団長ガウェインも這いずりながら叫んだ。
「勇者よ!貴公ほどの男が、なぜ魔王の手先などに成り下がった!目を覚ませ!そして我らと共に戦うのだ!」
だが、アレクセイの反応は、彼らの予想を裏切るものだった。
彼はキョトンとした顔で騎士たちを見回し、次いで心底不思議そうに首を傾げたのだ。
「成り下がった?囚われている?…何を言っているんですか?」
アレクセイは足元のスライムを抱き上げ、愛おしそうに頬ずりをした。
「私は今、人生で最も充実した仕事――『牧場経営』をしているのですよ?」
「は…?」
「かつては私も、剣を振るうだけの野蛮で空虚な日々を送っていました。ですが、見てください、この輝き!この弾力!」
アレクセイの瞳が、狂気的な純真さで輝く。
「魔物を殺すのではなく、育てる喜び。スライムのプニプニに囲まれる日々が、どれほど高貴で素晴らしいか!貴方達にはわかりませんか!?」
騎士たちは絶句した。
洗脳されているのではない。
彼は本心から、英雄としての過去よりも、今の「牧場のお兄さん」としての生活を愛しているのだ。
その事実は、敗北以上の絶望として騎士たちの心をへし折った。
「嘘だ…あのアレクセイ様が…スライム狂いに…」
ガウェインは地面を叩いた。
プライドも、信仰も、希望も、すべてこのふざけた塔に踏みにじられた。
「許さん…許さんぞ…!」
ガウェインの瞳に、暗い狂気の炎が宿る。
「勇者も堕ちたか…!ならば、この不浄な地ごと焼き払ってくれる!」
彼は懐から、国を出る際に託された『封印されし赤き宝石』を取り出した。
それは、禁断の召喚石。
「出でよ!焦熱の化身!全てを灰塵に帰せ!!」
ガウェインが宝石を地面に叩きつける。
瞬間、爆発的な魔力が膨れ上がった。
ドォォォォォォン!!
紅蓮の炎が噴き上がり、巨大な人の形を成していく。
出現したのは、世界樹すら焼き尽くしかねないS級精霊――『灼熱の魔人』。
『グオオオオオオオオッ!!』
魔人の咆哮と共に、周囲の森が一瞬で枯れ、地面が溶岩のように赤熱する。
スライムたちが「熱い!」と悲鳴を上げて逃げ惑う。
「あーっ!こら!ウチの子たちに何を!」
アレクセイが慌ててスライムを回収するが、炎の勢いは止まらない。
ガウェインは狂ったように笑った。
「燃えろ!燃えろぉぉ!私が帰れぬなら、貴様らも道連れだ!」
◆◇◆◇◆
一方その頃。
バベル・ガーデン第三五〇層付近。
そこにある『温泉管理部長室』は、静謐な空気に包まれていた。
マホガニーの机に向かうのは、上質な執務服(元魔王軍の礼服を仕立て直したもの)に身を包んだ巨漢――ガルシスである。
彼は鼻眼鏡をかけ、羽ペンを走らせていた。
「…ふむ。第三ボイラーの燃焼効率が〇・二%低下しているな。メンテナンスの時期か」
かつて世界を恐怖させた魔王の面影は、その洗練された所作と、漂う知性の中に静かに息づいている。
今はその強大な魔力と統率力を、全館の給湯システムとサウナ管理に注いでいた。
ピピピピピッ!
不意に、机の上の魔導計器が警告音を発した。
『外気吸入ダクト』の温度モニターが、異常な数値を弾き出している。
「…なんだ?」
ガルシスはペンを止め、不機嫌そうに眉をひそめた。
「地上吸気口付近にて、極大の熱源反応…?外気温が急上昇している」
彼は立ち上がり、窓の外――遥か眼下を見下ろした。
雲の切れ間から、微かに赤い光が漏れている。
ガルシスは舌打ちをした。
「チッ。…この忙しい時に、誰だ?吸気温度が変われば、サウナの湿度調整をやり直さねばならんではないか」
彼は眼鏡を外し、丁寧にケースにしまった。
そして、執務室の窓を大きく開け放つ。
「業務妨害だ。…直ちに排除(鎮火)する」
次の瞬間、紳士的な魔王の姿がかき消えた。
◆◇◆◇◆
地上。
暴れまわる炎の魔人に対し、ガウェインは勝利を確信していた。
「はーはっは!誰も止められん!この業火は…」
ズドォォォォォォォン!!
突如、天空から黒いナニカが落下した。
衝撃で大地が陥没し、魔人の炎が一瞬吹き飛ぶ。
土煙の中から現れたのは、整った衣服の埃を払う、紳士然とした男。
「…騒がしいな、下等生物」
その声の圧力だけで、周囲の空気が凍りついた。
「き、貴様は…魔王ガルシス!?」
ガウェインが裏返った声を上げる。
かつての宿敵。
人類最大の脅威。
だが、今のガルシスから漂うのは、殺意ではなく、部下の不手際を叱責する上司のような冷徹な怒りだった。
「貴様らの出した熱で、私の執務室の空調バランスが崩れた。…どう責任を取る?」
『グオオオオッ!!』
炎の魔人が、新たな敵を排除しようと極大の火球を放つ。
だが、ガルシスは書類を払うような手つきで、それを軽々と弾いた。
「ぬるい」
ガルシスは片手をかざした。
掌から漆黒の闇――『黒炎』が溢れ出し、炎の魔人を取り囲む。
「それに、その熱量…ただ拡散させるには惜しい」
ガルシスの指が、ゆっくりと握り込まれていく。
それに合わせて、黒炎の檻が収縮を始めた。
「熱とは、無闇に撒き散らすものではない。…こう、芯に溜め込むものだ!」
『ギャ、ギャァァァァァ!?』
炎の魔人が悲鳴を上げる。
身長二十メートルを超えていた巨体が、物理法則を無視した圧力で圧縮されていく。
抵抗しようとする魔力も、熱量も、すべてガルシスの圧倒的な魔力操作によって、一点に封じ込められていく。
「凝縮せよ。…我がサウナの熱源として、永遠に燃え続けるがいい」
バキッ、バキバキッ…。
数秒後。
そこに巨人の姿はなかった。
ガルシスの手の中に、赤く脈動するサッカーボール大の『球体』があるだけだった。
「ふむ」
ガルシスは球体の熱量を確認し、満足げに頷いた。
「良い『サウナストーン』が手に入った。これなら、水をかけた瞬間に最高の蒸気が生まれるだろう」
彼は赤熱球を大切そうに懐(耐熱ハンカチ)に包むと、ガウェインたちには目もくれず、踵を返した。
「アレクセイ。あとは任せる。…私は報告書の続きがある」
ガルシスは跳躍し、再び塔の上層へと消えていった。
残されたのは、静寂と、放心状態の騎士たち。
「あ、あぁ…」
ガウェインは膝から崩れ落ちた。
国の秘宝が。最後の切り札が。
ただの『石』にされて持ち去られた。
「私の切り札が…サウナの石ころに…」
彼らには、もう戦う気力も、帰るための装備も残されておらず、退却を余儀なくされた。




