06「side~彩羽×雪」
――違う……これも違う……こっちも駄目だ……。
手に取る冊数の多さに比例して、焦りが高まっていった。
普段ならば、大いに俺の興味を引き付けるであろう書物の群れは、今はただの紙切れ同然の価値しかなかった。苛立ちも手伝い、段々と扱いが荒くなってくる。
「古書保存課」所属の役人に、あるまじき行為。頭の隅では、そんなどうでもいい理性がちらついていた。まだ、何とか余裕があるらしい。我ながら図太いことだ。
だが、俺の上をいく図太さを持ったヤツが、すぐ後ろにいた。
本棚を半分程検閲し終えて、俺は背後で作業しているはずの雪を振り返った。
「そっちはどう……だ?」
語尾が上がり調子になったのは、驚いたせい。
彼女は、五冊目の本を枕代わりにして、眼を閉じていた。
つまり、ご就寝中というわけだ。
なるほど、禁書庫のひんやりした空気は、地上よりも格段に寝心地が良いだろう。だからといって、この状況で寝るか、フツウ。
「……しょうがねぇな」
ボソッと呟いて、俺はまた本棚を漁り始めた。
今は、「フツウの状況」ではないのだ。
あまり読み取ることはできないが、自分がいた場所とは違う世界に飛ばされてきた彼女の方が、心労は多いはずだ。昨夜もなかなか寝られなかったようだし、ここはそっとしておいてやるのが良い。
――案外、金糸雀もこうして呑気に寝てたりしてな。
金糸雀の幸せそうな寝顔を思い出して、少しささくれ立った心が和らいだ。
よし、もう一頑張り。
雪の横に積まれた文献まで制覇して、チラリと眠り姫を見た。穏やかに寝息を立てている。
「結局、最後まで寝てたな……」
口では文句を言いつつも、別に彼女を責めるつもりは更々ない。
むしろホッとしたくらいだ。昨夜眠れなかった分を、取り戻せただろうか。
とはいえ、このまま寝かせたままというわけにもいかない。多少の罪悪感に苛まれながら、雪の肩を軽く揺すった。
「雪、引き上げるぞ。起きろよ」
語り掛けると、ごく小さく不機嫌に唸り、眉を顰める。
もう一度肩に手を掛けた時、彼女はスッと目を覚ました。
「彩……羽……?」
「よく眠れたか?」
寝ぼけ眼の頭を、ポンポンと叩く。何色かはわからないが、柔らかな髪だ。
虚ろに彷徨っていた瞳が本の山を捕え、次第にはっきりとしてくる。状況を理解したのか、雪はどこかバツの悪そうな顔で俺の手を払う。
「……悪い。寝てたか……」
「ぐーっすりだよ、全然起きやしねぇ」
「……そうか。悪いな」
俺が少し笑って見せると、彼女も申し訳なさそうに控え目な笑顔を作った。
思いの外素直な反応に驚いて、キョトンとした視線を向けてしまう。雪は不審な目を向けて来たが、愛想笑いでそれを流す。
「本がダメだとすると、次は人に当たっていくか」
言いながら伸びをすると、忘れていた空腹感が駆け寄って来た。
「……っと、その前に飯かな」
腹が減っては戦はできぬ。しっかり栄養補給をしなければ、頭の回転も鈍くなるというものだ。
「本はダメだったのか?」
起き上がり身仕度を整えていた雪が、眉を顰める。
「役に立ちそうなものはなかった。『空間転移』なんて何にも出て来ない」
首を横に振って報告する俺に、彼女は小さな溜息で応えた。
「……だろうな。『空間転移』なんてそうそうされてたまるか……」
空間転移。
俺は、その言葉の意味を知っていた。初めて見る事象にも関わらず、だ。
ということは、俺はそれを「知っている」はず。もう一度、頭の中の「知識」をひっくり返す。断片的なモノでも良い、何か出てきてくれ。
南方セカイ、禁書庫、地下、機械、空間転移、異世界……。
ふっと、意識を掠めたモノがある。
「……伝承……」
「伝承!?」
俺のちょっとした呟きに、雪が過敏に反応する。
それに驚いて、掠めたモノがどこかへ行ってしまった。ああもう、コイツは……。
「な、何だよ」
「いや……なんでもない」
問うと、彼女は静かに目を伏せた。
何でもない反応じゃないだろう、今のは。
「雪って、そういうの多いよな。すぐにはぐらかそうとする」
当てつけ交じりに口にした不満に、雪は少し驚いたように目を丸くした。だが、すぐにそれを崩して、悪戯っぽく笑ってみせた。
「……彩羽ほどじゃないね」
「俺が、いつはぐらかした?」
予想外の応えに、こっちが驚かされた。少なくとも、雪相手にはぐらかしたりした覚えはない。
「彩羽って、根が真面目なんだろうな……」
何だソレ?
