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06「side~彩羽×雪」

 ――違う……これも違う……こっちも駄目だ……。


 手に取る冊数の多さに比例して、焦りが高まっていった。


 普段ならば、大いに俺の興味を引き付けるであろう書物の群れは、今はただの紙切れ同然の価値しかなかった。苛立ちも手伝い、段々と扱いが荒くなってくる。

 「古書保存課」所属の役人に、あるまじき行為。頭の隅では、そんなどうでもいい理性がちらついていた。まだ、何とか余裕があるらしい。我ながら図太いことだ。



 だが、俺の上をいく図太さを持ったヤツが、すぐ後ろにいた。



 本棚を半分程検閲し終えて、俺は背後で作業しているはずの雪を振り返った。


「そっちはどう……だ?」


 語尾が上がり調子になったのは、驚いたせい。

 彼女は、五冊目の本を枕代わりにして、眼を閉じていた。

 つまり、ご就寝中というわけだ。


 なるほど、禁書庫のひんやりした空気は、地上よりも格段に寝心地が良いだろう。だからといって、この状況で寝るか、フツウ。


「……しょうがねぇな」


 ボソッと呟いて、俺はまた本棚を漁り始めた。



 今は、「フツウの状況」ではないのだ。

 あまり読み取ることはできないが、自分がいた場所とは違う世界に飛ばされてきた彼女の方が、心労は多いはずだ。昨夜もなかなか寝られなかったようだし、ここはそっとしておいてやるのが良い。



 ――案外、金糸雀もこうして呑気に寝てたりしてな。



 金糸雀の幸せそうな寝顔を思い出して、少しささくれ立った心が和らいだ。

 よし、もう一頑張り。





 雪の横に積まれた文献まで制覇して、チラリと眠り姫を見た。穏やかに寝息を立てている。


「結局、最後まで寝てたな……」


 口では文句を言いつつも、別に彼女を責めるつもりは更々ない。

 むしろホッとしたくらいだ。昨夜眠れなかった分を、取り戻せただろうか。

 とはいえ、このまま寝かせたままというわけにもいかない。多少の罪悪感に苛まれながら、雪の肩を軽く揺すった。



「雪、引き上げるぞ。起きろよ」


 語り掛けると、ごく小さく不機嫌に唸り、眉を顰める。

 もう一度肩に手を掛けた時、彼女はスッと目を覚ました。


「彩……羽……?」

「よく眠れたか?」


 寝ぼけ眼の頭を、ポンポンと叩く。何色かはわからないが、柔らかな髪だ。

 虚ろに彷徨っていた瞳が本の山を捕え、次第にはっきりとしてくる。状況を理解したのか、雪はどこかバツの悪そうな顔で俺の手を払う。


「……悪い。寝てたか……」

「ぐーっすりだよ、全然起きやしねぇ」

「……そうか。悪いな」


 俺が少し笑って見せると、彼女も申し訳なさそうに控え目な笑顔を作った。

 思いの外素直な反応に驚いて、キョトンとした視線を向けてしまう。雪は不審な目を向けて来たが、愛想笑いでそれを流す。



「本がダメだとすると、次は人に当たっていくか」


 言いながら伸びをすると、忘れていた空腹感が駆け寄って来た。


「……っと、その前に飯かな」


 腹が減っては戦はできぬ。しっかり栄養補給をしなければ、頭の回転も鈍くなるというものだ。



「本はダメだったのか?」


 起き上がり身仕度を整えていた雪が、眉を顰める。


「役に立ちそうなものはなかった。『空間転移』なんて何にも出て来ない」


 首を横に振って報告する俺に、彼女は小さな溜息で応えた。


「……だろうな。『空間転移』なんてそうそうされてたまるか……」



 空間転移。

 俺は、その言葉の意味を知っていた。初めて見る事象にも関わらず、だ。

 ということは、俺はそれを「知っている」はず。もう一度、頭の中の「知識」をひっくり返す。断片的なモノでも良い、何か出てきてくれ。


 南方セカイ、禁書庫、地下、機械、空間転移、異世界……。


 ふっと、意識を掠めたモノがある。



「……伝承……」

「伝承!?」


 俺のちょっとした呟きに、雪が過敏に反応する。

 それに驚いて、掠めたモノがどこかへ行ってしまった。ああもう、コイツは……。


「な、何だよ」

「いや……なんでもない」


 問うと、彼女は静かに目を伏せた。

 何でもない反応じゃないだろう、今のは。



「雪って、そういうの多いよな。すぐにはぐらかそうとする」


 当てつけ交じりに口にした不満に、雪は少し驚いたように目を丸くした。だが、すぐにそれを崩して、悪戯っぽく笑ってみせた。


「……彩羽ほどじゃないね」

「俺が、いつはぐらかした?」


 予想外の応えに、こっちが驚かされた。少なくとも、雪相手にはぐらかしたりした覚えはない。


「彩羽って、根が真面目なんだろうな……」


 何だソレ?


