覚醒2
1階の受付で中田部長との面会の件を伝えると、すぐに3階に案内された。
エレベーターを降りると、フロア全体が見渡せる開放的なオフィスになっており、紺色を基調としたカーペットが落ち着いた雰囲気を醸し出していた。
そのオフィスはガラスのパーテーションで区切られており、セキュリティチェックをクリアしないと一切内部には入れないようになっている。流石に企業規模が大きいだけのことは有る。
18時と言う時間のせいなのか、オフィス内はややガランとしていた。
未千流と吉本さんはオフィスとは別扱いになっている、白いパーテーションで区切られた区域の中の一室に案内された。そこはいくつかの部屋に分かれており、来客や会議用に使われる場所になっていた。
ここから密閉空間になるので慎重にならなくてはならない。未千流は深呼吸をして体幹を整える。これなら大丈夫だ。
「西糖さん、緊張してるの?」
「そんなことないですよ…」
未千流は笑顔で返す。吉本さんって、こういうところだけ変に目聡いのが嫌だ。
暫くして静かにドアを開けて入ってきた中田部長は相変わらずデカい身体にデカい顔。久しぶりだ。
「こんな時間に来てもらってすみません、まあ座ってください」
声もデカいのだが、言葉遣いは丁寧で腰が低い。未千流は先日の狼男を思い出した。この人、本当は狼男だなんてこと無いわよね…。
「西糖さんの具合は大丈夫なんですか」
そう言いながらも中田部長は持ってきた資料を机の上に並べだした。社交辞令は形だけ、既に頭の中は仕事に入っている。この人は言葉と行動のギャップが激しいので慣れないと戸惑ってしまう。
「そこは大丈夫ですから、気にしないでください。それで今回の話なんですが…」
長々と前置きが長くなるよりは、さっさと仕事に入ってくれたほうが有難い。中田部長のこういった仕事の進め方は今の未千流にとっては好都合と言えた。しかも適度な緊張感を与えて来るので、無駄にフェロモンの方に気を使わなくて済んでいて助かる。
仕事の内容としては、何やら新しいエネルギープラントの開発をするらしく、規模的にも未千流1人でどうこうできる内容ではない。実際には星光企画で回すことになるのだが、全体の設計をわたしにして欲しいという話になっているようだ。
星光企画の吉本さんは横で確認をしてはいるが、基本的には未千流に丸投げ状態だった。
「中田君はここだったよね」
暫くして会議室のドアがノックされ、その声に全員が会議室のドアに目を向けた。ドアを開けて入って来たのは40絡みのスーツの男性だった。
「君塚部長、どうしたんですか?」
「遅れて来たという事なので、星光企画の方をお連れしたよ」
その後ろにはなんと来客用の名札を下げたアナが立っていた。
星光企画と言う名前を聞いた中田部長は眉をひそめて吉本さんの顔を見るが、当然アナの事など知る筈も無い。吉本さんは状況を把握できず戸惑っている。
「君は…」
皆の戸惑いをよそに、君塚部長と呼ばれた男性はアナを部屋に招き入れると後ろ手にドアを閉めた。
アナの目が緑色に光るのと身体が動くのとは同時だった。中田部長が反応する間もなくアナはその首筋に噛みつく。吉岡さんは既にアナのフェロモンに当てられているらしく表情がおかしい。
「アナ!」
驚いて呼びかける未千流を手で制すると、アナは中田部長から離れ、音も無く第2の獲物の吉本さんの所に移動し『処理』を済ませる。
「未千流は黙って座ってなさい」
アナは唇を拭って未千流に向き直った。
「長くなってるから同席することにしたのよ。心配しないでいいわよ、誰も気が付いてないから。それよりそこの窓開けておいてくれる、早くフェロモン追い出しっちゃった方がいいから」
アナは戸惑う未千流に背を向けると、ドアの所で立ったままの君塚部長に声を掛ける。
