第2章 「 居心地と癒しのホテルと効率と安さのホテル」
地底都市再生プロジェクトの成功に湧くタクミは、新たな挑戦を胸に秘めていた。
「次は、……ただの宿泊施設ではなく、体験そのものが価値になるホテルを」
彼が目をつけたのは、地底湖畔に広がる小さな土のカプセルホテルの跡地。以前は古く、暗く、訪れる者も少なかった場所だ。だがタクミはその可能性を見抜いた。
「宿泊は単なる寝床ではない。癒しと体験の場だ」
設計図には、土壁を漆喰で仕上げ、湿気を吸収しつつも暖かみを感じられる空間。洞窟の天然の凹凸を活かし、光る鉱石や小さな噴水を配し、まるでリゾートホテルのような落ち着きと温もりのある空間を作り上げた。
「宿泊客がここでリラックスできるように、地底ならではの癒しを提供するんだ」
タクミは設計士や工事スタッフに指示を飛ばす。
そこに、新たな仲間、ホテルマネージャーのミカが加わった。
肩までの栗色の髪をまとめ、動きやすい服装で現れた彼女は、落ち着いた笑顔でスタッフを見渡し、手際よく指示を出す。
「タクミさん、このホテルでは“居心地の良さ”を最優先にしましょう。効率よりも、お客様がくつろげる体験を」
ミカの指摘は的確で、タクミの理念とぴったり合致していた。
「なるほど……やはり君に任せて正解だ」
タクミは微笑み、二人で地底ホテルのコンセプトをさらに練り上げる。
完成したホテル《ルミナグロウ》は、木漏れ日のような光と漆喰の白い壁、静かに流れる小川の音が心を落ち着かせる。カプセルの一つ一つには、快適な寝具と小型のヒーリングライトが備えられ、宿泊客は地底の自然と調和しながら眠れる。
初めての宿泊予約が入り、客室に案内するタクミとミカ。
「さあ、ここで最高の時間を過ごしてもらおう」
タクミは地底湖のさざめきに耳を傾け、静かに誓った。
◇◇◇
夜更けの街外れ。
雑居ビルの一角に建つ古びたビジネスホテル《ラッシュイン》。
かつて帝国の華やかな宮廷ホテルを仕切っていた男トランプ・ラッシュは、いまそこに左遷され、薄暗いバックオフィスに腰を下ろしていた。
冷たい蛍光灯の下、机には積み上がる未処理の帳簿。
廊下には古びたカーペットの匂い。
かつての華麗な経営者の姿はそこになく、トランプの目は怒りと屈辱で濁っていた。
「……タクミ、あの貧民の小僧が……俺を追い落とした張本人だ。あの“異世界ホテル王”の座、奪い返してやる」
その呟きは、かすれた笑いとともに、深い闇へと消えていった。
そんな彼の背後で、軽やかなヒールの音が響く。
黒のスーツに身を包んだ秘書、ヴァルキュリアが現れた。
白銀の髪を後ろで束ね、冷たい碧眼がタブレットの光を反射する。
軍略家のような精密さを持つ彼女は、静かに書類を差し出した。
「ラッシュ様。分析が完了しました。この地域の宿泊需要は月間稼働率68%。競合は老朽化が進み、リピート率も低下しています」
「……つまり、掘れば金が出る土地だな」
「ええ。ですから――効率化とデータ分析による“完全無人運営”を導入すれば、コストを三割削減できます」
ヴァルキュリアは指先で画面をスライドし、AIによる顧客分析、IoT清掃ドローン、セルフチェックインシステムの映像を次々に映し出す。
ホテルの廊下を自律清掃ドローンが動き、部屋の温度・照明がAIによって最適化される映像に、トランプの唇が歪んだ。
「ほう……人件費ゼロ、クレーム対応も自動AIか。まるで機械仕掛けの帝国だな」
「そうです。効率こそ正義。居心地など、ただの贅沢です。客が求めるのは“便利さ”と“価格”。タクミのような甘い理想は不要です」
ヴァルキュリアの声は冷徹で、どこか誇りすら漂っていた。
トランプは立ち上がり、窓の外の安ホテル街を見下ろした。
「効率……価格……悪くない。ならばやるぞ。ここを再建して、タクミの癒しホテルを叩き潰す!」
翌週、《ラッシュイン》は突如としてリニューアルオープン。
看板には大きく「AIビジネスホテル ラッシュイン・ゼロ」の文字。
宿泊料金は相場の半分、チェックインから精算まで全自動。
客室は狭いが、スマートロック・高速Wi-Fi・マッサージチェア・自動遮光カーテンなど、無駄なく快適な設備が整っていた。
ヴァルキュリアが設計した「300分宿泊体験モデル」はSNSで爆発的に拡散し、出張客・商人・学生・観光客が次々に押し寄せた。
口コミにはこう記されていた。
「安いのに設備が神!」
「チェックインが早い、部屋が超効率的!」
「ここが地方都市とは思えない!」
たった一ヶ月で、稼働率は驚異の98%。
収益率は周辺ホテルの3倍。
地方経済誌は見出しに書いた。
『左遷ホテル、奇跡のV字回復! AIホテル革命の旗手トランプ・ラッシュ!』
だが、その勝利の影には、暗い執念が燃えていた。
トランプは満員のホテルモニターを見ながら、低く笑う。
「見たか、タクミ……“癒し”など時代遅れだ。これが俺の“現実主義のホテル経営”だ……!」
その声を聞いたヴァルキュリアが、無表情のまま深く一礼した。
「次はタクミの地底の《ルミナグロウ》を陥れる番ですね」
トランプの目が、氷のように光った。
「そうだ。タクミの幻想の都を、数字で沈めてやる」
タクミの地底ホテルの温かさと癒し、トランプのビジネスホテルの効率と利益率。二つのホテルの戦いが、いま、激しく幕を開けるのだった。




