クリスマスの長い夜1
「こんにちは」
ハナハナの勝手口のドアが開くと、すらりと背の高い女性が入って来た。上はウールの帽子からコートにパンツまでが濃い紺色の服装に、赤い口紅を引いた顔が室内の照明に白く浮き上がり、神秘的に見えた。
「はい、頼まれ物」
彼女は毛糸の手袋の右手をふっと持ち上げ、赤いケーキ屋さんのロゴの入った箱を差し出した。
「ありがとう助かったわ、ちょっと色々合って間に合わなくなっちゃったから。それじゃ上がってテーブルの上に置いといて」
紅音はコンロに掛かっている鍋の火加減を見ながら、横目で娘の笑里が入って来たことを確認した。
「ああ、それ置いたら物置からテーブルの板、持って来ておいて。繋ぐやつ、解るわよね」
「…着いた早々人使い荒いわねぇ」
笑里はドアを閉じ、スリッパに履き替えて部屋に上がる。室内は料理の熱気と匂いが充満していて、むせ返るようだ。
笑里はテーブルの上にケーキの箱を置くと、帽子を取ってコートを脱ぐ。
「どうして、もう食器並べてあるの。テーブル広げなくちゃいけないの判ってたんでしょ」
「置く場所が無かったんだから、仕方ないでしょ」
「そう言うのを無計画って言うのよ」
笑里は玄関わきのコート掛けからハンガーを取ってコートを掛ける。続けて中に着ていた紺色のブレザーを取って白いブラウス姿になると、コートの内側にブレザーを入れて掛け直した。
ハナハナのダイニングは簡単なクリスマスの飾り付けがなされていた。
直径30センチメートルくらいの素朴なリースが一つ。電飾こそ付けられていないが、紐に繋げられた金や銀のボールと柊の葉のようなもの。そして極めつけが高さ80センチメートル位の白いクリスマスツリー。
笑里にはリース意外の飾りには全て見覚えがあった。まだ取ってあったのかと思って、ちょっと懐かしさと恥ずかしさが混ざったような気持ちを憶えるが、そこには触れず、奥の物置まで行って延長用のテーブルの板を持ってきた。
「それで噂の未千流ちゃんはどこにいるの?」
「未千流ちゃんなら妖子さんが衣装作るって言って連れてったわよ」
笑里はダイニングテーブルの横にサイドテーブルを持ってくると、紅音が並べた食器をサイドテーブルに移動する。延長用のテーブル板は中央にはめ込むような構造になっているので、一度完全に空けなければ設置できないのだ。
「衣装って戦闘服の事? じゃあ、やっぱりサキュバスだったってことなの?」
「ああ、その事ね。ちょっと面倒な話になりそうなのよ。笑里には知っておいてもらわないといけないから言っておくけど、かなり複雑になっちゃうみたい」
「何、それってどういうことなの?」
紅音は2人で夕食の準備をしながら、未千流が特別なサキュバスになってしまっていること。そして正規の方法ではない方法で、未千流がサキュバスの登録をしようとしている事を説明した。
「それって、私に言わないほうがいい内容なんじゃないの」
「だってそうもいかないじゃない。あんたもここよく来るし、隠しておいても私がボロ出してそのうちバレちゃうじゃない。それなら最初から知っておいてもらった方が良いって話になったのよ」
「はあ~っ、それ聞きたくなかったわ。ママ私の立場解ってるんでしょ」
「何言ってるの。解ってるからこそ説明したのよ。知っちゃったらほら、もう共犯者でしょ」
紅音の意味深な笑顔とは逆に、笑里はテーブルに両手を付いてがっくりと項垂れた。
笑里はアナや紅音のようなフリーのサキュバスでは無い。いわゆる公安の中の特殊部隊に所属しているサキュバスである。サキュバスの特性を活かした要人の警護部隊の一員なのだ。それが未千流の様な特別なサキュバスの存在を個人的に知り、かつ内密にしておけと!
