07「side~金糸雀×J」
『時間屋』の二人と別れ、俺たちは森の中をただ只管歩く。
目指すは森の中心に位置する建物―中央管理局―。以前に一度だけ雪に連れて来られたその場所に、不思議な少女―ラヴィ―とどこから迷い込んだのか分からない女性―金糸雀―、そして俺の三人は向かっていた。
道しるべは何もない。
辺りは変わり映えのしない木々と、相変わらず淀んだ灰色の空が広がっていた。金糸雀は意外な事にラヴィの手を引いて歩いている。何となく“同性”とか“子供”を嫌うイメージがあったから、その意外な一面に心底驚かされた。
―子供は好きなのか…。
黒髪の金糸雀と、薄い栗毛のラヴィ。
似ても似つかないその容姿から“親子”と呼ぶには躊躇われるが、仲のいい“姉妹”くらいには見えるだろうか…。
「―っ?!」
不意に首筋にピリッとした静電気の様な痛みが走り、Jはその場に立ち止まった。様子がおかしい…何かが“変”だ。
―なんで…こんなに静かなんだ?
先程まで聞こえていた風の音や、木々の擦れる音がピタリと止んでいる。
微かに頭の隅で警鐘が鳴らされる―危険だと…。
「待って、カナリア!?」
すぐにJは少し先を歩いていた金糸雀とラヴィを呼び止める。二人はその声に気が付いて足を止めると振り返って不思議そうな瞳を向けた。
「どうしたの?」
金糸雀が尋ねる。
Jは周囲をキョロキョロと見回して、その“異変”がなんなのかを探す…だが、辺りの音が止んだくらいで見た目には“異変”を感じられない。
「…なんか変だ」
金糸雀もつられたように周囲を見回すと、不思議そうに首を傾げた。
「…?」
ラヴィも何かを探るように視線を泳がせ始め、Jはそっと目を閉じ耳を澄ます…妙な違和感が付きまとっている。
「…変だよね?ラヴィ…」
ラヴィを振り返りJが尋ねると、金糸雀も同じようにラヴィの表情を窺った。
「らびぃ、何か感じる?」
二人の視線を集め、彼女は小さく頷く。その眼はいつもの表情とは違い、至極真剣だ。
「……」
そっと小さな手が上がり、一方向を指さす――森の影を。
その仕草にJは息をのむ…指さされた方を見据えると何処か肌寒さを感じる。
「…なんかいるよね?」
「なぁに?動物?」
「だめだっ、カナリア!」
不穏な表情のJに気付かないのか、金糸雀は嬉しそうに表情を明るくさせると“何か”がいるであろう森の奥の方へと走り出す。その姿を追うように思わず手を伸ばすが、その手は虚しく宙を掴んだ…。
「私、動物って見た事ないの!」
嬉々として近づく彼女は「ちょっとだけ!」なんて明るく言い残しJの手をすり抜ける。すぐにもう一度止めようと手を伸ばし名前を呼ぶが…時すでに遅し。彼女は茂みの間をかき分けるように草の中を覗いた。
「“ねこ”かな?“いぬ”かな?」
彼女の綺麗な顔が近づいた途端、それを察知したように黒い触手が茂みの中から飛び出してくる。
「―っ!?」
「いやっ…!?」
その突然の出来事にJは息をのみ、当の金糸雀は短く悲鳴に似た声を上げると驚いて後ろへと転んだ。だが、その身体は地面には着かず宙を舞う。まるで風の様に茂みの傍から離れると、更に延びてきた触手に見えない刃が襲いかかる―カマイタチ―だ。
「…フンッ、言わんこっちゃない!」
鼻先で嘲笑った様な声が聞こえ、そっと地面へと身体が下ろされる。とても優しく…。
「…大丈夫か?」
いつの間に現れたのだろう。
“時間屋”の二人は何事もなかったかのように息一つ乱れぬ姿でしのび来る触手に対峙すると、同じように何にも動じない彼女が場違いな疑問を口にする。
「ねぇ、アレは何ていう動物なの? 危ないのなの?」
「…お前色んな意味ですげぇよ」
「あれは“危ないもの”だ…」
苦笑いを通り越して呆れた視線で金糸雀を見つめるスギと、軽くため息交じりの息を吐いてそれでも丁寧に答える凌。そんな二人―特にスギ―に金糸雀は視線をやると、軽く睨んで見せる。その眉根は僅かに寄せられていた。
「あ、今馬鹿にしたでしょ」
「おいっ、そこの!」
彼女の言葉が言い終わるや否や、その言葉を無視する形で不意にJの方を振り向くとスギは眉間に皺を寄せて叫ぶ。その手はスッと金糸雀を指していた。
「こいつを何とかしろや!?」
