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サキュバスの少女

 コスプレ風の少女は、七本木ななほんぎ アナと名乗った。


 アナが暖かいところで休みたいと言うので、未千流は自分の部屋へ連れて行くことにした。見ず知らずの、ましてや怪しいコスプレ少女など連れ込みたくはなかったのだが、他に行くところが思い当たらなかったのだ。


 未千流みちるは住宅街の中の7階建てのマンションの3階に部屋を借りていた。深夜ともなると管理人室も閉まっているので、エントランス内に人影は無い。

 未千流がエレベーターのボタンを押すと、静かなエレベーターホールにはエレベーターの動作音だけが響き、不思議な緊張感が漂う。


 エレベーターの到着を知らせる電子音が鳴り、ドアが開くと先に乗り込んだ未千流は3階のボタンを押した。なんでエレベーターに乗ると皆んな黙っちゃうんだろう。


 未千流は3階の自分の部屋の深緑色のドアのロックを外すと、少女を招き入れた。暖房は入ったままだったので、その温かさにホッとする。


 アナは一直線にダイニングのテーブルに向かうと、コンビニ弁当を広げた。本当に空腹だったようでコートも脱がず、未千流のことなど全く目に入っていないかのようだ。


 未千流はそんなアナを横目に見ながら、キッチンの水切りからガラスのコップを2つ取り出し、冷蔵庫に入っていたお茶を注いだ。1つをアナの前に差し出し、テーブルの向かいの席に座る。

 未千流はコンビニ袋の中の抹茶白玉のムースに目をやるが、取り出す気も起きなかった。全く食欲が起きない。


 アナは一つ目のお弁当をあっという間に平らげ、コップのお茶を飲み込むとやっと未千流の方に目を向けた。


「未千流ちゃん、ここで1人暮らしなの?」


 アナは未千流の部屋の中を意味ありげに観察する。

 ダイニングには2人掛けの小さな白いテーブル。一人暮らし用の小さな赤い冷蔵庫。キッチン横の食器棚には自分用と思われる可愛らしい食器しか置いていない。相方の男がいるという事も無さそうだ。


「そうだけど」

「ふーん、家族居なくてよかったわ。…換気扇回しておいた方がいいわよ」

 アナは既に冷めているだろう、ホットドッグの包みを開いて、口に運ぶ。


「…換気扇?」

 コンビニ弁当の匂いでも気になるのだろうか。そう思いながら未千流は立ち上がってキッチンの換気扇のスイッチを入れた。

 未千流ちゃんかぁ、まぁいいけどね。


 それにしても家族がいなくてよかったとは、どういう意味だろう? 

 深夜にアナのように派手な友達を連れ込んだら、家族が驚くだろうとは思う。しかしアナの言葉はもっと別のことを意味しているように思えた。


「さて、どうしようかしら」

 アナは口元のケチャップを手の甲でぬぐうと、未千流に向き直った。


「念のため聞いておくけど、あなた、普通の人間なのよね?」

 アナがコートを脱いでキャリーバッグの上に置いたので、未千流は目のやり場に困ってしまう。同性とは言え、アナの衣装は直視するには気恥ずかしい、そう思いながらも未千流はアナの質問の意図を計りかねていた。


「普通ってどういう意味?」

 こんな仕事してるし、変わり者かもしれないけど、普通の範囲の中にいるつもりではある。


「解らないのなら、鏡で自分の顔を見てみるといいわ」


 顔に何かついているというのだろうか? 不審に思いながらも未千流は脱衣場に向かい、洗面台の鏡で自分の顔を鏡で確認する。


 え? 未千流は自分の顔を見て思わず息を飲んだ。なんだろう? 鏡の中の自分の目が光っている。というより、目の中で緑色に揺らめく炎が揺れているかのようだ。思わず前に乗り出し、下目蓋を引きながら覗き込む。


「それが普通の人間の目だと思う?」


 アナの吐息を耳元に感じて、未千流は悲鳴を上げた。

 鏡の中のアナの目は冷たく、未千流の首筋に伸ばした指の爪は狼のそれのように鋭く見えた。


「止めてっ!」

 恐怖に捕らわれた未千流がその手を振り払うと、その勢いでアナは壁に頭をぶつけて倒れ込み、ゴンッという嫌な音が響いた。顔を上げたアナは涙の溜まった目で未千流を睨んだ。


