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第十一話「聖女の雷と、ガラクタの有効活用」

 世界には、ドラゴンが咆哮するよりも、魔王が呪文を詠唱するよりも恐ろしい「音」が存在する。


 それは、静寂だ。


 逃げ場のない、針のむしろのような、絶対零度の静寂である。


 バベル・ガーデン最上層。


 普段は柔らかな陽光と甘いお菓子の香りに包まれているはずのその場所は、今まさに処刑台の如き重苦しさに支配されていた。


「…反省、していますか?」


 鈴を転がすような美声。


 だが、そこに含まれる温度は氷点下だった。


 部屋の中央、最高級の畳の上で、バベル・ガーデンの支配者たちが小さくなって正座をしている。


 一人は、神話級の魔獣を素手で粉砕する大家・真音。


 一人は、古代のあらゆる禁呪を操る大賢者・メルキオラス。


 そしてもう一人は、本来の姿から猫サイズに縮こまり、震えている蒼天竜・ラズリ。


 彼らの視線の先には、一人の人間の女性が仁王立ちしていた。


 聖女ルミナ。


 彼女の左腕には、メルキオラスが与えた『絶対権限腕章(総務部長モデル)』が嵌められている。


 その黄金の輝きは、今の彼らにとって、神の裁きを下す雷の如く見えた。


「は、はい…」


「面目ない…」


「う、うむ…」


 三人の口から、情けない謝罪が漏れる。


 物理的な戦闘力であれば、ルミナなど瞬き一つで消滅させることができる。


 しかし、彼らは動けない。


 なぜなら、彼女が突きつけているのは「暴力」ではなく、「正論」という名の回避不能魔法だからだ。


「地下深層『封印区画』での大規模戦闘。それによるバベル・ガーデン周辺の一部地盤沈下、および魔力汚染の浄化コスト。…そして何より」


 ルミナは、手に持っていた羊皮紙の束――分厚い被害報告書を、バシンッ!!とテーブルに叩きつけた。


 その乾いた破裂音に、真音の丸い熊耳がビクリと跳ね上がり、ラズリが「ひぅ」と情けない声を漏らす。


「貴方様方が『お散歩』を楽しんでいる間、総務部のスタッフがどれだけ胃を痛め、どれだけのクレーム処理に追われたか、想像しましたか?昨夜だけで、我々、総務部員全員の残業時間は合計一〇〇時間を超えました。これによる過労により、本日の業務効率が大幅に下落しています」


 ルミナが眼鏡(伊達メガネだが、威圧感向上のために装着した)の位置を中指で押し上げる。クイッと。


 レンズの奥の瞳は、笑っていない。


「だ、だって…!あっちが先に撃ってきたし…それに、すごく大きくて強そうだったから、つい…」


 真音が目を泳がせながら、精一杯の愛想笑いを浮かべて言い訳を試みる。


 だが、それは火に油を注ぐ行為だった。


「言い訳をしないッ!!」


 落雷のような一喝。


 真音は「うぅ」と唸り、しゅんと首を垂れた。


 バベル・ガーデン最強の大家が、一介の管理職に完全敗北した瞬間だった。


 ルミナは深く、長く、ため息をついた。


 怒鳴り散らしてスッキリするほど、彼女は未熟ではない。


 重要なのは過去の清算ではなく、未来の利益だ。


 彼女は意識を切り替え、冷徹な計算機としての顔に戻った。


「はぁ…。まあ、起きてしまったことは仕方ありません。壊れた床は直せばいい。減った資金は稼げばいい。…問題は、貴方様方が持ち帰ってきた、この『粗大ゴミ』の処理です」


 彼女が指差した先――ガラス窓の向こうにある中庭広場には、異様な光景が広がっていた。

 メルキオラスが空間魔法で回収してきた、巨神兵器ティタノマキアの残骸が、小山のように積み上げられているのだ。


 陽光を浴びて虹色に輝く装甲板。


 まだ微かに駆動音を響かせる半壊した動力炉。


 そして、空を切り裂くために研ぎ澄まされた、ひしゃげた光の翼。


 そのすべてが、伝説の神造金属――オリハルコンの塊である。


「これ、売れば高いわよね?」


 真音が現金を思い浮かべて目を輝かせる。


 だが、ルミナは冷ややかな視線でそれを射殺した。


「論外です。これほどの量のオリハルコンを市場に流せば、相場は大暴落します。それどころか、各国の軍部が血眼になって買い漁り、新たな戦争の火種になるでしょう。…余計な仕事を増やさないでください」


