第5章 「報告書 ― 粛清の会議」
帝国査察庁 第3会議室。
分厚い石の扉が軋みを上げて閉じられた。
会議室の部屋では誰も笑っていない。
ただ、黒い制服の査察官たちが並び、中央に一人、地底湖のホテルから宿泊して戻った男、バドレスが立っていた。
机の上には、彼が提出した報告書。表紙には、はっきりと記されている。
地底湖ホテル《ルミナグロウ》
総合評価:4.9/5.0 ― 極めて優良な宿泊施設と認定。
沈黙が走った。
その静寂を破ったのは、重い靴音だった。
「……誰の許可で、そんな数字をつけた?」
声の主 帝都ホテル《グランドロイヤル》のCEO 、ドナルド・ラッシュ。
彼はゆっくりと報告書を手に取り、読み上げる。
「『接客、清潔さ、体験価値、全項目S評価』……だと?
馬鹿げている。あの地底の泥宿に? 貴様、何を見てきた?」
「真実を、見てまいりました」
バドレスは静かに答える。
「彼らは“効率”ではなく“心”で運営している。数字では測れない幸福が、そこにあった。
評価とは本来、人の心の反映です」
その言葉に、ドナルド・ラッシュの顔が歪む。
「ほう……人の心、だと?」
彼は報告書を机に叩きつけた。
「ならば聞け。数字こそが真実だ! 利益率、回転率、滞在単価どれも我がホテルが上だ!
“心”で飯が食えるか? 甘ったれるな!」
会議室の空気が一気に凍りつく。
「バドレス査察官、貴様の判断は帝都宿ギルドの方針に反する。よって、『反逆行為』として処分を開始する」
副査察官たちが立ち上がり、冷たい鎖を手に近づく。
だが、バドレスは逃げない。
目を閉じ、静かに笑った。
「……あの宿で、俺は久しぶりに“人間”に戻れた。 それだけで十分です」
鎖が音を立てて落ちた。
闇の中へと、彼の姿は消えていった。
◇◇◇
一方そのころ、地底湖リゾート《ルミナグロウ》。
タクミは次の一手を打っていた。
「宿泊だけじゃない。地底湖で“暮らすように過ごす”体験を作るんだ」
モグラ族の子供たちが案内する探検ツアー、
職人が教える土細工のワークショップ、
地底魚を使ったバーベキュー
すべてが「滞在=物語」となる仕掛けだった。
宿泊客は増え続け、SNSで話題沸騰。
「癒しの地底リゾート」として、地上からも人が訪れ始めた。
だが、トランプ・ラッシュも黙ってはいなかった。
「“体験”だと? そんな非効率なことはやらん。我々は“最適化された旅”を提供するのだ」
彼のホテルでは、AIヴァルキュリアが開発した完全自動ツアープログラムが始動。
旅程、移動、食事、睡眠すべてが秒単位で制御される。
客は迷うことも、考えることもない。
だが、そこに感動もまた、存在しなかった。
タクミとトランプ――
二つのホテルは、まったく異なる進化を遂げていく。
片や“心”を育てる癒しの宿。
片や“数字”で支配する帝国の宿。
その狭間で、一人の男
消されたはずの査察官バドレスが、再び目を開けた。
彼の手には、密かに持ち出した一枚の紙。
《帝国ホテル運営データ・最高機密》。
「……次は、俺が裁く番だ」




