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「ところで、服貸してもらえないかしら。下着の替えは持ってきてるけど普通に外に出れるような服は無いのよね」

 アナは鏡に映る自分のパジャマ姿を横目で見ながら、未千流みちるに声を掛けた。


 確かに昨日のサキュバスの衣装で外を歩くわけにもいかないだろうし、そう言えばアナの普段着ってどんなんだろう。


「どんな服がいいの、クローゼットの中に引き出しがあるから好きなの選んでいいわよ」


 寝室のクローゼットはウォークインになっていて、自宅から持ってきた箪笥を入れてあった。木目色が濃すぎてインテリアには合わなかったが、クローゼットの中ならば気にならないのでそのまま使っている。


 アナは箪笥から自分に似合いそうな服を何点か取り出すと、クローゼットの鏡の前で身体に当てて確認する。


「シャワー借りるわね。あ、そうだ。未千流もこまめにシャワー浴びてキチンと匂い洗い流さないとだめよ。昨日着ていた服はフェロモン染み付いてるから全部洗濯しないとダメだからね」

 アナはまるで小姑のようだ。


「解かったわよ、…そう言えばアナのあの衣装はどうするの? 問題無いなら私のと一緒に洗っちゃうけど」

「そうね、ならお願いするわ」

「なら脱衣場の洗濯機の横に置いといて」


 フェロモンかぁ。そうなんだった。あれから気にしてフェロモンはコントロールしてみてるけど、気を抜くと直ぐに漏れ出してくる。

 しかし着替えて洗濯かぁ、一日に何度洗濯すればいいんだろう。



 シャワーを浴びてたアナが、ドライヤーを使っている音が聞こえる。タオルで髪をまとめ、バスルームから出て来たアナは、ジーンズに黒地のプリントのTシャツ。ごく普通の女の子に見える。私より背が低いので、ジーンズの裾をまくっているのがまた可愛らしい。

 そう言えばこのの歳、幾つなんだろう? わたしより年下だとは思うけど、それにしては妙な落ち着きを感じる。




 未千流がシャワーを浴び、洗濯機を回してダイニングに戻ってくると、アナが冷蔵庫の中身の確認していた。

「少なくとも2、3日分の食料は買い込んでおきたいわ。この後あたしが買い物行ってくるけど。…近くにスーパーとかある?」


「現金でもいいけど、クレジットカードあるわよね。貸してくれる?」

 未千流はアナにスマホの地図でスーバーの場所を説明をしていたのだが、アナの言葉に露骨に嫌な顔をした。


「なに! 無駄な買い物なんかしないわよ、まさか使い込むとか思ってるわけじゃないでしょうね!」


「そんなこと言ったって、昨日会ったばかりのアナにクレジットカード渡せるわけないでしょ。さすがに、まだそこまでは信用してないわ」


 その言葉にちょっとムッとした表情のアナだったが…

「まあ、そりゃそうよね。確かにあたしだったら貸さないわ。じゃあお金貸して…」


 アナは未千流から5千円札を1枚受け取ると立ち上がる。

 玄関のコート掛けから自分のダウンのコートを外して袖を通した。


「玄関のロックナンバーは教えてくれる? それともインターホン鳴らした方がいいの?」

「インターホン!」


 即座に答えた未千流に、アナはニヤリと片方の唇を上げて見せた。


「誰が来ても絶対に鍵は開けちゃだめだからね!」




 1人暮らしにはありがちな事だが、未千流の部屋も散らかっていた。


 仕事を終えた後、アナに出会って、それからすったもんだあった訳なので片付ける時間などある筈がない。これは仕方がないことなのだ、と未千流は自分に言い訳をするが動かなければ何も変わらないのは解っている。


 ダイニングテーブルに座って周りを見回す。

 賃貸なので当たり障りのない白い壁紙に白い天井、床はフローリング。アクセントにドアや窓枠が天然木になっているくらいなので、せめてカーテンとラグくらいはと、自分でミトリまで行って明るい緑色の物を選んでおいた。

 気に入った小物や縫いぐるみなどを飾ったりもしたが、こうしてみると雑然としている。


 玄関までの通路は取り敢えず問題ない。やはりダイニングからだ。


 ダイニングには食事用に2人掛けのダイニングセット。そしてパソコンとネットワーク関連の機材、その他の資料が山積みになった仕事用のスペースがある。仕事用のスペースは後回しでもいいだろう。とにかく生活感を無くそう。


 未千流は目立つ物を片付け、落ちていたごみを処分し終えたところで、掃除機をかける。


『ピンポーン』


 インターホンが鳴った。アナが帰って来たのかと思ったが、念のため掃除機のスイッチを切って耳を澄ます。…アナならただいまくらい言いそうなものなのだが…。


『ピンポーン』

 再びインターホンが鳴る。


「姉ちゃーん」


 えっ、一瞬で未千流は固まった。


「姉ちゃーん、居るんだろ」


 弟の陽大ようただ。やばい、何で陽大が来てるわけ? どう考えても今入れたら不味い。

 でもさっきまで掃除機の音がしていたという事は、居留守は使えない。


 焦る未千流。何とか追い返す方法を考えないと…。


 そうだ、これから直ぐに出掛けないといけないという事で、着替え中とかにすれば…。

 そう説明することに決めた未千流は大急ぎでインターホンに手を伸ばした。


「陽大? 何しにきたの、今ね…」


 インターホンのスイッチを押して、そう言い掛けたところで、手に持っていた掃除機のコードに足を引っ掛けて転びそうになる。

 慌ててテーブルに手を付いたまでは良かったのだが、飲み残しのコーヒーのカップがひっくり返った。宙を飛び、未千流に向かって飛んでくるコーヒーカップ!


