第6章 「口コミの炎、帝都を走る。」
それは、ひとつの宿屋ギルドの投稿から始まった。
「小さな宿《紅蓮亭》で、奇跡の一夜を過ごした。
貴族ホテルでは味わえない“本物のもてなし”が、ここにある。」
旅商人が残したその口コミは、帝都中の情報板や商人ギルドで瞬く間に広がった。
“靴を磨く支配人”“焦げた料理を笑顔で出す男”
どれも滑稽なエピソードだったはずが、なぜか読む者の心を打った。
そして、翌日。
紅蓮亭の玄関前には、信じられないほどの行列ができていた。
「満室……? まさか」
リタが予約帳を見て悲鳴を上げる。
ピピは空を飛び回りながら叫んだ。
「きゃー! こっちも予約、三日先まで埋まってるわよ!」
タクミは信じられない思いで、玄関に立っていた。
あの閑古鳥が鳴いていた紅蓮亭が、
今や“帝都で最も話題のホテル”になっていたのだ。
しかし、その知らせを苦々しく見つめる男がいた。
トランプ・ラッシュ。
帝都最大手の若き支配人、そしてタクミと同じ転生者。
「……まさかあの落ちぶれ宿が、俺のホテルより上に?」
彼はグラスを割った。
帝都新聞の見出しには、こう踊っていた。
“貴族のホテルより、庶民の宿が人気――紅蓮亭旋風”
「認めん……。この俺が、敗けるはずがない」
怒りに震えるラッシュは、側近の秘書を呼びつけた。
「準備しろ。紅蓮亭の評判など、一晩で地に落としてやる」
その夜から、“見えない妨害”が始まった。
まず、紅蓮亭に納品していた食材業者が次々と契約を打ち切る。
「申し訳ない、うちも帝都商工会から圧力があってね……」
市場に顔を出したタクミは、異様な空気を感じ取った。
「これ、偶然じゃないな。」
さらに翌日。
予約帳には、見知らぬ貴族名で大量の宿泊予約が。
しかし当日になると、誰も来ない。
結果、紅蓮亭は満室のまま客がゼロ
厨房には食材だけが残り、損失が膨らむ。
「……誰かが、俺たちを潰そうとしている。」
ボルクが低く唸った。
そして三日後。
決定的な一撃が来た。
「保健局からの通達だ。紅蓮亭で食中毒が出たという通報があった」
「はぁ!? 一人もそんな客いませんよ!」リタが叫ぶ。
調査官たちがホテルに押しかけ、厨房を検査する。
だが、証拠はどこにもなかった。
それでも噂は一気に広がる。
「紅蓮亭は不衛生だ」
「裏で何かしている」
帝都の酒場でも市民の間でも囁かれ始めた。
その夜。
タクミは屋上に立ち、帝都の灯を見下ろした。
「やっぱり……トランプ・ラッシュ、か。」
あの男のやり方を知っていた。
地球で“ホテル王”だった頃も、敵対企業を買収し、潰し、踏みにじってきた。
だが、タクミは呟く。
「……俺は、同じやり方では戦わない。」
その目に、かつてないほどの決意が宿った。
「信頼は、金じゃ買えない。口コミは、心が動くから広がるんだ。」
帝都に再び炎が灯る。
それは“妨害の炎”ではなく“信頼の口コミ”という名の炎だった。
ワンポイント解説
■口コミの力
この章は、“信頼”と“嫉妬”の対比がテーマです。紅蓮亭が「心のこもったおもてなし」で評判を高める一方、トランプ・ラッシュは「権力と金で支配するホテル王」としての道を選びます。
タクミとラッシュ――同じ“転生者”でありながら、価値観の差が決定的に浮き彫りになる回です。
また、帝都社会における情報操作や業界の裏構造も描かれており、現代のビジネス社会(特にホテル・飲食業界)の「口コミ」「風評リスク」「営業妨害」などのリアルな問題を、ファンタジー世界の中で寓話的に表現しています。
タクミが信じる“おもてなし”の力は、派手な広告や資金力ではなく、一人の客の感動が、次の客を呼ぶ力になるという信念。それは現代でも通じる、口コミマーケティングの原点ともいえる考え方です。
この回を境に、物語は「宿再建」から「帝都ホテル戦争」へと進化し、
舞台は一気に業界全体の闇へ――。
タクミの信念がどこまで通じるのか、次章で試されることになります。