どう考えても面倒ごとに巻き込まれただけで、メリットは何も無い。
恨みがましい目で紅音の顔を睨むが、紅音が気にする様子は無い。
「あんたは知らないってことにしておけばいいのよ。逆にどこかで急にそんな話を知ることになったら、対応難しくなっちゃうじゃないの。こういう事って先に知ってた方がいいのよ」
そ、それはそうとも言えるが、今日呼ばれたのはそういう事だったのか。絶対に嵌めようとして呼んだのだ。
テーブルは笑里の持ってきた板で何時もより一回り大きく拡張され、5人分の椅子が置かれていた。
メインは手作りのビーフハンバーグの大根おろし添え。オニオンとガーリックのソースが用意されているが、紅音としては大根おろしに醤油を軽く掛けただけの方が好みだ。
サラダには赤いラディッシュが見た目のアクセントになっていて、薄く切られたローストビーフと生ハムが一緒に盛り付けられている。
スープは具沢山のミネストローネだが、こちらは作り置きを兼ねているのでまだ台所の鍋にたくさん入っている。なので、お代わりは自由だ。
中央のお皿には薄く切ったフランスパンを並べてあるので、各自が自分に合わせて食べる量を調整できるようにしてある。
パンに合わせてジャムが3種類にバター、オリーブオイルを用意した。
一般的にはここで食前酒のワインなど合っても良さそうなものなのだが、ハナハナで食前酒を飲む習慣のある者は居ないのでアルコール類は用意されていない。
「準備はこれでいいわね。それじゃみんな、お店か応接室に居ると思うから呼んで来て」
食器の位置を調整する紅音を後に、笑里は応接室に向かった。
応接室のドアを開けて覗くが、誰も居ないので、そのまま通り過ぎて店を覗く。
店のウィンドウにはブラインドが下ろされ、入り口も閉じられていた。既に店仕舞いは済んでいるようで、作業場の方で妖子さんとアナの他に見知らぬ女性がサキュバスの衣装を囲んで相談をしている様子だった。
「夕飯の準備出来てますよ」
笑里が応接室のドアの所から声を掛ける。
「ああ、笑ちゃん来てたんだね。ありがとう。直ぐ行くって伝えてくれるかい」
「じゃ先に行ってますね」
見知らぬ女性が会釈をしたので、笑里も軽く頭を下げた。あの娘が問題の未千流って娘なのだろう。
「うちはキリスト教は関係ないんだがね」
ダイニングに入ると妖子さんは開口一番、苦言とも嫌味とも言えない言葉を漏らした。
「悪いね。笑里にまで手間掛けさせちゃったようだね」
なるほど、やはり妖子さんは笑里が呼ばれたことを知っていたわけだ。というより呼ぶように紅音に指示をしたのが妖子さんかもしれなかった。
「紅音、気合入ってるわね」
「うわぁ、ご馳走ね」
アナと未千流の嬉しそうな顔を見て紅音は得意げだ。
「先に紹介しておくわね。以前話をしていた、娘の笑里。で、こっちが未千流」
「初めまして。噂は聞いてます」
「紅音さんから笑里さんの名前は聞いてたんですけど、…背ぇ、高いんですね」
未千流も笑里もお互い口には出さないが、相手の事を中性的な女性だと認識していた。
笑里はすらりと背が高く、怒り肩にサラサラのショートカット。サラサラの髪に切れ長の目鼻立ちは紅音さん譲りだと思われたが、女性としての身体の凸凹は最小限のようだ。
女子校であればファンクラブが出来ていそうなタイプだ。絶対にバレンタインデーにはチョコを山ほど貰っていたに違いない。
対して未千流は中肉中背、出る所はそこそこ出ているし、癖のある髪もそこそこ長い。それなのに醸し出す雰囲気に女っ気が無い。あまり外見を気にしていないのかも知れないが、フレンドリーな雰囲気は好印象だった。
夕食はとても美味しく、和やかな雰囲気の中で会話も自然と弾んだのだが、未千流がサキュバスである点、また笑里の仕事内容にも触れられず、内容に一線が引かれている事は明らかだった。
夕食の後、紅音が取っておきと言うマルコポーロの紅茶を淹れ、笑里の持ってきたケーキを頂くことになった。
ケーキはいわゆるクリスマスケーキではなく、チョコレートをコーティングした平たい真っ黒い5角形。そこに細い金色の装飾が施されたホールケーキだった。
カットしたケーキには薄くカットされた洋ナシがサンドされ、ブランデーの香りと相まって、まさに大人のケーキと言った趣を醸し出していた。
高級な紅茶の香りの漂う中、ケーキのブランドや思い出話などに花が咲いた後、笑里が時計に目をやった。
「そろそろお暇するわ…」
「それなら、ちょっと渡すものがあるから来てくれるかい」
最後の紅茶を飲み終えた笑里の顔を見ながら妖子さんが立ち上がる。
「あ、それじゃ片付けしとくから行ってきて」
紅音も妖子さんの言葉を合図にしたように立ち上がった。
妖子さんがダイニングを出て廊下の先に進むと、笑里はまだダイニングに残っている3人に向けて軽く手を上げてからその後に付いて行った。
妖子さんに続いて笑里が応接室に入ったところで、ドアを閉めた妖子さんが笑里に座るように促した。
「すまないね、ある程度は紅音から聞いたと思うが未千流の事で少し話をしておかないといけないと思ってね」
笑里の顔は既に仕事用の表情に切り替わっていた。
「特別なサキュバスだってことですよね」




