第十三話「牧場主の出世と、焦燥の魔王」
数日後。
真音は、今日も今日とて、こたつで至福の時を過ごしていた。
テーブルの上には、アレクセイが献上した「極上スライム・ドロップ」が綺麗に積まれている。
「ん〜っ…幸せ…」
一粒口に放り込むたびに、真音の頬が緩む。
その様子を満足げに見つめるメルキオラス。
「さて、真音ちゃん。この『極上ドロップ』の安定供給についてだけど」
「うん、絶対に切らさないでね。これがない生活にはもう戻りたくない」
「了解。そこで提案なんだけど、牧場のアレクセイくんを昇進させようと思うんだ」
メルキオラスが空間ジッパーから一枚の辞令書を取り出した。
「現在の小規模な飼育小屋じゃ、クイーン個体のストレスケアに限界がある。そこで、地下中層の未開発エリアを彼に与えて、『大牧場』として拡張する。部下として魔族の兵士を数十名つけて、組織的な生産体制を作らせるべきだと思うんだ」
「ふーん。いいんじゃない?あいつ、意外と真面目だし」
真音は興味なさげに、しかし即決で許可を出した。
美味しいグミが食べられるなら、誰がどの地位にいようと関係ない。
「よし、決まりだね。じゃあ、彼を呼んでくるよ」
◆◇◆◇◆
一時間後。
呼び出されたアレクセイは、真音たちの前で直立不動の姿勢をとっていた。
先日までの薄汚れた作業着ではない。
メルキオラスから支給された、真新しい深緑色の制服(牧場長モデル)に身を包み、髭も剃り、髪も整えられている。
その顔つきは、かつての「勇者」の精悍さを取り戻しつつあった――ただし、その瞳にあるのは正義感ではなく、職務への忠誠心だが。
「勇者アレクセイ。君を本日付けで『準幹部・牧場統括責任者』に任命する」
メルキオラスが辞令書を読み上げる。
「地下中層の第五エリア全域を『バベル牧場』とし、君にその運営を一任する。部下として魔族兵五〇名を配属するから、しっかり指導してくれたまえ」
「は、ハッ!!謹んで拝命いたします!!」
アレクセイは感極まった声で叫び、敬礼した。
準幹部。
それは、ただの債務奴隷からの脱却を意味する。
個室が与えられ、食事がグレードアップし、何より「部下を持つ」という社会的地位が得られるのだ。
「期待してるわよ、牧場長。…もし品質が落ちたら、あんた自身をスライムのエサにするからね」
真音がニッコリと笑いながら釘を刺す。
「肝に銘じます!!必ずや、大家様にご満足いただける最高のスライム・ドロップを、未来永劫捧げ続けます!!」
アレクセイは深く頭を下げた。
その背中には、もはや迷いなど微塵もなかった。
彼は見つけたのだ。剣を振るうことだけが強さではない。
「育てる」という行為の中にこそ、真の英雄の道があることを。
◆◇◆◇◆
その夜。
従業員食堂は、アレクセイの昇進の話題で持ちきりだった。
「聞いたか?あの勇者が準幹部だってよ!」
「すげぇな…。聖女様、将軍、そして勇者。あいつら、完全にバベル・ガーデンの実権を握り始めてやがる」
「俺たちも頑張れば、いつかは…」
兵士たちの間に、希望のような空気が漂う。
過酷な労働環境であることに変わりはない。
だが、「成果を出せば評価される」という事実は、彼らのモチベーションを劇的に変えていた。
一方、そんな喧騒とは無縁の地下最下層。
ボイラー室の冷たい床で、一人、配給の冷めたスープを啜る男がいた。
魔王ガルシスである。
頭上を走る無数の配管からは、上層の楽しげな宴の声が、皮肉なほどよく響いてきていた。
(…なぜだ)
彼はスプーンを握りしめ、震えていた。
(ヴォルグは厨房の王となった。あの小娘はバベル・ガーデン全体を支配している。そして宿敵だった勇者までもが、一国一城の主(牧場長)となり、準幹部の座を手に入れた…)
それに引き換え、自分はどうだ。
来る日も来る日もボイラー室に籠もり、配管と睨めっこをし、0.1度の温度調整に神経をすり減らす日々。
部下などいない。あるのは、孤独と蒸気だけ。
(私は魔王だぞ…?かつて世界を恐怖させた、闇の支配者だぞ…?)
ガルシスは周囲を見渡す。
かつての部下たちは、今やヴォルグやルミナの指揮下で生き生きと(死んだ目で)働いている。
自分だけが、取り残されている。
この塔のヒエラルキーの最底辺に。
「…認めん」
ガルシスはスープを飲み干し、立ち上がった。
「このまま終わってたまるか。…私にも、何かできるはずだ。あの大家を唸らせ、私の価値を認めさせる『何か』が…!」
魔王の瞳に、久々に野心の炎が灯る。
だがそれは、世界征服の野望ではない。
「どうすれば大家に褒めてもらえるか」という、涙ぐましい社畜の闘志だった。
魔王ガルシス。
彼がボイラー室の熱気を利用した『ある画期的な発明』で塔に革命を起こすのは、もう目前に迫っていた。