 ムッとした俺を楽しむように、雪はクスクスと笑う。その姿は、俺をからかう時の金糸雀と少しだけ重なった。


「とにかく! 飯!」


 逃げるように出口へ向かうと、その様子を見て雪は更に笑った。


「はいはい。分かったよ」


 やられっぱなしって感じで、なんか悔しいな。



 ちょっとした悪戯を思い付き、振り返らずに彼女に問うた。


「雪、嫌いな物とかあるか?」

「……下手物と、油っこい物はやだな」


 考えていたのか、やや間があって答える。

 対する俺は、振り返ってニヤリと笑った。

 困惑したように、顔を顰めた雪がいる。



「この南方セカイは、下手物の宝庫なんだよ。最も盛んなのは、食虫産業な位にな」


 言い終わるが早いか、彼女の顔から血の気が引くのがわかった。軽く想像してしまったらしく、口元に手を当てて、更に苦い表情になった。



 からかう意図は満々にあるが、嘘は言っていない。


 高温多湿な気候の南方セカイは、あまり農業には適していない。全く育たないというわけではないのだが、やはり限界というものがある。

 必然的に、その分を他に求めなければいけなくなるわけだ。周りのセカイからの輸入もあるが、なるべくならば頼りたくはない。南方セカイは海に囲まれている為、漁業も栄えてはいる。しかし、天候が不安定なこの地では、漁に出て嵐に襲われることも少なくはない。その際の被害は、決して軽いものではなかった。


