第十六話「緑の迷宮と、寄生する捕食者」
世界樹の内部は、まるで巨大な生物の胃袋のようだった。
壁面はエメラルド色の樹液で濡れ、脈打つように発光している。
真音は、垂直に伸びる樹の空洞を落下しながら、周囲の異様さに眉をひそめた。
「臭い…」
本来なら清浄な樹液の香りがするはずの場所だが、今は明らかな「腐敗臭」が充満している。
ダンッ、と着地した場所は、樹の空洞が広場のように開けた空間だった。
そこは地獄絵図だった。
神聖な世界樹の床が、ドス黒い紫色の粘液で覆われ、壁の至る所が壊死したように変色し、ただれている。
シュルルル…。
暗がりから、無数の触手が伸びてきた。
それは植物の根のようでもあり、肉塊のようでもあった。
「鑑定解析…出た」
追ってきたメルキオラスが、肩の上で嫌悪感を露わにする。
「『パラサイト・イーター(寄生捕食種)』。太古の時代、世界樹に寄生して養分を吸い尽くし、大陸を一つ枯れ果てさせた害虫だ。絶滅したはずなのに…地下深くで眠っていた卵が、最近の活性化(お湯や膨大な料理の数々)で孵化しちゃったんだ!」
ズズズッ…
粘液の海が盛り上がり、触手の主が姿を現す。
それは、巨大な百足と食虫植物が醜悪に融合したような姿をしていた。
体長は優に三〇メートルを超えている。
甲殻の隙間からは、吸い上げたばかりの世界樹のマナが、蛍光色に漏れ出していた。
「キシャアアアアアッ!!」
怪物が咆哮すると、周囲の樹壁がビリビリと震え、頭上からパラパラと樹皮や木片が落ちてくる音がした。
「なるほどね。こいつが養分を吸うから、世界樹が苦しんで暴れてたわけか」
真音は冷静に、愛用の黒い大剣の柄に手をかけた。
だが、メルキオラスが鋭く警告する。
「待って真音ちゃん!ここで全力の『鬼火』や剣技を使っちゃダメだ!」
「なんでよ?一撃で消し飛ばすわよ」
「こいつ、世界樹の『主要神経』に根を食い込ませてる!下手に衝撃を与えたり、焼き払ったりしたら、世界樹の神経が焼き切れて、この大木が壊死する!そうなれば、バベル・ガーデンも全壊だよ!」
真音の動きが止まる。
つまり、「家の中で、家具や壁を一切傷つけずに、暴れる巨大怪獣を退治しろ」と言われているようなものだ。
しかも相手は、こちらの攻撃を躊躇させるように、樹壁を盾にして動き回っている。
「…面倒くさい」
真音は舌打ちをした。
怪物の鋭利な鎌が、真音の首を狙って振り下ろされる。
ヒュンッ!
彼女はそれを紙一重でかわすが、余波で壁が傷つき、世界樹が悲鳴のような振動を起こす。
『ぬおおおっ!真音、早くしてくれ!第3区画の支柱が限界だ!我の翼も痺れてきたぞ!』
外でバベル・ガーデンを支えているラズリの、苦悶のテレパシーが届く。
時間がない。力任せの解決もできない。
絶体絶命の制約(縛り)バトル。
しかし、真音の口元には、久しぶりに、危険を楽しむような、不敵な笑みが浮かんでいた。
「いいわよ。そういう『理不尽な縛りプレイ』、嫌いじゃない」
真音は大剣から手を離した。
代わりに、エプロンのポケットから一本の細いミスリルナイフを取り出す。
本来はヴォルグが果物を剥くために使う、切れ味鋭いペティナイフだ。
「くまちゃん、『外科手術』の時間よ」
「えっ、まさか」
「この図体だけの寄生虫を、世界樹から綺麗に『剥離』する」
真音は地面を蹴った。
正面からぶつかるのではない。
彼女は、怪物の背中にふわりと飛び乗り、その巨体が樹壁に触れないよう、自らの体幹とバランス感覚だけで制御し始めたのだ。
「暴れないでね?…麻酔なしでいくから」
暗闇の中、真音のナイフが閃く。
それは破壊の剣技ではない。彼女が持つ「解体と切除」の技術を、神速の域まで高めた神業だった。