「なっ…無視!?」
失礼極まりない彼の態度に金糸雀は苛立ちを露わにすると、すぐ傍にいた凌に向かい「ちょっと!」と声を張り上げて振り返り、こう言い放つ。
「あなたアレの保護者でしょ! 何とかしなさいよ!」
その姿に凌は人知れず頭を抱えると不意に彼女の名を呼んだ―ラヴィ…と。
声に反応して小さな身体で駆けてくるラヴィの眼はどこか遠くを見る様で、その瞳には深い何かが映る。スッと伸ばした凌の手が、指がラヴィの頬を包む。そのまま眼を見つめると、ラヴィの瞳が彼を捕えた。
「彼女を頼めるか?」
静かな彼の言葉にラヴィは頷く。
一部始終を横で見ながらも金糸雀は凌にムッとした表情を向け小声で
「あなたも馬鹿にするのね」
と呟くと、小さな少女の手を取り
「いいわ。あっちに行こう、らびぃ」
と、不機嫌なままその場を後にした。残された凌の驚き見開かれた瞳にも気付かずに…。
その様子を見ていたスギがJの傍らに立ち一つ溜息を零すと、徐にJに言葉を投げかける。
「お前は、ちょっとは動けるのか?」
「…はい…?」
唐突な質問に思わずキョトンとした眼をJが向けると、次の瞬間何かが茂みの中から這い出して来る。一つや二つじゃない無数の何かが。
「彼女は大丈夫だ。“ラヴィ”は誰にも侵せない…」
いつの間にかすぐ後ろに立っていた凌が、Jを安心させるように視線を向けるとその視線に気が付いてJも大きく頷いて見せた。
「…はいっ」
一つ、目前に迫っていた触手が豪快な音を立て切り落とされる。その眼に不敵な輝きを放ち彼は口の端を上げた。
「来るぜっ!」
その言葉を合図に三人は襲い来る触手に向かって駈け出していた。
一方、二人はどんどん三人から遠ざかると開けた場所に出る。
先ほどとは違い、とても明るく風の吹く場所は不思議と温かい感じがする。不意にラヴィが立ち止まると、金糸雀もピタッと歩みを止めた。向かい合い、金糸雀が不思議そうな表情を浮かべる。
「ねぇ、らびぃ。あの二人は強いの?」
その言葉にラヴィはにっこりと微笑んで見せる。声を持たない彼女なりの肯定の仕方。その表情に金糸雀はもう一人の人物についても尋ねてみた。
「じゃあ“しおり”は?」
「……」
一瞬にしてラヴィの可愛い顔が曇る。悩んだ様に眉根を寄せるとハッと気づいたように顔を上げ慌ててコクコクと頷いた。まるで遅いフォローに慌てたように…。彼女はソレを見逃さなかった。
「あ、今迷ったでしょ」
意地悪な笑顔を向けラヴィを見つめると、曖昧な愛想笑いを浮かべた彼女がまるで大人の女性の様に頬に手を当て困った表情を浮かべる。その姿に金糸雀は思わず「あはは!」と声を上げて笑った。
「ごめんね、困らせちゃった」
その笑顔が眩しくてラヴィは一瞬眼を大きくすると、ふっと微笑みを返す。優しい空気に満ちていた。
「っしょ…っと」
迫りくる黒い触手を寸での処で避けるとスギはまるで舞でも舞っているかのように風を手に優雅に動く。その姿に見とれる間もなくJの前に別の触手が現れると、それは知らず張られた障壁に阻まれ眼の前で散った。
「余所見はするな」
「…っ。はい」
背に凌の気配を感じJは頷く。
彼らは何者なのか…そう思わせるほどに強く、また手慣れているように思う。モノともせずにスギがそれらを切り刻み、細かくなったものを凌が呪で処理する。無駄のない動きにJは身動きすることすら躊躇うと不意に凌が何かを手渡して来た。薄く色づいた一枚の―呪符と呼ばれる―紙を。
「これはっ?!」
「限がない。一度に消滅させる」
「でも」
以前、雪と訪れた時にアレは浄化されない負の感情だと教えられた。強制的に消滅させるよりも長い時をかけて浄化させるという事も。それを行っているのが彼ら―時間屋―であり、またアレを救う事が出来るのも彼らなのだと。
「アレは消しても問題がない」
「……」
Jの困惑した様子に気づいて凌は言葉を続ける。
凌が思うに彼―J―は優しすぎるのだ。人間として、一般人としてそれは悪い事ではない。むしろとても良い事だと思うし、多くの人間がそうであれば良いとさえ思う。それでも。
―管理官には向いていない。
