冷凍作戦1
ヨシダビルからほど遠くない場所に、防護フェンスに囲まれた工事現場が設置されていた。案内板には地下鉄跡の調査工事と書かれていたが、実際には上山町のフェロッソフの後処理の資材を運び込むためのものである。フェンスの内部は資材と重機が置かれているほかに、地下に資材を運び込むための運搬用のエレベーターが設置されている。
ガタイのいい男の運転するトラックがその工事現場の中に入っていく。荷物は全て陽明町のフェロッソフ対応用のものであり、運転手も現場の中の作業員も全て狼男である。
ここでヨシダとヤマダの両部隊の狼男全員が志茂田隊長の指揮の下、対陽明町フェロッソフの作業に当たっている。
エレベーターで地下に下ろされた資材は、次々とトンネル内の人力トロッコに載せられ、陽明町に送られていった。
トンネル内に張り巡らされていたチューブはフェロソフの死後、中身が無くなったようで表面も非常に脆くなっていたため、そのチューブを排除して運搬用のトロッコを動かせるようにしたのだ。
陽明町の地下の天井からは、露出したフェロッソフがその異質な塊を工事用の照明で照らし出されていた。
工事用の照明が強いので、フェロッソフが発する不気味な光は目立たなくなっている。しかし表面の濡れたような質感と、そこから斑に生える鞭毛のようなものが揺れているのが目立ち、逆にその不気味さを際立たせていた。
「こうしてこれを間近に見るとはな」
耶麻人はフェロッソフを見上げながら誰に向かうでもなくひとり呟いた。
今はトンネル内に足場が組まれ、天井のフェロッソフを覆い隠すように樹脂シートを張り込んでいる最中だった。フェロッソフをシートと保護版で完全に囲い込み、その空間に液体窒素を流し込んで冷却をする計画になっている。
天井からロール状のシートをフェロッソフの本体に触れないように少しずつ延ばし、シートとシートを溶着していく。隙間が有れば液体窒素が漏れてしまうので慎重に作業を進めなくてはならない。
「フェロッソフを刺激しないよう気を付けろよ」
「オーケーだ!」
20人程の狼男がフェロッソフの本体に手が届く様な近距離で作業を行っている。チューブが死に絶えたことで、フェロッソフはトンネル内の狼男の行動に反応しなくなっていた。以前であれば10メートル程度まで近づこうものなら、フェロドゥワームが飛び出してきたので、今のような作業は不可能だったはずだ。
シート自体には柔軟性が求められるので、シートを張り終えた後、更にシートを支え保護するための硬質ボードで覆っていく。それらの作業を足場の上で上向きの姿勢で行わなければならないのは狼男と言えどもきつい作業になる。
「しまった、やっちまったゾ!」
1人の狼男が舌打ちをした直後に警報が鳴り響いた。狼男が一斉に足場から飛び降り、トンネルを上山町側に全力で駆けていく。
上山町側には対フェロドゥワーム用の避難所が設けられているので、警告が出ると作業を中止しその中に避難するようになっていた。
「すまん。触っちまった」
「なに、いい休憩時間になる。とりあえず様子を見ながら15分間休憩するぞ!」
今回ヘマをしたのはヤマダの狼男だった。耶麻人の言葉に合わせて、各々保冷ボックスの中の飲み物を取り出す。
フェロッソフは脈動と共に警戒色らしい光を発しているが、フェロドゥワームを放出するには至っていない。これならば数分で落ち着くはずだ。
「しかし、思ったより手間が掛かりますね」
「まあ、空中作業だから仕方が無い。仮にフェロドゥワームが出てくるようなことになれば1時間以上足止めを食らうんだから、この位は仕方がない」
トンネル内で作業をしている狼男は全員狼男化を済ましている。その毛の生えた顔がフェロッソフの警戒色を反射してネオン街で仮装をしているかのように見えた。
「よし、交代まで後1時間だ。気合い入れていけ」
耶麻人の声に応えて、ウォーという雄叫びが上がり、トンネル内に響き渡った。
声がでか過ぎだ! これにフェロッソフが反応したらどうするつもりなんだ。耶麻人の表情は狼の毛に隠れてはっきりしないが、苦虫をかみしめたような表情であった事は間違いない。
