表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/24

第十二話「泥塗れの帰還と、至高の宝石」

 その日の午後。


 バベル・ガーデン最上層『樹洞の聖域』は、いつもの静寂に包まれていた。


 真音はこたつに入り、メルキオラスは読書をし、ラズリは真音の膝の上で丸くなっている。


 ここには、許可なき者は風の音ひとつ入ることは許されない。


 ジジジ…。


 虚空から呼び出し音が響いた。


「おや、ルミナくんからだ」


 メルキオラスが空中に指を走らせ、モニターを展開する。


 そこには、総務室にいるルミナの姿が映し出されていた。


『大家様、賢者様。地下牧場よりアレクセイ牧場長が帰還しました。「成果物」の提出を希望しております』


 その言葉に、真音の耳がピクリと動いた。


 彼女はガバッと身を起こし、モニターに食らいつくように叫んだ。


「通して!今すぐ!」


「了解。…転送ゲート、接続」


 メルキオラスが指を鳴らす。


 部屋の入り口付近の床に魔法陣が浮かび上がり、光と共に二つの人影が現れた。


 一人は、凛とした立ち姿のルミナ。


 そしてもう一人は、泥と粘液にまみれ、異臭を放つ男――勇者アレクセイだった。


「し、失礼いたします…ッ!」


 アレクセイはその場に膝をつき、深く頭を下げた。


 その姿は酷いものだった。


 髪は固まり、作業着はボロボロ。


 だが、その手には小さな桐の箱が、命よりも大事そうに抱えられていた。


「あら、汚い。…で、持ってきたの?」


 真音の視線は、アレクセイ自身ではなく、箱に釘付けになっている。


「は、はい…!」


 アレクセイは震える手で箱を差し出した。


「クイーン個体からの初採取…成功いたしました。環境調整に二週間、一睡もせずに見守り続け、マッサージと魔鉱石の投与を行い、ようやく分泌された最高純度、SSランクの『スライム・ドロップ』二箱分です」


 ゴクリ。


 真音が生唾を飲み込む音が、静かな室内に響いた。


「…見せて」


 真音が手招きする。


 アレクセイが箱の蓋を、ゆっくりと開けた。


 その瞬間。


 フワァァァァ…!


 部屋の中に、甘美な香りと共に、虹色の光が溢れ出した。


 異臭を放つアレクセイの匂いが圧倒された。


 いや、浄化された。


「わあ…っ!」


 箱の中に整然と並んでいたのは、親指大の半透明な球体。


 だが、それはただのグミではない。


 内部で高密度の魔力が螺旋を描いて揺らめき、まるで生きているかのように脈動している。


 最高級のダイヤモンドすら霞む輝き。


 養殖グミとは次元が違う。


 これが「クイーン」の力だ。


「くまちゃん!見て!この輝き!」


「うんうん、素晴らしいね。これは市場に出せば、一粒で家が建つレベルだよ」


 メルキオラスも感心したように頷く。


 真音は震える指で、一粒をつまみ上げた。

 

 ぷにゅん。


 指先に伝わる、吸い付くような弾力。


 硬すぎず、柔らかすぎず、指紋すら弾き返すような高貴な張り。


 真音はうっとりと目を閉じ、それを口へと運んだ。


 ――プチュッ。


 薄氷のような表面の皮が弾ける、繊細な音。


 その直後。


「んん〜ッ…!」


 真音が身をよじらせ、こたつ布団に顔を埋めた。


 口の中で爆発する、濃厚な果実のような甘味と、ねっとりとした食感。


 そして何より、体中の細胞が歓喜の歌をあげるような、純粋な魔力の奔流。


 脳髄を直撃するような美味。


 スライム・ドロップ禁欲生活が、その感動を何倍にも増幅させていた。


「これよ…!私が求めていたのは、これなのよ!」


 真音は恍惚の表情で咀嚼を続ける。


 その咀嚼音ですら、この部屋では神聖なBGMのように響いた。


 彼女の頬は紅潮し、尻尾(見えないが)がブンブンと振られているのが幻視できるほどだ。


「どうですか、大家様…?」


 アレクセイが恐る恐る尋ねる。


 彼の顔色は蒼白だ。


 もし「微妙」と言われれば、彼は今度こそ牧場の土になる覚悟だった。


 真音はゆっくりと目を開け、アレクセイを見た。


 その瞳は、とろりと潤んでいる。


「…合格よ」


「っ…!!」


 アレクセイはその場に崩れ落ち、男泣きした。


 「うぁぁぁぁ…よかったぁぁぁ…!」


 王都で英雄と称えられた時よりも、今この瞬間が嬉しかった。


 自分の命が繋がった安堵と、絶対的な支配者を満足させた達成感で、涙が止まらない。


「よくやったわ、勇者。…褒美に、この一箱はアンタたちにあげる」


 真音は気前よく、山積みになった箱の一つを放り投げた。


「えっ?い、いいんですか!?これ一箱で、城一つ二つは買えるのでは!?」


「ええ。みんなにも配ってあげなさい。…これ、すっごく元気が出るから、明日からも馬車馬のように働きなさい」


「あ、ありがとうございます!!一生ついていきます!!」


 アレクセイは箱を抱きしめ、何度も礼を言った。


 その様子を見て、ルミナも安堵の息をつき、静かに微笑んだ。


 彼女にとっても、かつての仲間の成功は喜ばしいことだったのだ。


「では、私たちはこれで失礼いたします。…行くわよ、牧場長。まずは泥を落としてきなさい」


「はいっ!ルミナ部長!」


 二人が転送ゲートを通って消える。


 部屋には再び、静寂と平和が戻った。


「やれやれ。これでやっと、平和な日常が戻ってくるね」


 メルキオラスが茶をすする。


 ラズリは真音の膝の上で、おこぼれのグミをもらって喉を鳴らしている。


 窓の外には、どこまでも広がる青い空。


 地下では魔王がお湯を沸かし、厨房では将軍が肉を焼き、牧場では勇者がスライムを育てる。


 そして大家は、こたつで至福の時を過ごす。


 それは、バベル・ガーデンに訪れた、かりそめながらも完璧な平和な午後だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