フェロッソフの最後
フェロッソフが停止した2日後には、トンネル内は人が入れる環境ではなくなっていた。
広場内にあふれていた大量のフェロドゥワームの表皮が破れ、その中から大量の酸性の体液が流れ出したのだ。広場は一時的に酸の湖と化し、フェロッソフの本体はその酸の湖に崩れ落ちて行った。
その結果広場には有毒のガスが充満し、そのガスは地下鉄跡のトンネルにあふれ出ることになった。当然そこに繋がっていた地下鉄内にも異臭が立ち込め、地下鉄の運航が出来なくなるという事態を招くことになった。
異臭の原因を陽明町の変電所の事故と関係があると考えた人が多かったため、役所に苦情が殺到し、職員がその対応に追われるという状況にも陥っていた。
狼男にしてみれば、あれだけ厳重な警戒をして、2部隊が編成されたにも拘らず、フェロッソフが自然消滅するのを手をこまねいてみているだけと言う結果になっていた。
今や狼男の仕事は、照明に照らされた無残な広場とトンネルの汚染処理へと変容していた。地下20メートル近い深部から内部に溜まった有毒ガスを排出し、フェロッソフの痕跡を消さなければならないのだ。
機能しなくなったとは言え、それらが極秘事項であることに変わりは無い。自衛軍にすら知らされていない機密事項なので、防護服とガスマスクを着用したヨシダとヤマダの狼男がその後を担当することになったのは必然と言えた。
>>お腹が痛いのも無くなったし、絶好調だよ。
フェロちゃんは上機嫌のようだった。
ミチルにしてみればこの数日間、一切フェロちゃんと連絡を取ることが出来ずに気をもんでいたのだが、フェロちゃんは突然何事も無かったかのように復活してきた。
>それで連絡が無かったのはどういう理由なの?
>>うん、狼男が電源破壊した副作用だよ。あの実体化したボクが機能不全を起こして言語系が不安定になっちゃったんだ。
言語系、つまり会話が不可能になったという事か、仕方が無いが何か連絡する方法は有ったような気がする。
>それでその後、フェロッソフが停止したのはどういうことなの?
>>実体化したボクのガードが甘くなっていたからね。ボクが直接入れるようになったんだ。それであれを固定していた電源関連をちょっといじってやったらいい感じに壊れちゃったんだ。
君たちの感覚で言えば手術で病巣を削除したみたいな感じかな。
>それじゃ、これで全部終わったってことでいいのよね。
>>ボクは完治したって事でいいんだけど、ちょっとだけ問題が残っちゃったかな。
>問題って何?
>>前に話した、もう一人のボクだよ。彼が関係していたみたいで、壊すときに存在を感じたんだけど端っこに逃げて行っちゃたんだ。だから陽明町って場所の病巣はまだ残っているでしょ?
陽明町で自衛軍の処理が終わったという報道が無いのはそのせいなのか。
それって放っておいてもいいんだろうか…
>陽明町のフェロッソフはもうフェロちゃんには関係ないの?
>>そうだよ。今はもう完全に切り離しちゃったから、別のものだよ。
>あっちは放っておいても大丈夫なの?
>>ボクは大丈夫だよ。
>いえ、フェロちゃんじゃなくて、人間への影響。外に出ちゃってるし、今自衛軍が対応しているんだけど退治できるのかどうかって言う話。
>>ああ、それなら無理だろうね。もう一人のボクが何を考えているかは解らないけど、あっちからエネルギー補充してるから自立してるし。君たちが言うところのフェロドゥワームが出ちゃってるからね。物理的な破壊は無理なんじゃないかな。
うわー、もう無理的な話になってる。
>そのフェロドゥワームってそもそも何なの?
>>あれはね、攻撃を受けたりすると防衛反応から自動的に出てくるんだ。免疫反応みたいなものだよ。君たちが理解しやすい言葉にすると白血球みたいな感じだね。
白血球か…、言われてみればそんなイメージは有る。
>>人間が手を出さなければ自然消滅するかもしれないけど、無理な攻撃をしたりするとフェロドゥワームより強力な防衛反応が出てくるかもしれないよ。
なんと、フェロちゃんが恐ろしいことを言ってきた。フェロドゥワームより強力な防衛反応って何なんだ?!