「ううっ…ごめんなさい」


「今回は、塔の内部資産として、『設備投資』に使わせていただきます」


 ルミナは視線をメルキオラスに向けた。


「賢者様。これを資材として再加工することは可能ですか?」


「お安い御用だよ。純度一〇〇%のオリハルコンなんて、現代の精製技術じゃ絶対に手に入らない代物だ。最強の剣でも、魔法を弾く鎧でも、なんでも作れるよ」


 メルキオラスがポンと胸を叩く。


 それを聞いたラズリが、目を輝かせて身を乗り出した。


「ほう!ならば我が爪を強化する装飾品を…!」


「却下です」


 ルミナが食い気味に即答する。


「ラズリ様はこれ以上強くなる必要はありません。現状でも過剰戦力です。…今回は、もっと建設的かつ平和的なことに使います」


 ルミナはパンと手を叩き、部屋の外に控えていた人物を招き入れた。


「入りなさい、ヴォルグ料理長」


「し、失礼いたします!」


 入ってきたのは、パリッとした純白のコックコートに身を包んだ、オーク・ロードのヴォルグだった。


 彼は入室するなり、直立不動で敬礼をした。


 だが、その視線はすぐに窓の外の「ゴミの山」へと吸い寄せられた。


 彼の鼻が、フゴフゴと激しく鳴る。


「おぉ…!こ、これが伝説の金属、オリハルコン…!なんという神々しさ…!」


「料理長、以前の定例会議で嘆いていましたね。『今のフライパンでは熱伝導率が悪く、大家様の求める究極のウェルダンを焼くのにムラが出る』と」


「は、はい!その通りであります!ミスリル製でも限界がありまして…!」


 ヴォルグは熱弁した。


 それは、料理人にしか分からない、しかし彼にとっては死活問題となる微細な狂いだった。


 ルミナは頷き、メルキオラスに向き直った。


「賢者様。このオリハルコンを用いて、『熱伝導率一〇〇%のフライパン』と『切れ味の落ちない包丁』、そして『食材の鮮度を永遠に保つ保存容器』を作成してください」


「えっ…?」


 メルキオラスが、ぽかんと口を開けた。


 真音もラズリも、耳を疑った。


「オリハルコンで…調理器具を?」


 それは、神をも殺すための最強の金属だ。


 一欠片あれば城が買えるほどの価値がある。


 それを、肉を焼き、野菜を切るために使うというのか。


「はい。何か問題でも?」


 ルミナは真顔だった。


「大家様の食事の質を上げることは、大家様の機嫌を安定させ、ひいては理不尽な暴力を抑制し、塔全体の労働生産性を向上させるための『最重要防衛策』です。巨神兵器の残骸を兵器として使うより、遥かに有意義な活用法かと」


 その言葉に、真音の表情がパァッと明るくなった。


「…ふーん。いいじゃない。それなら許してあげるわ」


 美味しいご飯のためなら、巨神兵器の尊厳などどうでもいい。


 それが真音の価値観だ。


「承知したよ。…やれやれ、ティタノマキアも、まさか数千年ぶりに目覚めて、ステーキを焼くために再誕するとは思わなかっただろうね」


 メルキオラスは苦笑しながら、魔法陣を展開した。


 眩い光と共に、破壊の象徴だった兵器が、溶解し、再構築されていく。


 こうして、世界を滅ぼすはずだった最強の兵器は、世界中の美食家が卒倒するような「神話級キッチンツール」へと生まれ変わった。


 この日以降、従業員食堂のメニューの質が劇的に向上し、ヴォルグの焼く「究極のウェルダン」が真音の舌を唸らせることになるのだが――それはまた別のお話。


「では、お説教は以上です。…次はありませんよ?」


 ルミナが眼鏡をキラリと光らせる。


 最強の三人は、「はい」と素直に頭を下げるのだった。


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