 そうして事情を経て、行きついた先が食虫産業である。虫は他の動物達より元手も掛からず、手間もかからない、繁殖力、生命力も強い。食料とするのにはうってつけだった。



「彩羽……ソレを食う気なのか?」


 雪が伏し目がちに、おずおずと尋ねてくる。


「物によっては、下手な肉やら魚より旨いよ。栄養価も高いし……試してみるか?」

「……いや、いい。ただでさえ、この暑さに参ってるんだ。やめてくれ……」


 降参とばかりに、彼女は右手を上げた。

 してやったり、仕返し成功。



 本気で青ざめている雪と、ガキっぽい自分がおかしくて、笑いを堪え切れなくなった。


「あはははは! 冗談っ……冗談だって……!」


 面喰って目を丸くした後、彼女はかなりの不機嫌顔でそっぽを向く。そして、吐き捨てるように呟いた。


「……あっそ。趣味悪いんじゃないの」

「悪い悪い、飯は雪の好きな物にしよう。何が良い?」


 やり過ぎを悟って、俺は彼女を宥めようとした。だが、残念ながら他人の宥め方がよくわからない。


「知らん! 勝手にしろっ!」


 案の定、功を奏せず、雪は一人でスタスタと歩きだした。こちらを見向きもしない。

 まあ、当然と言えば当然の反応だ。



「わーるかったって。機嫌直せとは言わないけど、単独行動はやめてくれ」


 言わないというか、自分でした手前、言えないという方が正しい。

 足早に追いかけると、前を行く雪がピタッと立ち止まって振り向く。


 眉をひくつかせ、口にした言葉には刺々しさが満ちていた。かなり御機嫌ナナメらしい。



「そうだった。俺はお前の『モノ』……だもんな?」

 そういう彼女の端正な顔には、皮肉な笑みが湛えられていた。

 以前にも感じたが、雪は……他人に従属することに何らかの想いがあるのだろう。今の俺には、それを汲み取ってやることはできないが。


「心配だから言ってんだ、馬鹿」

「……フンッ……」


 精々真剣な顔で言ってみたが、やはり通じなかった。ほんの数秒目を合わせて、彼女は一人薄暗い階段を昇っていく。



 独り残された冷やかな空間に、彼女の高い足音だけが響いていた。


「あーあ……昔の俺そっくり……」


 俺の勝手な呟きも、足音に紛れて消えていった。





「……」

「……」


 こんなに殺伐とした食卓は久し振りだ。


 俺と雪は向かい合ったまま、ひたすら無言で食べ進めていた。

 メニューは、酸味を利かせた冷たい麺。これならば、暑さにやられている身体でも無理なく食べることができる。俺が選んだモノだったが、特に不満も言わず食べてくれた。


 ただ、注文する時に「虫が入ってたらコロス」という囁きが耳に触れたのは、気のせいではないと思う。



 今感じているこの嫌な気配も、気のせいではない。


 何度も経験した、ありがたくも何ともない慣れからくる確信。ここ数年落ち着いていたと思っていたのに……。



 ――よりによって、(コイツ)がいる時に来るか。



「……雪、大人しくしてろよ」

「……?」


 小声で言うと、彼女は箸を銜えたまま視線だけを俺に向けた。



「『物理的』以外の攻撃を防ぐ能力はあるか?」


 目は合わせず、やはり小声で続ける。相手側に、気付いていることを悟られない為の行動だったが、果たしてうまくいっているかどうか。


 雪は俺の意図に気付いて、視線を落とす。何食わぬ顔で、もう一口麺をすすった。それを水で流し込み、小さく口を動かす。



「……例えば?」


「目標確認、確保」


 雪の問いは、淡々とした男の声に飲み込まれた。



 声と同時に感じたのは、脳の奥を引っ掻くような感覚。能力の作動感知だ。



 椅子を蹴って立ち上がり、雪を背に庇う。


 両手を前に突き出し、神経を集中させて描くのは――盾。


 燃え上がる炎の向こうに、俺と同じポーズを取る男が見えた。警備部の制服。



 いきなり上がった炎に、店内の空気が一気にざわめく。ただでさえ暑い室内は、人と炎の熱気で沸騰したようだった。


 炎が消え去ると、雪を振り返る。驚いて停止してはいるが、見る限り怪我はない。良かった、守れたか。



「こういうのだよ」


 先程の問いに答えると、彼女はニッと面白そうに笑う。危険な笑い。


「……どうかな? やったことはないけど……」


 ゆっくりと立ち上がり、意地悪い笑みを浮かべる。


「暴れるの、許可くれんのか?」

「……やらねぇよ」


 この状況で、つくづく大した(ヤツ)だ。元のセカイでは、そんな生活をしてたやら……。

 俺にからかわれた憂さ晴らしもあるのだろう。実に楽しげなご様子だ。この分では、止めても聞きそうにない。



 やり取りを聞いていたらしく、もう一人、壮年の警備部役人が進み出てくる。鈍く光る肩章は、それなりの地位のものだった。……嫌な予感がする。



「そこの『銀色の』も歯向かう気か? ……目標追加」


 頼むから、雪を刺激するようなこと言わないでくれ。


 嘆く一方で、雪の髪は銀色なのかと、能天気に考えている自分がいる。俺は金髪らしいから、金と銀で対になるな、などとどうでもいいことまで考えた。



「ふ〜ん」


 楽しげな彼女の声で、ハッと意識が戻る。恐る恐る窺うと、徐に懐に忍ばせた警棒を取り出す所だった。

 ……ダメだ、ヤル気満々だよ。



「『ご主人様』からの許可は無いが……やるからにはお相手しないと、な」

「雪っ!」


 小声で叱るも、効果はゼロ。今にも飛び掛かりそうな勢いだ。