「ウギャッ!」


 変な悲鳴が喉から漏れ、慌ててカップを避けたものの、頭からしっかりコーヒーを浴びることになった。

 大きな音を立てて床の上に尻餅を付く未千流に、床に転がるコーヒーカップ。


「痛ぁー」


 未千流は腰を押さえながら立ち上がった。でもこれで陽大を追い返す正当な理由は出来た。

 未千流は、チェーンロックを掛けたままドアを開けた。



「姉ちゃん、何やってるんだよ」


 物がぶつかる音と姉の悲鳴から、何かが起こった事は判っていたが、ドアの隙間から見えた姉の姿は想像以上に哀れな格好だった。

 髪の毛からはコーヒーが滴っており、来ているTシャツもコーヒーまみれ。ドアの外にまでコーヒーの匂いが漂ってくる。


「火傷してないだろうね」

「冷めてたから、大丈夫。それで何の用なの」


「メール入れてたの見て無いのかよ」

「ああ、ごめん。昨日は忙しくて…」


 陽大は紙袋をドアチェーンの隙間から差し出した。


「はい、母ちゃんから持ってけって言われた荷物、旅行のお土産だってさ」

 陽大はそう言ってからチラリと、姉の部屋の中を確認した。玄関から延びた通路の向こうにテーブルがあり、床の上にコーヒーカップが落ちている様子が見える。後が大変そうだ。


「母ちゃんには姉ちゃんは元気そうにしてたって言っとくよ、じゃあね」


「うん、ありがとうって言っといて」


 陽大はあきれた顔をして帰って行った。

 ホッと、息をつく未千流。何とか無事ごまかせた。姉の威厳は無くなったかもしれないが、この際そこに文句を付けてもしょうがない。


 弟が帰ったことを確認し、鍵をかけ直して片付けているところで、またインターホンが鳴った。

 忘れ物でもしたのだろうか?

 そう思ってインターホンに出ると、今度こそアナが帰って来たところだった。




「未千流、あなた一体何やってたの?」

 家の中の惨状を見て、顔をしかめるアナ。掃除機はひっくり返っているし、コーヒーは床にこぼれて、未千流も全身コーヒーまみれ。


「仕方ないでしょ、掃除してたら急に弟が尋ねて来たのよ」

「あなたは弟が来るとコーヒーをかぶる癖でもあるわけ?」

 呆れ顔で、ため息をつくアナ。


「そんな筈ないでしょ、単なる事故よ」

 床のコーヒーをふき取りながら、未千流は恨みがましそうな目でアナを見上げた。


「まぁ、それはそうと。弟君、部屋に入れたわけじゃないんでしょうね」

「それは大丈夫、荷物置いて呆れて帰ってったわ」


「確かに、その格好見れば納得するでしょうね」

 アナに身体を上から下まで、しげしげと見つめられた未千流は、なんとも言えない居心地の悪さを感じた。


「後はやっといてあげるから、あなたは早くシャワー浴びて着替えてきなさい」

「ありがとう、じゃぁお言葉に甘えるわ」


 未千流は今朝2度目のシャワーを使うためにバスルームに向かった。




「あたしは一度帰って、用事を済ましてからまた戻って来ることにするわ」

 未千流がシャワーを終えて、髪の毛を乾かしていると、アナが脱衣場のドアを開け、顔を出した。


「何かあったの?」

 急な話に未千流はちょっと緊張してドライヤーのスイッチを切る。


「そういうわけじゃないから、安心していいわよ。もともと帰ってやらなければならないことがあるだけ。でもあたしが返ってくるまで、一切家から出ちゃだめよ。インターホンが鳴ってもさっきみたいに反応しちゃだめだからね」


「…そうね。そうするわ」


「多分2、3日で戻ってこれるとは思うけど、念のため携帯番号登録しといた方がいいわね」


 未千流がリビングに戻ると、既にアナは帰り支度を始めていた。

「服はこのまま借りてくわね。留守の間に、きちんとフェロモン制御できるように練習しといてよ」


「うん解った」


「すぐに戻れるかはわからないけど、何か問題があったらすぐに連絡するのよ」

 アナは登録した未千流のアドレスを確認してからスマホをしまい立ち上がる。


 未千流はアナが出ていくのを見送りながら、サキュバスになって初めて1人きりになってしまうことを実感することになった。

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