「何するのよ。あんたが、あたしの力を吸い取ったくせに」




「それで、今の状況がどういうことだか説明して欲しいんですけど」


 未千流はへそを曲げたアナをテーブルに着かせると、コーヒーの粉と水をコーヒーメーカーに入れた。

「なんでわたしがなだめ役にならなくちゃいけないのよ…」

 スイッチを入れると、コポコポという気持ちのいい音と共にコーヒーの香りが漂ってきた。


「…、サキュバスって知ってる?」


「え? サキュ…バス? 何のこと」

 コーヒーをカップに注ぎながら、未千流はあまりに場違いな単語を耳にして思わず聞き返した。


「サキュバスよ。未千流はね、今そのサキュバスになってるのよ」


 突然のことに未千流はカップを置こうとしていた手を止めた。


「…さっき自分の目を見たでしょ。あの緑色の光はサキュバス光って言うの。あれが目の中で 光っている以上間違いないわ」

 アナは鼻をかむと、コーヒーにミルクと砂糖を入れてゆっくりとかき混ぜた。


「あたしの目にも光があるのは見えるでしょ。未千流もあたしと同じサキュバスになったってことなのよ」

 そんなこと言われて『はいそうですか』と納得出来るわけではないが、確かにアナの目の奥にも、はっきりとした緑色の輝きが見えた。


「未千流は自分でコントロールできていないみたいだからこれからが大変よ、そのまま外に出れば間違いなくトラブルを起こして警察沙汰になるわね」


「ど、どういうこと?」


「自分では気が付いてい無いんでしょうけど、未千流は今男を引き寄せるフェロモンを出しまくってるのよ。さっき換気扇つけさせたのはそのためよ」


 アナはちょっと意地悪そうな目になって未千流を見つめた。

「それにしてもこの部屋、1階でなくてよかったわね。1階だったら換気扇つけたところで前の道を歩いていた男が寄ってくるだけだから大変なことになってたでしょうね」


「フェ、フェロモン…。私が?」

 絶句する未千流。


「普通サキュバスはね、狩りの時以外はフェロモンを出すなんて下品なことはしないわ。でも今の未千流は何も制御出来ないみたいで、そのフェロモンを出しっぱなしなのよ」


 カップを両手に包み込むように持って、コーヒーを啜るアナ。


「何それ、ど、どうすればいいの?」


「急にサキュバス化した人間の話なんて聞いたことないし、ましてや駄々洩れ状態なんて話は聞いたことないから解らないわ」


 アナは首を横に振った。


「ふん! そもそもが自業自得なのよ。あたしのポーション奪って、おまけにエネルギー吸いつくすなんてありえないわ」


 興奮したアナがカップをテーブルに叩きつけたので、コーヒーがテーブルにこぼれ、未千流はその勢いに後ずさる。


「えーっと、その辺が解らないんだけど。何があったの?」


「えっ、覚えて無いわけ? 自分が何したか」

 アナが怒った顔で睨みつけた。


「…うん、気が付いたら私の横にアナが倒れてたところは覚えてるんだけど」


「はぁーっ!? 信じられない。何にも覚えて無いの? 貴重なポーション飲み干して、私の唇からエネルギーまで吸い取ったくせに」

 未千流の反応に更にテンションが上がるアナ。


 ??? ええ!? ポーション? 唇?

 その時、未千流の脳裏にピンク色の唇ゼリーのイメージが浮かび上がった。


「も、もしかして。それって、わたしのファーストキス?」


「は? 未千流何言ってるの? ファーストキスとか、まさかあんた処女なの?」

 処女という言葉を聞いて、未千流は真っ赤になって俯いた。


 ブホッとアナは吹き出し、お腹を抱えて笑い出した。


「ヒャヒャッヒャッヒャ! 信じられない! 処女のサキュバスなんて! 大笑いだわ」

 アナはテーブルに突っ伏すと、テーブルをバンバンと叩きだした。


「そんなに笑わなくたっていいでしょ。処女で悪かったわね。下から苦情が来るから、テーブル叩かないでっ!」

 真っ赤になってプクッと膨れっ面になる未千流。


「…ゴ、ゴメン。でも意表突かれ過ぎて…」


 まだ笑っている、そこまで笑わなくてもいいのに、と拗ねたところで事実は変わらない。


 それよりも問題は未千流がこれからどうするかという事だ。所かまわず男を襲うことになるんだろうか?


 そんな光景を想像して、未千流はブルッと大きく身震いをして天を仰いだ。

「もう!死にたい!」


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