ムッとした俺を楽しむように、雪はクスクスと笑う。その姿は、俺をからかう時の金糸雀と少しだけ重なった。
「とにかく! 飯!」
逃げるように出口へ向かうと、その様子を見て雪は更に笑った。
「はいはい。分かったよ」
やられっぱなしって感じで、なんか悔しいな。
ちょっとした悪戯を思い付き、振り返らずに彼女に問うた。
「雪、嫌いな物とかあるか?」
「……下手物と、油っこい物はやだな」
考えていたのか、やや間があって答える。
対する俺は、振り返ってニヤリと笑った。
困惑したように、顔を顰めた雪がいる。
「この南方セカイは、下手物の宝庫なんだよ。最も盛んなのは、食虫産業な位にな」
言い終わるが早いか、彼女の顔から血の気が引くのがわかった。軽く想像してしまったらしく、口元に手を当てて、更に苦い表情になった。
からかう意図は満々にあるが、嘘は言っていない。
高温多湿な気候の南方セカイは、あまり農業には適していない。全く育たないというわけではないのだが、やはり限界というものがある。
必然的に、その分を他に求めなければいけなくなるわけだ。周りのセカイからの輸入もあるが、なるべくならば頼りたくはない。南方セカイは海に囲まれている為、漁業も栄えてはいる。しかし、天候が不安定なこの地では、漁に出て嵐に襲われることも少なくはない。その際の被害は、決して軽いものではなかった。
そうして事情を経て、行きついた先が食虫産業である。虫は他の動物達より元手も掛からず、手間もかからない、繁殖力、生命力も強い。食料とするのにはうってつけだった。
「彩羽……ソレを食う気なのか?」
雪が伏し目がちに、おずおずと尋ねてくる。
「物によっては、下手な肉やら魚より旨いよ。栄養価も高いし……試してみるか?」
「……いや、いい。ただでさえ、この暑さに参ってるんだ。やめてくれ……」
降参とばかりに、彼女は右手を上げた。
してやったり、仕返し成功。
本気で青ざめている雪と、ガキっぽい自分がおかしくて、笑いを堪え切れなくなった。
「あはははは! 冗談っ……冗談だって……!」
面喰って目を丸くした後、彼女はかなりの不機嫌顔でそっぽを向く。そして、吐き捨てるように呟いた。
「……あっそ。趣味悪いんじゃないの」
「悪い悪い、飯は雪の好きな物にしよう。何が良い?」
やり過ぎを悟って、俺は彼女を宥めようとした。だが、残念ながら他人の宥め方がよくわからない。
「知らん! 勝手にしろっ!」
案の定、功を奏せず、雪は一人でスタスタと歩きだした。こちらを見向きもしない。
まあ、当然と言えば当然の反応だ。
「わーるかったって。機嫌直せとは言わないけど、単独行動はやめてくれ」
言わないというか、自分でした手前、言えないという方が正しい。
足早に追いかけると、前を行く雪がピタッと立ち止まって振り向く。
眉をひくつかせ、口にした言葉には刺々しさが満ちていた。かなり御機嫌ナナメらしい。
「そうだった。俺はお前の『モノ』……だもんな?」
そういう彼女の端正な顔には、皮肉な笑みが湛えられていた。
以前にも感じたが、雪は……他人に従属することに何らかの想いがあるのだろう。今の俺には、それを汲み取ってやることはできないが。
「心配だから言ってんだ、馬鹿」
「……フンッ……」
精々真剣な顔で言ってみたが、やはり通じなかった。ほんの数秒目を合わせて、彼女は一人薄暗い階段を昇っていく。
独り残された冷やかな空間に、彼女の高い足音だけが響いていた。
「あーあ……昔の俺そっくり……」
俺の勝手な呟きも、足音に紛れて消えていった。
「……」
「……」
こんなに殺伐とした食卓は久し振りだ。
俺と雪は向かい合ったまま、ひたすら無言で食べ進めていた。
メニューは、酸味を利かせた冷たい麺。これならば、暑さにやられている身体でも無理なく食べることができる。俺が選んだモノだったが、特に不満も言わず食べてくれた。