今自衛軍って何やってるんだろう? 後で確認した方がよさそうだ。
>フェロちゃんから何とかできないの?
>>それは無理だよ。もう一人のボクは別の世界の事象なんだ。
ボクにしてみれば、映画を見ているようなものだから、干渉は一切出来ないよ。
とにかく、彼に手を出さなければ、彼が飽きるかすればそのうちに消えると思うけど。
但しそれが10年後なのか100年後なのかは、彼次第なんで判らないけどね。
なるほど、こちら側から手を出さなければ何も起こらないのか…
そんな風に上手くいくとも思えないが…、一応伝えてはみよう。
「…と言う話なんですけどどうなんでしょう」
ミチルはアトリエで仕事中の妖子さんに陽明町の状況を説明してみた。
「そもそもが軍がやっていることだからねぇ。仮に協会が信じてくれたところで動くことは無いだろうね。そもそもその話の出所ってフェロちゃんなんだろ? 協会に話を持っていくところからして無理だろうよ」
「やっぱりそうですよねぇ。笑里さんのルートでも無理ですよね」
笑里は公安関係なので中の人にはなるが、あくまで警察官の延長線にある立場だ。一介の警察官の言う事など、取り上げてもらえるとは思えなかった。
「まあ、無理だろうね」
サキュバスルートは考えても無駄なのだろう。
「それじゃ、狼男の方あたってみます」
「あんたも、懲りないねぇ」
妖子さんは呆れた顔で、仕事の続きに戻っていった。
「隊長、ミチルさんから連絡があって、陽明町のフェロッソフの相談をしたいと言ってきたんですがどうしますか?」
優雨丞は廊下を歩いていた志茂田隊長を捕まえた。
「今更俺たちに相談と言われてもなあ。何も出来んぞ」
優雨丞を振り返った志茂田隊長は渋い顔をする。今はただ地下のフェロッソフの後処理に追われているのがヨシダ部隊だ。
「…それなら俺一人で聞いてきましょうか」
「そうだな、そうしてくれ。本当に重要な事柄が出てきたら、その時点でまた考えよう」
優雨丞から2人だけでと連絡が来た段階で、ミチルはネットワークの会議を提案した。おそらく狼男側は重要な案件ではないと考えたのだろう。しかし優雨丞1人では決定権が無い。面倒な話になれば志茂田隊長を交えて再度交渉をしなくてはならなくなってしまう。
ネットワークの会議であれば、近い所に志茂田隊長が居る筈だ。呼び出してもらえさえすれば交渉を一度で済ますことができる。
ミチルはハナハナの仕事場から、優雨丞は会議室を一つ借りて話し合いを行うという段取りになった。
「忙しそうですね」
「今はフェロッソフの後片付けに追われてはいるからな」
ミチルは皮肉を込めてそう言ったのだが、優雨丞にそれが伝わった様子は無かった。
「それで陽明町の状況はそちらに伝わっているんですか?」
「いや、こちらにはまったく何も来ていない。自衛軍が入っているんだから、そろそろ何とかなるのだろう」
やはりそうか、狼男は陽明町も自分たちが扱っていたフェロッソフと同様に終わったと考えているようだ。ミチルが危惧していた通りの反応だった。
「実はそれがそうでもないんです。自衛軍に大きな被害が出ていますし、けが人も出ています。このままだと長期戦になります」
陽明町の内部事情を聞くと、案の定優雨丞の表情は険しくなった。
「上は知っていると…」
「知っています」
ミチルがそう断言する根拠を優雨丞は知っている。
「俺たちに出来ることがあるというのか…」
「そのための相談ですから…」
「わかった、すぐに隊長を呼んで来よう」
優雨丞はちょっと考え込んだ様子を見せたが、そう言って立ち上がった。
これでやっとスタートラインか…。ミチルは向こう側に誰も居ない画面を見て大きく息を吐き出した。