 あちらもそれは同じらしく、構えを崩さないままだ。



「何が理由か知りませんが、とりあえず店を出ましょうか。一般民を巻き込むつもりですか?」


 俺だけでも、冷静さを保たなければ。


 警備部相手にやりあうにしても、余計な被害は出したくなかった。移動の時間を作ることで、双方をクールダウンさせたい意図もあった。



「ふん……善人面しやがって」


 吐き捨てると、相手は渋々外へ出て行った。

 その姿を、雪は意外そうな目で見送った。慣れた手つきで警棒を縮める。できれば、そのまましまってくれ。


「……なんだ。話は通じるのか」

「まぁ、表立って一般民を虐げるのは、利口とは言えないからな」




 店を出ると、一本入った路地から一人が半身を覗かせていた。俺達を認めると、スッと奥へ姿を消す。

 いっそ逃げてやろうかと思ったが、さすがに雪を連れて警備部の包囲網を抜けるのは無謀だ。

 大人しく路地へと入っていく。


「……で? いきなり撃ってきた理由を聞きましょうか」


 壮年の方を見据えて、問う。

 過去様々な難癖を付けられてきたが、今回は何だろうか。



「昨夜の南方セカイ役所長に対する狼藉、処罰に値する」


 ……そうきたか。

 まずいな、完全にこっちが不利だ。



「おまけに『危険物』所有とくれば、当然取り締まらねばなるまい?」


 視線がずれて、雪の方へ向けられる。その手には、しっかりと警棒が握られている。


 「危険物」が彼女自身を指すのか、彼女の手にしている物を指すのかは、あえて考えないようにしよう。


 幸い、当の本人はその問題に気付いていないようで、横から俺を凝視してくる。



「……彩羽、身に覚えは?」

「……少しだけなら。そんな大したことはしてない……多分」


 やんわりとした詰問口調に、思わず目を逸らす。背中に、暑さのせいではない嫌な汗がじんわりと流れてくる。


「……ダメジャン、ゴシュジンサマ」


 彼女は呆れたように溜息をもらし、耳に痛い皮肉たっぷりの棒読み台詞まで吐く。


「あの時は動転してたんだ……。自分が、足元掬われやすい事忘れてた」


 言葉を重ねれば重ねる程、自分が情けなくなってくる。

 だが、本当にあの時は金糸雀が消えてしまって、理性も一緒にどこかへ飛んでしまっていたのだ。何の言い訳にもならないが。



 壮年役人が、フッと嘲笑を漏らした。


 そして、見下した目で……こう言った。



「墓穴を掘ったな。中央への旅はここでお終いだ、“トガビトノコ”」



 顔色が変わったのが、自分でもわかる。


 全身の血液が逆流するような、激しい衝動。昔は、この感覚が何なのかわからずに戸惑ったものだか、いまでははっきりとわかる。コレは、怒りだ。真っ黒な感情。

 飲まれないようにするのは、至難の業だ。




 ――“トガビトノコ”。




 一部の者達は、異怖、あるいは侮蔑の念を込めて、俺をそう呼んだ。


 今となっては、口にする者もほとんどいなくなっていたが、とんだ当たりを引いたらしい。

 俺をそう呼んで、無事だったヤツなどいないのに……命知らずめ。



 となりにいる雪は、俺の様子に気付いているのに、顔色は変えなかった。今度は、彼女がストッパーになる番だ。



「俺は、どうすればいい?」


 余計な詮索は一切挟まず、横目で俺を窺う。

 その気遣いが、とても嬉しかった。ありがとう、雪。



 少しだけ落ち着いて、深く息を吸う。



「雪……大暴れして良いぞ。あの野郎ぶっ潰す」


 彼女なら、羽目を外しても人を殺すような真似はしないだろう。

 俺がフォローに回らないといけないように、大暴れしてくれ。ちょっとでも意識を他に逸らしていないと、この路地が鉄臭くなる。



 やっと下された「許可」に、彼女はニッと口元を歪めた。


「了解しました……ご主人様」


 警棒を構え直す雪の横で、俺も臨戦態勢に入る。



 ――暴れるな……加減を忘れずに。耐えろ、耐えろ……。



 心の中で、呪文のように繰り返す。



「警備部は二人一組、体術特化と能力特化のコンビだ。能力特化の奴は懐に入れば、こっちのもんだ。間合い詰めて行け」

「了ー解!」


 短く情報を残し、地を蹴って走り出す。俺に倣って、雪も走り出した。



 走りながら、自分に意識を集中させる。

 施術対象は己自身、身体能力強化の禁呪。


 こちらは知識部、あちらは警備部。多少のハンデを付けてもらわないと、な。



 警棒を伸ばしながら、雪は間合いを詰めていく。別に相談したわけでもないのだが、彼女は若い方――能力特化の方へ狙いを定めた。



「……目標の攻撃意思を確認。応戦します」


 青年警備官は、神経を集中させる為に目を閉じる。

 二人一組だからこそできる集中法だ。戦闘中に目を瞑るなど、自殺行為に等しい。

 それ故に、術士を守る体術士側の負担は重い。相方と自分、二人分の身を守らなければならないのだ。更に敵が複数の場合には、術の発動まで全員の足止めをしなければならないのだから、相当だ。


 壮年体術士は、真っ直ぐに術士目掛けて突っ込む雪に向けて刃を抜いた。流れるように放たれたその刀身は、灼熱の光を受けて猟奇的な耀きを見せる。


 踏み出す脚に力を込め、刃を握る手を目掛けて一気に蹴り上げる。

 さすがというか、掠った程度でダメージは与えられなかったが、俺の動きに目を丸くしていた。してやったり。



 態勢を整え直す俺達の横で、急激に温度が上昇する。


 炎術の発動……避けろよ、雪!