時に非情な事を強いられる。辛い判断を下し、時として全てを負う覚悟でそれらと向き合うことは、きっとこの先彼に“傷”を残して行くだろう…。決して消えない傷跡を。
「…わかりました」
「…?」
「お二人がそれを正しいと判断したのなら、信じます」
不意に合った視線の先には揺らぐことのない強い眼差しがあり、“信じる”という言葉を物語るように真っ直ぐに見つめていた。その視線に凌は思わず眼を閉じる。
―迷いなき、瞳…か。
優しさと強さを持つ瞳。
管理局にも、この世界にもいなかった人物が新しい風を運んで来るのかも知れないと彼は思った。苦笑いにも表情でJを見つめると、次の瞬間彼の頭をクシャッと撫でる。突然の彼の行動にJは眼を丸くした。
「凌さんっ!?」
「…そのまま進め」
「へっ?」
呟かれた言葉を聞き逃しJが問い返すが、それ以上の言葉は返ってこなかった。ただ少しだけ細められた彼の眼に安堵するとJは手渡された呪符に自分の中にあるだけ―ほんの僅か―の霊力を注ぎ込む。その間にも迫り来る無数の触手はスギと凌が払い、時折補助するように二人は視線を交わしてはJの持つ札へと意識を集中させていった。力が集まるのと同時にJの持つ札の色が次第に濃く色づいていく。そのタイミングを見計らいJの傍を離れた時間屋の二人は左右に展開し、そこに巨大な結界を作り出す。時折その結界から逃れた触手が金糸雀たちの去った方向へと向かうが、凌の言葉を信じJは札にだけ意識を傾けた。
―凌さんがっ…大丈夫だと言ったから…。
次第に集まる力と、目の前の結界に封じられた負の力が拮抗したように火花を散らし、札を持つ手が指先が痛いほどに震える。
「―っつ」
歯を食いしばりソレをやり過ごすと、一瞬吹き込んだ風に背を押され同時にスギの叫び声が響いた。
「今だ!! やれ――っ!!!」
「―っ。っそぉ―!!!!」
息をのんで短く叫ぶと、力の限り札を前へと翳す。辺りは白く包まれ、それきり何も見えなくなった…。
不意に近づく気配に彼女は立ちあがる。
視線を濃い森の奥へと向けると、その先にある不穏なモノへと意識を集中させた。
「……」
眼の前にまで迫ったその黒いものに眼を見開くと、見えない何かに当たり黒いものが次々に四方へと散った。まるで黒い花弁のように風に舞うと、それらは音もなく姿を消して行く。迫りくる全てのものを消してからラヴィは振り向くと、可愛らしい微笑みを金糸雀へと向けた。
「―…今のは?」
驚いたように眼を丸くする彼女に、ラヴィは浮かべた笑顔はそのままに小さく首を横に振る。少女が浮かべるその表情の意図する事に気づかずに金糸雀は首を傾げて見せた。
「??」
金糸雀の困惑したような表情を受け、ラヴィはそっと口元に人差し指を立てると悪戯っぽく微笑む。それはまるで―秘密―だと告げるように。
ラヴィの仕草を真似して金糸雀もその意図に気付く。
「内緒?」
小さく言葉にしてから金糸雀はまっすぐにラヴィを見た。
「何だか、らびぃは秘密が一杯ね」
彼女の言葉を受けてラヴィは小さく頷くと困ったように笑う。その笑顔はどこか寂しげなものだった。
不意に金糸雀がにやりとその笑みを深くする。そして。
「“良いオンナ”は秘密が多いものなの。きっと素敵な女性になるわ」
一際綺麗で不敵なその笑みにラヴィは眼を丸くすると、今度は嬉しそうに笑って見せた。
「……」
その時、辺りが静けさを取り戻した事に気づいて彼女は振り返る。そこには待つべき人達の姿が見えた。
スッと音もなく彼らの歩いて来る方向を指さすと、金糸雀へと視線を向ける。それに気が付いて彼女もラヴィの指す方向へと視線を向けた。
「ん、なぁに?」
濃い森の奥から現れた人影にラヴィは優しく微笑む。
ラヴィと彼らを交互に見やり、彼女もようやくソレを悟った。
「終わったの?」
無傷の二人に対し少し疲れたような表情を浮かべるJ…だがその瞳が金糸雀とラヴィ、二人を捉えると途端にその顔は安堵と明るさを取り戻し、彼は微笑んでいた。
記憶の海が“静けさ”を取り戻した瞬間だった――。
突如現れた不穏な陰に、二つの光が差し込んだ。
それは憎まれ口を叩きながらも頼もしい”時間屋”の二人。
謎深まるラヴィ…。
彼らは無事に中央に辿り着いたのか!?
そしてその先に待つものとは!?
待て、次回^^