第十五話「世界樹の悲鳴と、崩れゆく日常」
その異変は、平和ボケしそうになるほど穏やかな真夜中に、唐突に訪れた。
ドクン…ッ!!
地鳴りではない。
それはもっと生々しく、巨大な心臓が不整脈を打ったような、底知れぬ圧迫感だった。
大気中のマナが軋み、空間そのものが悲鳴を上げている。
最上層『樹洞の聖域』。
世界樹の幹の内部にあるこの絶対不可侵領域で、泥のように眠っていた真音は、直後に襲ってきた激震によって物理的に叩き起こされた。
ズガガガガガガガッ!!
「…痛っ!?」
体が宙に浮き、テーブルの脚に側頭部を強打する。
真音は涙目で呻き、不機嫌の塊となって布団から這い出した。
普段なら、どんな軍勢が攻め込んで来ようとも、メルキオラスの鉄壁の防音結界が騒音を遮断してくれる。
だが、音は消せても、天地を揺るがすような『物理的な振動』までは防ぎきれない。
ましてや今回の揺れは、外からではなく、内側(足元)である、床――すなわち世界樹そのものから、苦悶の咆哮として響いてきていたのだ。
「なにこれ!?」
「真音ちゃん、まずいよ!これを見て!」
メルキオラスが、いつになく焦った声を張り上げる。
彼が空中に展開した数十の監視モニターは、その全てが危険信号を示す深紅に染まっていた。
「魔力モニターが計測不能を起こしてる!バベル・ガーデンの土台である『世界樹』のマナ循環が逆流して、痙攣を起こしてるんだ!」
「世界樹が…?」
真音が窓の外へ視線を走らせると、そこには信じがたい光景が広がっていた。
世界樹の幹にへばりつくように増築された、バベル・ガーデンの石造り居住区画。
その堅牢な外壁に、樹皮の下から盛り上がった太い「根」や「枝」が、まるで浮き出た血管のようにメリメリと食い込んでいる。
みしみし、と岩が砕ける音が響く。
それはまるで、家(世界樹)そのものが、背中に背負った異物を拒絶し、振り落とそうとしているかのようだった。
バキバキバキッ!!
轟音と共に、第3居住区画(勇者たちの宿舎)の基部が弾け飛び、巨大な根が室内に侵入する。
支えを失った居住区画が、重力に引かれて傾いだ。
「うわあああ!床が抜けるぞ!」
「逃げろ!世界樹が暴れてやがる!」
「隊長!第3区画が崩落します!出口が塞がれました!」
下層からは、数千人の悲鳴と怒号、そして破壊音が不協和音となって響いてくる。
バベル・ガーデンの崩壊だ。
このままでは、居住施設という「機能」が、物理的に圧殺される。
「くまちゃん、原因は!?」
「解析急ぐよ…わかった!世界樹の深層領域で、魔力循環システムが暴走してる!まるで、体の中に『猛毒』を打ち込まれて、高熱を出してのたうち回っているみたいだ!」
真音の顔色が変わる。
土台である世界樹が倒れれば、そこに沿うように築かれたバベル・ガーデンも、ガルシスの温泉も、アレクセイの牧場も、すべてが雲海の下へと崩落し、塵となる。
そして何より――。
「…私の家を、勝手にリフォームしようとするなんて」
真音の双眸に、寝起きの不機嫌さを超えた、冷徹な「大家」の光が宿る。
だが、今回は殴るべき「不届き者」が目の前にいない。暴れているのは、この巨大な家の「大黒柱」そのものなのだ。
下手に力任せに暴れれば、自分がトドメを刺して世界樹をへし折ってしまう。
「ラズリ!」
『御意!我が君の意図、心得た!』
主の思考を瞬時に読み取り、ラズリが即座に巨大化してテラスから飛び出す。
彼は蒼い鱗を煌めかせながら外壁沿いを旋回し、崩落寸前の第3居住区画を下から物理的に支えた。
『ぬぅ…重いぞ!真音、長くは持たん!これ以上暴れられれば、支えられる限界を超える!』
「わかってる!くまちゃん、世界樹の『患部』はどこ!?」
「ここから真下!深度一五〇〇、樹の心材部分だ!でも、そこには通路なんてないよ!?転移しようにも魔力乱流が酷すぎて座標が定まらない!」
「通路がないなら、開けるまでよ」
真音は床(世界樹の幹)に手を当てた。
掌を通して、巨木の苦しみと、脈打つ膨大なエネルギーを感じ取る。
彼女は深く息を吸い込み、魔力ではなく、純粋な腕力だけで拳を振り上げた。
狙うは、樹の繊維の隙間。
世界樹の構造強度を落とさず、かつ最短距離で患部へ到達するための、針の穴を通すような一点。
「開通(トンネル・工事)!!」
ズドォォォォンッ!!
精密かつ暴力的な一撃が床を貫いた。
衝撃波が抜け、人間一人が通れるだけの綺麗な縦穴が開通する。
その奥からは、濃厚すぎるマナの奔流と、腐った果実のような鼻を突く異臭が吹き上げてきた。
「行ってくる。…ルミナたちには伝えて。『避難誘導を頼む』って」
それだけ言い残し、真音は躊躇なく穴の暗闇へと飛び込んだ。
そこは、バベル・ガーデンの住人すらその存在を知らない、世界樹の体内ダンジョンだった。




