第2章 「帝都宿ギルドの門前」
帝都
人と馬車と商人の声が渦を巻く巨大な都市。
高層の塔が立ち並び、王城の白壁が遠くに輝いている。
タクミは古びた地図を片手に、街の中心部にそびえる大理石の建物を見上げた。
扉の上には金色の文字でこう刻まれている。
《帝都宿ギルド》
旅館業を営むすべての者が登録しなければならない、帝都の宿泊業を統べる組織だ。
「すみません。《紅蓮亭》の再建にあたり、宿ギルドへの登録をお願いしたいのですが」
カウンターに立つ受付嬢が目を細めた。
そして書類を一瞥し、薄い笑みを浮かべる。
「……紅蓮亭? あの、十年以上前に閉鎖された宿ですか? 帝都の区画条例で、現在は廃業扱いになっております」
「はい。ですが、私は正式にその物件の権利を引き継いでいます。再建して営業を――」
「お引き取りください。」
低く、威圧的な声が、奥から響いた。
広間の奥から、銀髪を後ろで束ねた男が現れる。
金糸の刺繍が施された長衣。胸元には宿ギルドの紋章。
帝都宿ギルド理事長、リュシアン・オルレアン。
「帝都の宿は、帝都の者だけが運営できる。
地方の者が、勝手に“帝都の看板”を掲げるなど、許されん。」
「しかし……この宿を生まれ変わらせることが、帝都の観光にも――」
「貴様のような田舎者が、帝都を語るな。」
冷ややかな視線が突き刺さる。
周囲の職員たちも、ひそひそとささやいた。
「外の宿主だって」
「田舎の旅館で調子づいたのか」。
タクミは唇を噛んだ。
悔しさよりも、燃えるような闘志が胸に灯る。
(なるほど……帝都とは、こういう場所か。)
そのときだった。
重厚な扉が音を立てて開く。
金の指輪をいくつもはめた手が、扉を押し開けた。
「おやおや……ずいぶん熱心な若者だな」
低い、しかしよく通る声。
入ってきた男は、金髪をオールバックにし、赤いマントを肩にかけていた。
背後には二人の従者。
胸元には、帝都最大手ホテル運営会社の紋章。
「紹介しよう」
リュシアンがわずかに頭を下げた。
「こちらは、《グランドロイヤル・グループ》重役――ドナルド・ラッシュ卿だ。」
男は口の端をゆがめた。
「タクミ、だったな? 聞いているぞ。《椿山荘》の経営で少し名を上げたそうじゃないか。
だがここは帝都だ。地方の“民宿経営ごっこ”が通用する場所ではない」
「……あなたは?」
「俺か? ふふ、忘れたのか? お前と同じ、“地球からの転生者”さ」
その言葉に、タクミの背筋が凍る。
地球。
この世界でそれを口にできる人間は、極めて少ない。
「信じられないか? 俺はこの世界に貴族として生まれた。
『選ばれし者』としてな。名前は――トランプ・ラッシュ。
地球じゃホテル王の家系だった。血筋も、資金も、品格も……お前とは違う。」
マントを翻し、彼はリュシアンの前を通り過ぎる。
「俺の《帝都ホテル計画》の邪魔をするな。
紅蓮亭? 潰れた宿に手を出すなど、貧民の遊びだ。
この街の“宿泊”は、すべて俺が支配する。
貴様はその外で、客の来ない宿を磨いていればいい」
タクミは拳を握り締めた。
爪が掌に食い込む。
怒りよりも燃え上がる挑戦の炎。
「……見てろよ。俺が“本当のおもてなし”で、この帝都を変えてやる。」
その声は静かだったが、確かに響いた。
その瞬間、リュシアンの目が一瞬だけ細められた。
嘲笑の奥に、わずかな“興味”が見えた気がした。
そして、帝都の宿戦争――
タクミとトランプ・ラッシュ、二人の転生者による“ホテル王決戦”の幕が、静かに上がった。
ワンポイント解説
■新規参入障壁とは?
新規参入障壁(Entry Barrier) とは、「新しくその業界に入ってビジネスを始めようとする人が、簡単に参入できないようにする仕組みや要因」のことです。
簡単に言えば、
「その世界に入るには“高い壁”がある」ということです。
なぜ参入障壁があるのか?
理由は主に2つです。
① 既存の企業(既得権者)を守るため
たとえば帝都の宿ギルドのように、すでに長く営業している宿や貴族たちは、
「新しい宿が入ってきて自分たちの客を奪われたくない」と考えます。
だから、許可制や規制を設けて、新規参入を難しくします。
現実世界でも、タクシー業界・電力業界・不動産業界などでよく見られます。
② 市場の品質や秩序を保つため
宿やホテルのように、人命・安全・信用に関わるビジネスでは、
一定の基準を満たさないと営業してはいけないというルールがあります。
帝都ギルドの「帝都の者しか宿を運営できない」というのも、
表向きは「信用と品質を守るため」ですが、
実際は“地元勢力の利権”を守る意味合いが強いのです。
ビジネス的な意味
参入障壁が高い業界では、新規参入者が少ない=競争が少なく安定
既存プレイヤーが長く利益を維持できる
というメリットがあります。
一方で、新しいアイデアやイノベーションが生まれにくい
顧客が「高い・古い・不便」と感じても変化しにくい
というデメリットもあります。
タクミのような新興勢力は、
まさに 「古い慣習に風穴を開ける挑戦者」 なのです。