ただ、注文する時に「虫が入ってたらコロス」という囁きが耳に触れたのは、気のせいではないと思う。
今感じているこの嫌な気配も、気のせいではない。
何度も経験した、ありがたくも何ともない慣れからくる確信。ここ数年落ち着いていたと思っていたのに……。
――よりによって、雪がいる時に来るか。
「……雪、大人しくしてろよ」
「……?」
小声で言うと、彼女は箸を銜えたまま視線だけを俺に向けた。
「『物理的』以外の攻撃を防ぐ能力はあるか?」
目は合わせず、やはり小声で続ける。相手側に、気付いていることを悟られない為の行動だったが、果たしてうまくいっているかどうか。
雪は俺の意図に気付いて、視線を落とす。何食わぬ顔で、もう一口麺をすすった。それを水で流し込み、小さく口を動かす。
「……例えば?」
「目標確認、確保」
雪の問いは、淡々とした男の声に飲み込まれた。
声と同時に感じたのは、脳の奥を引っ掻くような感覚。能力の作動感知だ。
椅子を蹴って立ち上がり、雪を背に庇う。
両手を前に突き出し、神経を集中させて描くのは――盾。
燃え上がる炎の向こうに、俺と同じポーズを取る男が見えた。警備部の制服。
いきなり上がった炎に、店内の空気が一気にざわめく。ただでさえ暑い室内は、人と炎の熱気で沸騰したようだった。
炎が消え去ると、雪を振り返る。驚いて停止してはいるが、見る限り怪我はない。良かった、守れたか。
「こういうのだよ」
先程の問いに答えると、彼女はニッと面白そうに笑う。危険な笑い。
「……どうかな? やったことはないけど……」
ゆっくりと立ち上がり、意地悪い笑みを浮かべる。
「暴れるの、許可くれんのか?」
「……やらねぇよ」
この状況で、つくづく大した女だ。元のセカイでは、そんな生活をしてたやら……。
俺にからかわれた憂さ晴らしもあるのだろう。実に楽しげなご様子だ。この分では、止めても聞きそうにない。
やり取りを聞いていたらしく、もう一人、壮年の警備部役人が進み出てくる。鈍く光る肩章は、それなりの地位のものだった。……嫌な予感がする。
「そこの『銀色の』も歯向かう気か? ……目標追加」
頼むから、雪を刺激するようなこと言わないでくれ。
嘆く一方で、雪の髪は銀色なのかと、能天気に考えている自分がいる。俺は金髪らしいから、金と銀で対になるな、などとどうでもいいことまで考えた。
「ふ〜ん」
楽しげな彼女の声で、ハッと意識が戻る。恐る恐る窺うと、徐に懐に忍ばせた警棒を取り出す所だった。
……ダメだ、ヤル気満々だよ。
「『ご主人様』からの許可は無いが……やるからにはお相手しないと、な」
「雪っ!」
小声で叱るも、効果はゼロ。今にも飛び掛かりそうな勢いだ。
あちらもそれは同じらしく、構えを崩さないままだ。
「何が理由か知りませんが、とりあえず店を出ましょうか。一般民を巻き込むつもりですか?」
俺だけでも、冷静さを保たなければ。
警備部相手にやりあうにしても、余計な被害は出したくなかった。移動の時間を作ることで、双方をクールダウンさせたい意図もあった。
「ふん……善人面しやがって」
吐き捨てると、相手は渋々外へ出て行った。
その姿を、雪は意外そうな目で見送った。慣れた手つきで警棒を縮める。できれば、そのまましまってくれ。
「……なんだ。話は通じるのか」
「まぁ、表立って一般民を虐げるのは、利口とは言えないからな」
店を出ると、一本入った路地から一人が半身を覗かせていた。俺達を認めると、スッと奥へ姿を消す。
いっそ逃げてやろうかと思ったが、さすがに雪を連れて警備部の包囲網を抜けるのは無謀だ。
大人しく路地へと入っていく。
「……で? いきなり撃ってきた理由を聞きましょうか」
壮年の方を見据えて、問う。
過去様々な難癖を付けられてきたが、今回は何だろうか。
「昨夜の南方セカイ役所長に対する狼藉、処罰に値する」
……そうきたか。
まずいな、完全にこっちが不利だ。
「おまけに『危険物』所有とくれば、当然取り締まらねばなるまい?」
