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第二十二話「聖騎士の栄光と、迫り来る白影」

 聖王国軍がバベル・ガーデンに侵入してから、丸二日が経過しようとしていた。


 彼らが彷徨っているのは、未だに「迷宮エリア」と呼ばれる下層部。


 無限に続くかと思われる緩やかな上り坂は、重装備の騎士たちにとって、拷問器具そのものとなっていた。


 カツーン…カツーン…。


 足音が重い。


 二千名の精鋭たちの顔からは、もはや生気というものが削げ落ちていた。


 何より彼らを追い詰めたのは、「敵が出てこない」という異常事態だった。


「…団長。もう、限界です」


 副官が、渇ききった唇を震わせて訴える。


 彼の後ろでは、数名の騎士が座り込み、うつろな目で天井を見上げていた。


「弱音を吐くな!」


 先頭を歩くガウェインが、枯れた声を張り上げた。


 彼自身の顔色も土気色だが、その瞳だけは狂信的な光を宿している。


「これは試練だ!神が我々に与え給うた、信仰心を試す試練なのだ!」


 ガウェインは剣を抜き、見えない敵に向かって叫んだ。


「魔物の幻惑に負けるな!この苦難の先には、必ずや栄光と財宝が待っている!我々は聖騎士だ!選ばれし民なのだ!」


 その熱弁は、空虚な回廊に虚しく反響した。


 騎士たちの心境は、もはや信仰とは程遠い場所にあった。


(…いや、ただの坂道だし)


(腹減った…帰りたい…)


(栄光とかいいから、うまいもん食わせろー…)


 彼らを繋ぎ止めていた緊張の糸は、今にも切れそうだった。


 何か一つ、きっかけがあれば崩壊する。


 そんなギリギリの均衡が保たれていた、その時だった。


 ズズズズズズズ…。


 前方――上層の奥深くから、腹に響くような重低音が聞こえてきた。


 それは次第に大きくなり、床を微かに震わせる。


「…!」


 ガウェインの顔色が輝いた。


「来たか!ついに魔物が現れたか!」


 彼は歓喜した。


 敵がいる。倒すべき相手がいる。


 それは、この無意味な行軍に「意味」が生まれる瞬間だった。


「全軍、構えろ!我らの聖剣で浄化してくれる!」


 騎士たちもまた、悲壮な決意で武器を構えた。


 戦って死ぬなら本望だ。


 この終わりのない徒歩地獄から解放されるなら、ドラゴンでも悪魔でも歓迎する。


 ズズズズズズ…!!


 音はコーナーの向こうから迫ってくる。


 巨大だ。音の響きからして、体長十メートルは下らない巨獣に違いない。


「来るぞ…ッ!」


 ガウェインが剣を振り上げる。


 そして、曲がり角から「それ」が姿を現した。


 ぬっ


 現れたのは、ドラゴンではなかった。


 悪魔でも、キメラでもなかった。


 それは、通路の幅いっぱいに広がる、巨大な「白い箱」だった。


 白く滑らかなミスリル製のボディ。


 底面には無数のブラシが回転し、前面にはセンサーのような赤い光が明滅している。


『…定期清掃を開始します。足元にご注意ください』


 無機質な合成音声が、回廊に響き渡った。


「…は?」


 ガウェインがポカンと口を開ける。


 騎士たちも呆気にとられ、剣を下ろした。


 それは、どう見ても「兵器」ではなかった。


 あまりにも場違いな、圧倒的な「生活感」を漂わせる物体。


 あえて名付けるなら、「超巨大自動清掃機ゴーレム」。


 通り過ぎた場所が綺麗になっていく。


『障害物を検知。…そこを退いてください。掃除の邪魔です』


 ゴーレムは止まらない。


 通路を塞ぐ聖騎士団を「障害物」と認識し、ジリジリと迫ってくる。


「お、のれ…!我らを『邪魔』だと!?」


 ガウェインのプライドが爆発した。


 聖騎士団を前にして、退けとは何事か。


「魔導兵器の類か!怯むな!形が変わろうと魔物は魔物!鉄屑にしてくれる!」


 ガウェインは吼え、聖剣に魔力を込めた。


「聖技・閃光十字斬グランド・クロス!!」


 必殺の一撃が炸裂する。


 眩い光の刃が、ゴーレムの正面装甲を直撃した――はずだった。


 カィィィン!!


