第3章 「宿泊客の奪い合い ― 両陣営の異なる戦略」
地底湖の朝は、ゆっくりとした蒸気と静寂で始まる。
《ルミナグロウ》のエントランスには、新しい看板が立っていた。
“癒しと居心地のホテル — 地底に、あなたのもう一つの家を”
ミカが植木鉢の位置を直しながら、柔らかく笑った。
「この看板、少し斜めですね。……でも、それも味かもしれません」
「完璧よりも温かさだ。ここは人の心を休ませる場所だからな」
タクミは頷き、湖面に反射する光を見つめる。
そのころ、地底のフロントには行列ができていた。
ミカが汗を拭いながら、笑顔で応対している。
「ようこそ《ルミナグロウ》へ。
お好きな香りのアロマをお選びください」
温もりのある接客、自然光のような照明、
どこか懐かしい土の匂い
宿泊者たちは「こんな場所、初めて」と声を漏らした。
しかし、その裏では静かな戦略会議が開かれていた。
「地上の《ラッシュイン・ゼロ》が、価格で攻めてきている」
タクミは資料を広げながら言った。
「でも、僕らが勝負するのは“値段”じゃない。“帰りたくなる記憶”だ」
ミカは頷く。
「宿泊後も繋がる仕組みを作りましょう。地底の景色や癒し体験をSNSで共有できるように。
お客様が“自ら広告塔”になるように」
こうして生まれたのが、
宿泊者限定アプリ《GlowBook》だった。滞在中に撮影した写真やコメントを投稿すると、
地底の照明石が反応して淡く光る。
“思い出を光に変えるホテル”という新しい体験が、口コミで拡散していった。
◇◇◇
だが、同じ頃、地上では熱狂が始まっていた。
ビジネスホテル、《ラッシュイン・ゼロ》
「キャンペーン開始だ! “AIがあなたを待っている”を合言葉にだ!」
トランプ・ラッシュの怒号が響き渡る。
巨大スクリーンには、冷たい近未来的デザインの広告が映し出されていた。
予約サイトを開けば、トップには常に《ラッシュイン・ゼロ》のバナーが表示される。
宿泊料金は《ルミナグロウ》の半額、
加えてAIポイントシステム「ゼロ・マイルズ」を導入。
ヴァルキュリアが冷静に報告する。
「一度泊まるごとに“未来割”が貯まる仕組みです。次回以降、半額・延泊無料・自動チェックアウト優先枠など、数字で客を囲い込みます」
トランプは満足げに頷いた。
「数字で動く人間を、感情で止めることはできん。癒しなど、非効率だ。人は利で動く」
だが、ヴァルキュリアの報告の中に一つの提案があった。
「しかし、タクミのホテルは“人の心”を掴むタイプ。単に価格で勝つだけでは、差別化が薄い。
……“破壊者”を呼びましょう」
トランプの目がぎらりと光る。
「呼べ。ホテルガイド階級審査員、バドレスを」
扉が開くと、黒い外套に身を包んだ男が静かに現れた。
無表情、しかし目だけが冷たい蛇のように光っている。
ホテル業界の裏で暗躍する“影の査察官”。
彼が星を与えればホテルは栄え、
彼が星を奪えば、都市すら凍りつくと言われる。
「バドレス。貴様に任務を与える。地底へ行き、あの“ルミナグロウ”を査察せよ。
だが、星を与えるのではない――潰せ。
“最低評価”をつけ、世界中に悪評を流すのだ」
男はわずかに口角を上げた。
「……つまり、“輝きを消せ”ということですね」
トランプはグラスを掲げ、赤い酒を揺らす。
「そうだ。光を奪えば、闇が戻る。それが帝国の流儀だ」
両陣営の戦略、激突
ラッシュ陣営:低価格+AIポイントで短期顧客を大量獲得。
タクミ陣営:体験共有+癒し価値で長期ファンを構築。
観光客たちは二分された。
「安くて便利なラッシュイン・ゼロ派」
「心が休まるルミナグロウ派」
そして、その狭間で暗躍するバドレス。
黒いトレンチを翻し、無言で地底列車に乗り込む。
その目的はただひとつ
タクミの光を、数字と評価で塗りつぶすこと。
地底湖ホテル《ルミナグロウ》
ミカがフロントに立ち、ふと風を感じた。
地下ではありえない、冷たい風。
「……誰かが、来る」
タクミは微笑を崩さず、答えた。
「なら、歓迎しよう。たとえそれが“闇の客”でもね」
地底と地上のホテル戦争、次なる幕が静かに上がるのだった。
ワンポイント解説
「従業員を仲間だとは思わず、働く奴隷だ 。ノルマ優先の“効率至上主義ホテル”」
トランプ・ラッシュのホテル経営は、徹底した数字主義と合理性に基づいている。
その理念はこうだ。
「人は感情で動くな。数字で動け。感情は誤差だ」
彼のもとでは、従業員は“チーム”ではなく“システムの歯車”。
笑顔やホスピタリティは不要、ノルマと結果だけが存在する。
社員たちはAIによって勤務時間や接客ログまで監視され、
ミスをすれば自動的に減給、成果を出せばポイント加算という完全成果主義。
一部のスタッフは疲弊しながらも、
「ラッシュ様に選ばれることこそ栄誉」と洗脳され、
次第に“仕事”ではなく“崇拝”に近い忠誠を見せていく。
この「冷たい機械の帝国ホテル」は、
タクミの“仲間と共に築く癒しの宿”と正反対の存在であり、
物語全体の倫理的コントラストを形成していく。