視線がずれて、雪の方へ向けられる。その手には、しっかりと警棒が握られている。
「危険物」が彼女自身を指すのか、彼女の手にしている物を指すのかは、あえて考えないようにしよう。
幸い、当の本人はその問題に気付いていないようで、横から俺を凝視してくる。
「……彩羽、身に覚えは?」
「……少しだけなら。そんな大したことはしてない……多分」
やんわりとした詰問口調に、思わず目を逸らす。背中に、暑さのせいではない嫌な汗がじんわりと流れてくる。
「……ダメジャン、ゴシュジンサマ」
彼女は呆れたように溜息をもらし、耳に痛い皮肉たっぷりの棒読み台詞まで吐く。
「あの時は動転してたんだ……。自分が、足元掬われやすい事忘れてた」
言葉を重ねれば重ねる程、自分が情けなくなってくる。
だが、本当にあの時は金糸雀が消えてしまって、理性も一緒にどこかへ飛んでしまっていたのだ。何の言い訳にもならないが。
壮年役人が、フッと嘲笑を漏らした。
そして、見下した目で……こう言った。
「墓穴を掘ったな。中央への旅はここでお終いだ、“トガビトノコ”」
顔色が変わったのが、自分でもわかる。
全身の血液が逆流するような、激しい衝動。昔は、この感覚が何なのかわからずに戸惑ったものだか、いまでははっきりとわかる。コレは、怒りだ。真っ黒な感情。
飲まれないようにするのは、至難の業だ。
――“トガビトノコ”。
一部の者達は、異怖、あるいは侮蔑の念を込めて、俺をそう呼んだ。
今となっては、口にする者もほとんどいなくなっていたが、とんだ当たりを引いたらしい。
俺をそう呼んで、無事だったヤツなどいないのに……命知らずめ。
となりにいる雪は、俺の様子に気付いているのに、顔色は変えなかった。今度は、彼女がストッパーになる番だ。
「俺は、どうすればいい?」
余計な詮索は一切挟まず、横目で俺を窺う。
その気遣いが、とても嬉しかった。ありがとう、雪。
少しだけ落ち着いて、深く息を吸う。
「雪……大暴れして良いぞ。あの野郎ぶっ潰す」
彼女なら、羽目を外しても人を殺すような真似はしないだろう。
俺がフォローに回らないといけないように、大暴れしてくれ。ちょっとでも意識を他に逸らしていないと、この路地が鉄臭くなる。
やっと下された「許可」に、彼女はニッと口元を歪めた。
「了解しました……ご主人様」
警棒を構え直す雪の横で、俺も臨戦態勢に入る。
――暴れるな……加減を忘れずに。耐えろ、耐えろ……。
心の中で、呪文のように繰り返す。
「警備部は二人一組、体術特化と能力特化のコンビだ。能力特化の奴は懐に入れば、こっちのもんだ。間合い詰めて行け」
「了ー解!」
短く情報を残し、地を蹴って走り出す。俺に倣って、雪も走り出した。
走りながら、自分に意識を集中させる。
施術対象は己自身、身体能力強化の禁呪。
こちらは知識部、あちらは警備部。多少のハンデを付けてもらわないと、な。
警棒を伸ばしながら、雪は間合いを詰めていく。別に相談したわけでもないのだが、彼女は若い方――能力特化の方へ狙いを定めた。
「……目標の攻撃意思を確認。応戦します」
青年警備官は、神経を集中させる為に目を閉じる。
二人一組だからこそできる集中法だ。戦闘中に目を瞑るなど、自殺行為に等しい。
それ故に、術士を守る体術士側の負担は重い。相方と自分、二人分の身を守らなければならないのだ。更に敵が複数の場合には、術の発動まで全員の足止めをしなければならないのだから、相当だ。
壮年体術士は、真っ直ぐに術士目掛けて突っ込む雪に向けて刃を抜いた。流れるように放たれたその刀身は、灼熱の光を受けて猟奇的な耀きを見せる。
踏み出す脚に力を込め、刃を握る手を目掛けて一気に蹴り上げる。
さすがというか、掠った程度でダメージは与えられなかったが、俺の動きに目を丸くしていた。してやったり。
態勢を整え直す俺達の横で、急激に温度が上昇する。
炎術の発動……避けろよ、雪!