 甲高い音が響き、光の刃が弾け飛ぶ。


 ゴーレムの装甲には、傷一つ付いていなかった。


 当然である。


 このゴーレムは、真音やラズリが暴れた後の細かい瓦礫すら掃除するために作られた、超硬度ミスリルコーティング仕様なのだ。


 ただし、平らに近い床でしか機能しないが。


『…頑固な汚れを検知』


 ゴーレムの赤い目が、ガウェインをロックオンした。


『通常吸引では除去不能。…「強力洗浄モード」へ移行します』


 ウィィィィン!!


 ゴーレムの前面パネルが開き、巨大なノズルが出現した。


「な、なんだ!?」


 ブシャアアアアアアアアッ!!


 ノズルから噴射されたのは、炎でも氷でもなく――「高粘度洗剤(スライム粘液配合)」だった。


 強烈な石鹸の香りと共に、ヌルヌルの液体がガウェインと先頭集団を直撃する。


「ぐわあああ!目があああ!しみるぅぅぅ!」


「ぬるぬるする!剣が握れん!」


 さらに、ゴーレムの下部から高速回転するデッキブラシが飛び出した。


『汚れをこすり落とします』


 ギュルルルルルルッ!!


「あだだだだだ!痛い!こするな!鎧が剥げる!」


 ガウェインたちは洗濯物のように揉みくちゃにされ、磨き上げられ、そして――。


 スポーン!!


 ピカピカ(かつヌルヌル)になった状態で、通路の脇へと弾き飛ばされた。


『清掃完了』


 ゴーレムは何事もなかったかのように、再び前進を始めた。


 その背後には、塵一つない綺麗な床と、泡まみれで伸びている騎士団長が残された。



◆◇◆◇◆



 その光景を見ていた騎士たちの心の中で、何かが音を立てて折れた。


 恐怖ではない。


 圧倒的な敗北感でもない。


 それは、どうしようもない「虚無感」だった。


「…団長…?」


「汚れ…?俺たちは、汚れなのか…?」


 彼らは聖戦に来たつもりだった。


 命を賭けて、戦うつもりだった。


 だが、現実は違った。


 彼らはこの塔にとって、敵ですらない。


 ただの「廊下のシミ」扱いなのだ。


『進路を空けてください。業務の妨げになります』


 ゴーレムが淡々と迫ってくる。


 その無機質な言葉が、騎士たちの心を粉々に砕いた。


「…もう、嫌だ」


 誰かが呟いた。


「こんなの、聖戦じゃねえよ…!ただの掃除じゃねえかよ!」


 カラン。


 一人が剣を捨てた。


「帰る…!俺は帰るぞぉぉぉぉ!!」


「ま、待て!敵前逃亡は死罪だぞ!」


「掃除機に殺されるよりマシだぁぁぁ!」


「ママァァァーーッ!!」


 パニックは伝染した。


 二千名の騎士が、我先にと来た道を駆け下り始めた。


 上りは地獄だった坂道も、下りは楽だ。


 しかも、ゴーレムの洗剤で床がヌルヌルになっているため、彼らはウォータースライダーのように凄まじい速度で滑り落ちていく。


「わああああああ!!」


「止まれねええええ!!」


 悲鳴と共に、聖王国軍は濁流のように塔から排出されていった。


「ま、待て…!戻れ…!私の…私の栄光が…!」


 泡まみれのガウェインが、ふらふらと立ち上がり手を伸ばす。


 だが、彼の横をゴーレムが無慈悲に通り過ぎていく。


 ドンッ。


 ゴーレムの側面が軽くガウェインに当たり――彼もまた、ヌルヌルの床に足を取られ、部下たちの後を追って滑落していった。


「ぬわあああああああ…ッ!!」


 断末魔(?)が遠ざかっていく。


 後には、ピカピカに磨かれた廊下と、爽やかな石鹸の香りだけが残った。



◆◇◆◇◆



 上層、総務室。


 モニター越しにその一部始終を見ていたルミナは、呆れたように肩をすくめた。


「お客様、お帰りのようですね」


 彼女は手元の資料に『撃退完了』のスタンプを押した。


「さて、玄関の掃除が必要ですね。大量の『生ゴミ』が吐き出されたでしょうから」


 ルミナはスマホを取り出し、メルキオラスにも連絡をした。


「賢者様。例のご一行様方はお帰りになられました。ええ。ええ。はい、以上です」


 大家は、ついに一度も目を覚ますことはなかった。


 聖王国の威信をかけた大侵攻は、たった一台の掃除機によって、歴史上最も恥ずかしい敗北として幕を閉じたのである。


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