フェロッソフの暴走3
とても不味いことになっていた。
優雨丞からフェロッソフが異常状態にあると連絡が来た。
狼男の計画が実行された直後なのだ。私の計画が発端になっているのは間違いない。
計画の立案はわたしと言うことになっているが、フェロちゃんからの提案をまとめたものなので、このような結果が出ることは想定していなかった。
そして今、フェロちゃんと連絡が取れない。インターフェースを介して呼びかけるが反応が一切無い。
フェロちゃんとの付き合いも長いが、過去にこのようなことは一度も無かった。
そもそもフェロちゃんって何なんだ。今更のように考えてみる。
パソコンにインターフェースを繋ぎ、プログラムを介してプロンプトに言葉を打ち込めば反応が返って来る。
ウィンドウ内でテキストによる会話を行うだけで、フェロちゃんというプログラムの実態は何も解っていない。本人が言うネットワーク上に存在するAIという話を鵜呑みにしているだけなのだ。
こうして何も返ってこないウィンドウを見ていると、本当に今まで存在していたのかも疑問に思えてくる。
わたしはフェロちゃんと言う存在を語る何者かに騙されてでもいたのだろうか?
そんなことはあり得ないことは解っている。
ただ自分がフェロちゃんが居なければ何もできない、非力なプログラマーでしかないということをひしひしと感じていた。
ミチルはパチンと自分の頬を両の手で叩いた。
何を考えているんだ。くだらない思考に気を取られている場合ではない。
今わたしが出来ることは何なんだ。
「妖子さん、少し出掛けてきていいですか?」
「そりゃ構わないが…」
そう言い掛けた妖子さんは、ドアの向こうに立っているミチルの姿を見て眉をひそめた。
「いったい何を始めるつもりなんだい」
ミチルが身に着けているのはサキュバスの衣装だった。
「事故の状況を確認してきます」
「あんたが責任を感じて慌てて動いたところで何が変わるって言うんだい」
そう言うと、妖子さんはまた仕事の続きを始めた。
「そういうつもりじゃないんですけど、私なら上から状況が確認できます。何か少しでも判ることがあれば役に立つと思うんです」
「相変わらずだね、どうせあたしが止めろって言っても行くつもりなんだろ。ならちょっと待ちな」
妖子さんは、ふんっ!と鼻息荒く立ちあがると、アトリエのドアから大声で紅音の名前を呼んだ。
「ミチル、何考えてるのよ?」
店にから戻ってきた紅音は、ミチルの姿を見て目を丸くした。
「事故現場を見に行きたいんだとさ。店の方はいいから近くまで連れてってやりな。ここから飛んでってエネルギー切れでも起こされた日には、目も当てられないからね」
「ミチル本気なの?」
紅音の問いにミチルは厳しい顔で頷く。
「出来ることはやっておこうと思って。多分わたしにしか出来ない事だから」
紅音は妖子さんの顔を見直すと、ため息をついた。
「母さんがOKなら仕方ないけど、やっぱり昼間出るっていうのは心配よ」
「あたしゃ止めたよ。ただこの娘は言い出したら聞かないからね。だからせめて近くまで車で送ってやりな」
妖子さんはそれだけ言うと、後ろを向いてまた仕事に戻った。
「すみません」
ミチルは妖子さんの背中に頭を下げた。
「陽明町の変電所なのよね。ニュースで見たけど、交通規制とかされてて近くまで行くのは無理そうよ」
紅音がナビの画面を確認すると、沢山の通行止めのバツ印が変電所を囲んでいた。そしてあちこちの道路が渋滞を表す赤い表示になっている。
「飛び上がりさえすれば認識阻害が働くから大丈夫だけど。問題はどこから出るかってことよね」
「いつもなら、人気のないビルの屋上とかから出るんだけど。今日は人が多すぎね…」
まだ変電所からの距離があるのだが、交通規制の影響なのだろう。既に道路は渋滞している。
おまけに事故の噂を聞いてわざわざ見に来た野次馬もいるようで、いつも以上に人が多い。
「こうなるとどこか目立たないところに車を停めて、ミチルが戻ってくるまで待機っていうのも難しいわねぇ」
「ああ、そう言えば」
ミチルがポンと掌を拳でたたいた。
「少し戻るけど、オカノヤはどうかしら。あのスーパーって屋上に駐車場有るじゃない。しばらく止めておいても大丈夫の筈よ。それにわたしも出やすいと思うし」
「ああ、あの店ね。確かにいいかもしれないわ。この時間なら空いているはずだし。ちょっと回っていくわね」
紅音はオカノヤに向かうために、次の交差点で車を左折させた。
スーパー・オカノヤには1階の駐車場と屋上の駐車場がある。休日や夕方の混雑時以外は屋上まで上がる車は多くない。