 雪はギリギリの距離まで間合いを詰めて、上に跳躍した。まるで舞うような、優雅な姿だった。ひらひらと揺れる着物の下を、小さな炎弾が疾駆していく。



「女の子には、優しくしないとモテないぞ」


 彼女はニッっと口元を歪めて、思い切り警棒を振り上げる。少なくとも、その光景は「女の子」には程遠かった。



「脚狙え!!」


 不意に、体術士が声を張り上げた。


 指示を受けた術士が、慣れない手つきでナイフを抜き放つ。勢いそのまま、宙に浮いた雪の脚を狙って水平に薙いだ。


 雪は振り下ろした警棒で難なくそれを払い、軽く地に降り立つ。



「よそ見してんなよ、オッサン」


 横目で相方を気にしている体術士の顔面に、右の拳を振り抜く。術を掛けてあるおかげで、結構なスピードが乗っている。


 何かこうして身体使うのも、たまにはいいもんだな。


 自然と口元が緩んだ。



「……ったく」


 俺の能天気な思考を読んだのか、雪が呆れたように呟いた。


 その白い喉元に、ナイフが喰いかかる。能力特化とはいえ、警備官ってわけだ。



「……見事に急所をついてきやがる」

「雪、大丈夫そうか!?」


 かく言う俺にも、体術士の白刃が襲ってくる。

 ある程度までは避けれるが、さすがに全てをかわすのは無理だ。腰から短剣を取り、真っ向から受ける。重い衝撃が腕に加わり、ビリビリとした刺激が指先を支配した。



「来いっ! でかぶつっ!」


 警棒持ち直し、低く構えを変えた雪が叫んだ。


 全くもって頼もしい限りな相方で助かるよ、本当に。



 刃を合わせたままで、体術士がふっと皮肉な笑いを漏らす。



「役人に対してあの言い様。さすが “トガビトノコ”の所有物……」



 視界が真っ白に染まる。



 ――ああ、ヤバい。



 呆然と己を見詰める、もう一人の俺がいた。


 ダメだ、爆発する。



「消えろ……」


 念じたつもりだったが、どす黒い感情が口から出てしまっていた。


 言葉が生まれるのと同時に、身体が焼ける感覚がした。


 一瞬、恐怖に歪んだ体術士の顔が見えたが、すぐに炎に飲み込まれて掻き消えた。


 ドンッと、低く響く音がして、俺と体術士を中心に爆発が起きる。



「なっ!?」


 濛々と立ち込める煙の中、雪の上ずった声を頼りに歩く。

 右手では、意識を失った体術士の襟首をつかんでいる。ぐったりしてはいるが、域は途絶えていないようだった。制服も皮膚も髪も焼け焦げて、見るからに痛々しい有り様だが、命があっただけ十分と思ってもらわなくてはならない。



 ようやく晴れた煙の先には、こちらを凝視する二人がいた。


 雪と眼を合わせることができなくて、鋭く術士を睨みつける。

 ヒッと小さく悲鳴を漏らして、ヤツは身を固くした。こんなんで、この先警備官が務まるのか?



「役所長に伝えろ。今度手ぇ出してきたら、焼き殺してやるってな」


 言い捨てて、手にしていたお荷物を放り出した。


 もちろん、ただの脅しのつもりだったが、効果は絶大だったようだ。



「あんな近距離で……有り得ない……。化け物……!」



 ――“化け物”……“トガビトノコ”……。



 うるさいうるさいうるさいっ……!