雪はギリギリの距離まで間合いを詰めて、上に跳躍した。まるで舞うような、優雅な姿だった。ひらひらと揺れる着物の下を、小さな炎弾が疾駆していく。
「女の子には、優しくしないとモテないぞ」
彼女はニッっと口元を歪めて、思い切り警棒を振り上げる。少なくとも、その光景は「女の子」には程遠かった。
「脚狙え!!」
不意に、体術士が声を張り上げた。
指示を受けた術士が、慣れない手つきでナイフを抜き放つ。勢いそのまま、宙に浮いた雪の脚を狙って水平に薙いだ。
雪は振り下ろした警棒で難なくそれを払い、軽く地に降り立つ。
「よそ見してんなよ、オッサン」
横目で相方を気にしている体術士の顔面に、右の拳を振り抜く。術を掛けてあるおかげで、結構なスピードが乗っている。
何かこうして身体使うのも、たまにはいいもんだな。
自然と口元が緩んだ。
「……ったく」
俺の能天気な思考を読んだのか、雪が呆れたように呟いた。
その白い喉元に、ナイフが喰いかかる。能力特化とはいえ、警備官ってわけだ。
「……見事に急所をついてきやがる」
「雪、大丈夫そうか!?」
かく言う俺にも、体術士の白刃が襲ってくる。
ある程度までは避けれるが、さすがに全てをかわすのは無理だ。腰から短剣を取り、真っ向から受ける。重い衝撃が腕に加わり、ビリビリとした刺激が指先を支配した。
「来いっ! でかぶつっ!」
警棒持ち直し、低く構えを変えた雪が叫んだ。
全くもって頼もしい限りな相方で助かるよ、本当に。
刃を合わせたままで、体術士がふっと皮肉な笑いを漏らす。
「役人に対してあの言い様。さすが “トガビトノコ”の所有物……」
視界が真っ白に染まる。
――ああ、ヤバい。
呆然と己を見詰める、もう一人の俺がいた。
ダメだ、爆発する。
「消えろ……」
念じたつもりだったが、どす黒い感情が口から出てしまっていた。
言葉が生まれるのと同時に、身体が焼ける感覚がした。
一瞬、恐怖に歪んだ体術士の顔が見えたが、すぐに炎に飲み込まれて掻き消えた。
ドンッと、低く響く音がして、俺と体術士を中心に爆発が起きる。
「なっ!?」
濛々と立ち込める煙の中、雪の上ずった声を頼りに歩く。
右手では、意識を失った体術士の襟首をつかんでいる。ぐったりしてはいるが、域は途絶えていないようだった。制服も皮膚も髪も焼け焦げて、見るからに痛々しい有り様だが、命があっただけ十分と思ってもらわなくてはならない。
ようやく晴れた煙の先には、こちらを凝視する二人がいた。
雪と眼を合わせることができなくて、鋭く術士を睨みつける。
ヒッと小さく悲鳴を漏らして、ヤツは身を固くした。こんなんで、この先警備官が務まるのか?
「役所長に伝えろ。今度手ぇ出してきたら、焼き殺してやるってな」
言い捨てて、手にしていたお荷物を放り出した。
もちろん、ただの脅しのつもりだったが、効果は絶大だったようだ。
「あんな近距離で……有り得ない……。化け物……!」
――“化け物”……“トガビトノコ”……。
うるさいうるさいうるさいっ……!