その間、別の部隊がトンネル内の換気装置を設置する工事を行っていた。トンネル内には何か所か換気口が設けられていたが、大半がフェロッソフのパイプに塞がれていた。
そのパイプを排除し、電動の大型ブロワーを設置して強制排気が出来るようにする。液体窒素を使用する際には窒素ガスが大量に漏れることが想定されているので、その対策をしておかなければならない。
そして以前監視用に整備していた陽明町神社下の待合室を臨時のコントロールルームとして使えるようにする。
全ての準備が整うのに6日。優雨丞が宣言した日程より1日早く完了させることが出来た。
狼男がトンネル内の工事をしている間、サキュバスは上空から数回変電所の状況を確認、狼男に報告をしていた。
既に変電所は工事用のパネルで完全に囲い込まれており、外部からフェロッソフを確認することが出来なくなっていた。
塀の内部にはフェロッソフを囲んでいる閉鎖されたブロックとプレハブで作られた自衛軍の設備があり、制服を着た兵士に混じって一般の作業員と思われる人々が確認された。
塀の外側では送電塔が倒れた部分の道路以外は封鎖も解除され、車も人も通行可能になって以前と変わらないように見えた。
フェロッソフの冷却作業は、外部への影響と天候を考慮して2月13日零時開始と決められた。
変電所の様子を外部から監視するのはサキュバスが行うことになり、最初は紅音が担当し、途中でアナに交代するという手筈になった。
紅音は零時少し前に近くのビルの屋上に到着するとサキュバスの翼を畳み、防寒用のコートを着込んだ。変電所の施設内が一望できる場所に陣を取ってある。
「12時きっかりに開始するのよね」
「そうよ。今優雨丞から開始したって連絡来たわ」
「それにしてもしばらく何もないってことなのよね。何もしないで待つってつらいわぁ」
「そうだといいけど、何か起こるかもしれないって事だから…。寒いのにごめんなさい」
「まあ、たまにはこういう仕事もあるから。でも今日は暖かい紅茶も用意してあるし気楽に待つわ」
「3時にはアナが交代に行ってくれることになってるから、それまでお願いします」
「解ってるわ。何か変化が有ったらすぐに連絡するからよろしくね」
紅音はミチルとの電話を切ると変電所に注意を移した。
変電所の敷地内に灯は殆ど無い。フェロッソフを囲っている建物は金属板そのものなので、暗闇の中では周りに少しだけある灯を映しこんで黒い氷の塊のようだ。そこから少し離れた位置にあるプレハブの建物からは灯が漏れて、その中に人が居ることが察せられた。
時折敷地内を哨戒しているのだろう、灯を手にした人影が移動して行く。
変電所内の様子はそれが全て、そしてその外側の道路も深夜と言う事で人影はほぼ無く、時折通り過ぎる車のライトが流れていくだけだった。
「これは思ったよりきついわねぇ」
紅音は首を振って一人呟いた。
持ってきていた水筒からカップに紅茶を注ぐと一口口を付ける。
サキュバス化しているので寒さはそれ程感じないが、これから3時間。ここからただじっと見守るだけと言う仕事はかなりきつくなりそうだった。
「始まったわよ」
「うん、解った。でも当分は何も起こらないんだよね」
「そうね。とにかく何か変化を感じたら直ぐに教えてちょうだい」
ハナハナの仕事場で、ミチルは緊張した声でアイちゃんに作戦が始まったことを伝えた。対するアイちゃんの声はいつも通りで全く緊張感は感じられない。
まあAIに緊張と言う概念などない筈なので当たり前なのだが。
>始まったわ。
>>そうみたいだね。でもボクの出番は最後までないと思うからボクは待機しているよ。何かあったら連絡してね。
>了解。
フェロちゃんは静観を決め込んでいるようだった。
ドアをノックしてアナが紅茶とクッキーをお盆に載せて入ってくる。今日は紅音と交代の時間までミチルの仕事場で待機していることになっていた。
「ふーん、アイちゃんてかわいい声してるのね」