紅音がオカノヤの屋上まで車を進めると、案の定ほとんど車は停まっておらず、屋上の駐車場はガランとしていた。そのまま車を進め、入り口の向こう側の陰になっている部分に車を停める。
「それじゃ私はスーパーで買い物をしながら待っているから、20分で戻ってきて。遅れたり何かあった場合にはすぐに連絡してね」
「うん、解った。心配しないで。無理はしないようにするから」
そう言ってスライドドアを開けて車の外に出るミチルを、紅音は心配そうに見送った。
心配しないでと言ったミチルだが、実際には不安しかなかった。
確かにミチルは昼間の空を自由に飛ぶことが出来るし、認識阻害がうまく働くことは確認済みだ。とは言っても今まで飛行確認したのは人気の少ない町の中だけ。今回のように大勢の人が地上に居るという経験は無い。おまけに今回は警察と自衛軍の兵士が大勢いるのだ。
そして極めつけが自衛軍の偵察のヘリまでが上空を飛んでいる。
どう考えても無理ゲーなのである。
ミチルはオカノヤの駐車場を後にすると、一気に上昇して変電所の場所を確認した。
以前見た時には高くそびえたっていた送電塔が倒れている。その下の建物の一部も崩れているように見えた。
変電所を囲んでいる塀はかなり広めにとられているようで、その中を複数の大型車両が動いている。敷地内に居るのは制服を身に着けた自衛軍の兵士だ。
そしてその上をヘリが一台、ミチルと同じくらいの高さを巡回している。サキュバスは飛行している限りレーダーにも映らないと聞いているが、やはり気持のいいものではない。
そう言えばサキュバスの飛行速度ってどのくらい出るのだろうか? あのヘリに追いかけられたら…。無理だろうと思った。
ミチルはとりあえず変電所に向かってそれなりの速さで進んだ。速さの基準が解らないので、とりあえず疲れない程度の速さと言ったところだ。
ヘリを視野の片隅に入れて、なるべく離れるようなコース取りをする。まあ、見なくともヘリのローター音はいやがうえにも耳に入るのだが。
ミチルが変電所に近づくにつれて気づいたのが、地上に映る自分自身の影だった。
認識阻害が働いているはずであるが、影はしっかり見えている。
これはどうなんだろう。普通のサキュバスは夜に行動するからいいが、今のように昼間太陽が出ていると、影は隠しようがない。地上の人間は気が付かないかもしれないが、上空を飛んでいるヘリから見ればくっきりと見える筈だ。
これは絶対に不味い。
ミチルは、自分の影がヘリの遠くに位置するように迂回をしながら変電所に近づく。
変電所に近づくにつれ、その異常な光景が露わになった。
以前来た時には、鉄塔の上にぼんやりとしたフェロッソフの光が見えていただけだったのだが、今はその鉄塔は地面の上に無残な姿で倒れていた。そしてその基部にあった建物が半壊し、内部から不気味なゼリー状のものが顔を出していた。
陽の光の中でそれは発光しているようには見えないが、それでもその色が不気味な色であることに違いは無かった。
そして大勢の兵士たちがそのフェロッソフを囲むように金属板を設置しているのだが、大きなヒルのような物体がその工事を妨害している。
金属光沢を放つその物体が、フェロドゥワームであることは間違いなかった。しかし地下で目撃したものとは全く違っている。地下のフェロドゥワームは赤と黒のまだら模様だったし、光を嫌っていた筈だ。ところがこちらのフェロドゥワームは金属のような光沢を持ち、陽の光の中で平然と動いているように見えた。
ミチルは慎重にスマホのカメラでそれらの様子を動画で撮影していった。
今のところは下に居る兵士達に気付かれている様子も無く、ヘリから何らかのアクションも見受けられない。
ミチルは腕時計のアラームを確認すると、スマホの撮影を止め、隠しポケットの中にしまい込んだ。紅音に戻ると約束した時間である。
ミチルは静かに陽明町の変電所を後にした。
「大丈夫だったの」
「大丈夫じゃなかったら戻ってないわよ」
「それはそうなんだけど、心配じゃない。私たちから見れば丸見えなんだもの」
「そうなのよねぇ、自分では見えてるから本当にドキドキだったわよ」
ミチルはサキュバスの衣装の上にダウンのコートを羽織った。
「何はともあれ無事でよかったわ。それじゃさっさと帰りましょう」
「ありがとうね。ところで紅音は何をしてたの?」
「夕飯の材料買っておいたわ。ああ、そうそう。イチゴのロールケーキが安くなっていたから買っておいたわ。帰ったら頂きましょう」
ニッコリと優雅にほほ笑む紅音に、ミチルは主婦の力強さを感じた。