 治まりかけた熱がまた込み上げてきたが、雪が冷ましてくれた。


「……ホント……ご主人様ってば大胆……」


 こちらの事情もわからず苦笑する彼女の声で、スッと熱が引いていく。



「おい、コレ持って帰れよ」


 顎をしゃくって地面に転がる体術士を示すと、術士は壊れた人形のように首を縦に激しく振った。

 それを見届けてから、ぎこちなく雪を見る。


「雪……行くぞ」

「あっ、ああ」


 彼女は面食らったように戸惑っていたが、歩き出すと黙って後ろを付いてきてくれた。


 ありがとな、雪。





 人気のない路地に入り、しばらく二人で無言のまま歩いた。


 何も言えない。


 こんな理性ゼロの失態……。自己嫌悪で吐き気がする。



「……怪我、してないか?」


 俯いてようやく吐き出した言葉は、空しく地面に跳ねた。

 雪は、そんな俺を真っ直ぐ見てくる。



「お前こそ……顔色悪いぞ」


 雪の気遣いに、曖昧ながらも少しだけ笑うことができた。

 曖昧な笑顔で言えたのは、やはり曖昧な言い訳だった。



「警備部とやり合うなんて久々だからな。少し疲れたよ」

「俺だって、こんなとこで暴れる羽目になるとは思わなかったさ……っつ」


 急に、彼女の表情が引きつる。咄嗟に右手を抑えた所を見ると、どうやらそこが痛むらしい。


「だ、大丈夫か!? まさか爆発に巻き込まれて……」

「……なんでもない。大丈夫だ」

「またお前はそうやって……良いから見せろ!」

「…っ痛」


 無理やり雪の腕を取ると、押さえていた右手に火傷を負っていた。その形はどこか鎖のように見えて、胸が何故かざわついた。


「いいからっ、ほっとけ」

「痕が残ったらどうするんだ? ちょっとじっとしてろ」


 身じろぎする彼女を抑えて、腕に意識を集中させた。

 便利な事に、俺は治癒術まで使うことができた。



「止せって!」


 とうとう雪は、乱暴に俺の手を振り払った。必死な様子に、思わず謝罪が口を吐いて出る。


「ご、ごめん」

「……無理だよ。怪我じゃねぇし……」



 俺が黙ると、雪は気まずそうに小さく舌打ちして俯いた。先程と立場が逆転してしまった。



「……誓約の力が働いただけだ。大したことじゃない」

「誓約……? 正統な主人がいるのか?」


 怪訝な顔で尋ねる俺を見て、一瞬大きく目を見開く。


 何だ? 踏み込んではいけない所だったか……。


 心配するこちらを余所に、雪はめんどくさそうに頭を掻いて、言葉を探している風だった。

 上手く見つからないらしく、何度か口を開きかけたが、すぐに閉じてしまう。


 薄々感じてはいたが、説明が苦手なんだな。失礼だとはわかりつつも、少し笑いが込み上げてくる。



「……だぁーっ! 面倒くせぇ!」


 散々考えた結果がコレかい。



「手! ……手を出せ!」


 彼女は、いきなり手をこちらへ突き出してきた。


「何だよ?」


 困惑しつつ、言われるままに手を差し出す。


 煤で汚れた俺の手に、雪の小さくて白い手を重ねられる。


 だが、彼女の手は俺のをすり抜けていった。白いというよりは……透けている。半透明のその手を通して、地面が見えた。



「……わかるか?」

「……!?」


 驚愕して雪を見るが、彼女は目を合わせずに自分の手に視線を落としていた。


「生身じゃねぇからな……。誓約の元動かなくてはならない。だが……」


 一度言葉を切って、雪は黙り込んだ。また、言葉を探しているのだろうか。


 聞きたいことはたくさんあったが、俺も黙って続きを待つ。



 多分、コレは雪の不可侵領域だ。俺から入っていって良いものじゃない。



「まっ、暴れた代償……だろ」


 ほどなく出たのは、明るい笑顔。


 俺も、つられて笑ってしまった。


「……やっぱ、何か似てるな」



 不思議そうな顔をする雪に、俺は無言の笑顔で返した。


 恐らく、伝える時は来ない。

 コレは、俺の不可侵領域。




「とにかくっ、この後どうするんだよっ!?」


 急に現実問題に引き戻されて、すぐには頭が回らない。


 書物はこれ以上当たっても、有力な情報は期待できそうもない。それに、警備部とやり合った手前、役所には近寄りづらかった。



「南方セカイの伝承で気になる物があるんだ。それを調べようと思う。人を当たっていくから、少し歩くぞ」

「了解。さっさと行くぞ」



 今一度、雪は息を吐いた。それは、彼女なりの気合いを入れる為の行動なのかもしれない。


 俺も、気合いを入れて掛からなきゃな。


更新が大変遅くなり、申し訳ありません!

な、長かった……(汗)


もう少し戦闘シーン書き込みたかったのですが、割愛(^_^;)


彩羽と雪、互いの不可侵領域お披露目です。

ケンカもしつつ、何とかうまくやってくれているようです♪


そろそろ物語も終盤に差し掛かってきました!

乞うご期待!

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