治まりかけた熱がまた込み上げてきたが、雪が冷ましてくれた。
「……ホント……ご主人様ってば大胆……」
こちらの事情もわからず苦笑する彼女の声で、スッと熱が引いていく。
「おい、コレ持って帰れよ」
顎をしゃくって地面に転がる体術士を示すと、術士は壊れた人形のように首を縦に激しく振った。
それを見届けてから、ぎこちなく雪を見る。
「雪……行くぞ」
「あっ、ああ」
彼女は面食らったように戸惑っていたが、歩き出すと黙って後ろを付いてきてくれた。
ありがとな、雪。
人気のない路地に入り、しばらく二人で無言のまま歩いた。
何も言えない。
こんな理性ゼロの失態……。自己嫌悪で吐き気がする。
「……怪我、してないか?」
俯いてようやく吐き出した言葉は、空しく地面に跳ねた。
雪は、そんな俺を真っ直ぐ見てくる。
「お前こそ……顔色悪いぞ」
雪の気遣いに、曖昧ながらも少しだけ笑うことができた。
曖昧な笑顔で言えたのは、やはり曖昧な言い訳だった。
「警備部とやり合うなんて久々だからな。少し疲れたよ」
「俺だって、こんなとこで暴れる羽目になるとは思わなかったさ……っつ」
急に、彼女の表情が引きつる。咄嗟に右手を抑えた所を見ると、どうやらそこが痛むらしい。
「だ、大丈夫か!? まさか爆発に巻き込まれて……」
「……なんでもない。大丈夫だ」
「またお前はそうやって……良いから見せろ!」
「…っ痛」
無理やり雪の腕を取ると、押さえていた右手に火傷を負っていた。その形はどこか鎖のように見えて、胸が何故かざわついた。
「いいからっ、ほっとけ」
「痕が残ったらどうするんだ? ちょっとじっとしてろ」
身じろぎする彼女を抑えて、腕に意識を集中させた。
便利な事に、俺は治癒術まで使うことができた。
「止せって!」
とうとう雪は、乱暴に俺の手を振り払った。必死な様子に、思わず謝罪が口を吐いて出る。
「ご、ごめん」
「……無理だよ。怪我じゃねぇし……」
俺が黙ると、雪は気まずそうに小さく舌打ちして俯いた。先程と立場が逆転してしまった。
「……誓約の力が働いただけだ。大したことじゃない」
「誓約……? 正統な主人がいるのか?」
怪訝な顔で尋ねる俺を見て、一瞬大きく目を見開く。
何だ? 踏み込んではいけない所だったか……。
心配するこちらを余所に、雪はめんどくさそうに頭を掻いて、言葉を探している風だった。
上手く見つからないらしく、何度か口を開きかけたが、すぐに閉じてしまう。
薄々感じてはいたが、説明が苦手なんだな。失礼だとはわかりつつも、少し笑いが込み上げてくる。
「……だぁーっ! 面倒くせぇ!」
散々考えた結果がコレかい。
「手! ……手を出せ!」
彼女は、いきなり手をこちらへ突き出してきた。
「何だよ?」
困惑しつつ、言われるままに手を差し出す。
煤で汚れた俺の手に、雪の小さくて白い手を重ねられる。
だが、彼女の手は俺のをすり抜けていった。白いというよりは……透けている。半透明のその手を通して、地面が見えた。
「……わかるか?」
「……!?」
驚愕して雪を見るが、彼女は目を合わせずに自分の手に視線を落としていた。
「生身じゃねぇからな……。誓約の元動かなくてはならない。だが……」
一度言葉を切って、雪は黙り込んだ。また、言葉を探しているのだろうか。
聞きたいことはたくさんあったが、俺も黙って続きを待つ。
多分、コレは雪の不可侵領域だ。俺から入っていって良いものじゃない。
「まっ、暴れた代償……だろ」
ほどなく出たのは、明るい笑顔。
俺も、つられて笑ってしまった。
「……やっぱ、何か似てるな」
不思議そうな顔をする雪に、俺は無言の笑顔で返した。
恐らく、伝える時は来ない。
コレは、俺の不可侵領域。
「とにかくっ、この後どうするんだよっ!?」
急に現実問題に引き戻されて、すぐには頭が回らない。
書物はこれ以上当たっても、有力な情報は期待できそうもない。それに、警備部とやり合った手前、役所には近寄りづらかった。
「南方セカイの伝承で気になる物があるんだ。それを調べようと思う。人を当たっていくから、少し歩くぞ」
「了解。さっさと行くぞ」
今一度、雪は息を吐いた。それは、彼女なりの気合いを入れる為の行動なのかもしれない。
俺も、気合いを入れて掛からなきゃな。
更新が大変遅くなり、申し訳ありません!
な、長かった……(汗)
もう少し戦闘シーン書き込みたかったのですが、割愛(^_^;)
彩羽と雪、互いの不可侵領域お披露目です。
ケンカもしつつ、何とかうまくやってくれているようです♪
そろそろ物語も終盤に差し掛かってきました!
乞うご期待!