「はい、あなたは今までの事は全部忘れて仕事に戻っていいわよ」
その言葉を合図に、君塚部長はドアを開ると何事も無かったかのように会議室を出て行った。
君塚部長が出て言ったことを確認すると、アナは吉岡さんの上着をめくって腹部を露出させた。コートの下からするりと黒い尻尾が伸び、ブツリ!と嫌な音が部屋の中に響く。そして当然中田部長にも…、再度ブツリという嫌な音が部屋の中に響いた。
「………どういうことなの?」
「これでもうこの後は何が起こっても大丈夫よ。2人とも未千流のフェロモンに当てられることは無いから」
「いや、そういう事じゃなくって…」
「説明はあとでするから、さっさと仕事終えて帰りましょ。はい、未千流も元の席に戻って」
気が付いてみると、未千流はいつの間にか立ち上がっていた。
パン、とアナが手を叩いて2人の男性に呼び掛けた。
「はい、あなたたちも仕事の続きよ。君塚さんは途中で入ってこなかったし、あたしは最初からここに居たのよ。ほら、服が乱れてるからキチンと直して打ち合わせを続けましょ」
戸惑う未千流を前に、男性二人はだらしなく出ているワイシャツ直して座り直す。そして本当に何事も無かったかのように中田部長は打ち合わせの続きを始めた。吉岡さんも当たり前のような顔をして座っている。
「ん、西糖さんどうかしたのか。ボーっとしているようだが」
「あ、すみません…」
「みんな疲れてるようだから、あたし飲み物貰って来るわ」
アナが当たり前のようにドアに向かう。
「ああ、ありがとう。飲料サーバーの場所は判りますか?」
「さっき君塚さんから聞いたから大丈夫です」
その後、飲み物が入っている紙コップをトレーに乗せて戻って来たアナも、当たり前のようにテーブルに席を取り、ミーティングが続けられた。
基本的には吉田部長が説明、未千流が確認という流れなのだが、その後のミチルは完全に集中力を欠いた状態になったのは致し方ないところであろう。
打ち合わせもそろそろ佳境という辺りで未千流は自分の身体に違和感を感じていた。寒気がして話の内容も全く頭に入らない。
「未千流、どうかしたの?」
アナが異変に気が付いて未千流の顔を覗き込んだ。額に手を当てるが熱がある様子は無い。
「…どうしました」
吉田部長も未千流の変化に気が付いたようだ。
「未千流、あたしの目を見て…」
「なに?」
アナが厳しい顔で未千流の首筋に手を当てた。その手がとても暖かい。
「あたし達は帰るから。仕事のまとめは2人で続けてちょうだい」
アナが突然宣言して未千流を立ち上がらせようとするが、足元がふらつく。
「あ、でも…」
「余計なこと言わないで」
フェロモン洩れは無いはずなのだが、アナの表情から何か良くないことが起きていることは想像が出来た。
「ではまた後日、相談しましょう」
中田部長は座ったままで未千流の顔を一瞥すると、吉岡さんに向き直った。吉岡さんも引継ぎの体勢に入ったようで、そのまま吉田部長の話を聞いている。
「とにかく急いでここを出るわよ」
アナは未千流の首から来客用の名札を取り上げ、自分の分と合わせてテーブルの上に投げ出した。
「え?」
アナはコートを脱ぎ、荷物をひとまとめにすると、未千流を抱き上げた。真っ黒いコウモリの翼が広がり、上半身のスウェットは翼に引き裂かれていた。
バンと音を立てて、会議室の窓を押し広げるとアナは外に飛び出し、あっと言う間に上空に向かった。
「ええええ、、、、」
未千流の理解が追い付いたときには既に夜の空に浮かんでいた。高所恐怖症ではなかったが、そうは言っても突然夜の空中に投げ出されては恐怖を感じないわけにはいかない。
未千流は小さく悲鳴を上げてアナにしがみ付いた。




