ハナハナ1
「送ってもらえるんだし文句は言えないけど、本当に乗り心地最低ね」
荷室にシートはあるが、あくまで簡易シート。窓は全部塞がれているし、シートの後ろには段ボールが満載になっていた。未千流もアナもその段ボールの中に埋もれて自分も荷物になったような気がしてきた。
「普段は荷物しか載せないし、乗るとしても頑丈な狼男だけだからな。しかし、サキュバスが狼男に車で送ってもらうなんていう話は前代未聞だろう」
優雨丞は車のハンドルを握りながらルームミラーを覗くが、仕切りの窓は段ボールで塞がれているので荷室の様子は判らない。
「そりゃそうでしょうね。語り草になるのは間違いないわね」
アナの楽しそうな笑い声が、荷室に響いた。
優雨丞は堂々町駅から少し離れた公園の前に車を停めた。組織はサキュバスギルドの位置を把握しているのかもしれないが、優雨丞自身は場所を聞かされていない。
商用バンのスライドドアを開け、2人はやっと外の空気を吸うことが出来た。バンの中に閉じ込められていたという事もあるが、車の空気は狼男のアジトの空気をそのまま閉じ込めていたような気がして何の解放感も無かったのだ。
一歩外に出て空を見上げると、陽は既に傾きかけて紅に染まっていた。
「本当にひどい目にあったわ」
「ごめんなさい、わたしのせいで」
「別に未千流が悪いわけじゃないんだから、それよりも狼男のせいよ。本当に係わるとろくな事にならないんだから」
「そういうのを八つ当たりと言うんだぞ」
優雨丞は2人の荷物を下ろしながらアナの言葉を軽く受け流した。
「じゃあ、オレはここまでだ。神社の入り口は塞いでおくから大丈夫だとは思うが、トンネルにはもう入るなよ」
「あんな所、頼まれても行かないわよ」
「そうあって欲しいものだ…」
優雨丞は車のドアを閉じるときに、一瞬何か言いたげな表情を見せたが、そのままドアを閉めて車を発進させた。
「…今日は何もしないでお風呂に浸かって早く寝たいわ」
未千流は優雨丞の車を見送るアナの姿に、何か感じるものがあった。
今更遅いのだけれど、2人だけで話をする時間を作ってあげた方が良かったのだろうかとも思った。
「ほら、行くわよ」
ちょっと考え込んでいた未千流を後に、アナはスタスタと歩き始めていた。
「あ、ちょっと待って」
慌てて未千流もアナの後を追う。
「ここよ」
そう言ってアナが立ち止まる。ギルドと言うのがどんなところなのかと緊張していた未千流の前に現れたのは一軒の店だった。
『ブティック ハナハナ』
古風なガラスウィンドウの店の看板にはそう書かれていた。
…ブティック?
見間違いかと思って周りを見回すが、雑多なビルが立ち並ぶ街並みには商店やオフィスがあるだけで、未千流が想像していたギルド的な雰囲気の建物は見当たら無い。
先に立つアナは、未千流のことなど気にもかける様子もなくガラスドアを押して中に入った。
「早く来なさいって」
気後れしながら未千流が店の中に入ると、そこは工房と言った感じで、ミシンなどが置いてある作業スペースになっていた。ブティックと言う名前から綺麗な衣装が整然と並ぶ店を想像したのだが、そうではない。
「なんだいその格好は。そんな格好で店の中に居られたら営業妨害だよ。さっさと奥に行っとくれ」
突然の大きな声に未千流は飛び上がった。トルソーの向こう側から恰幅の良さそうな年配の女性が顔を覗かせている。
アナはそんな大声に怯む様子もなく、未千流の手を取って店の奥に進んだ。
「気にしなくていいから、付いて来て」
「…大丈夫なの」
「いいから、こっち」
確かに2人の出で立ちは、ブティックという看板を出している店にふさわしい恰好ではない。着ている上着はトンネル内で引っ掛けた時の破れやシミだらけでボロボロだった。
アナに付いてカウンターの裏に行くと、そこは一般の家で言うところの玄関になっていた。
どこにでもある様な靴箱や傘立てが置いてあり、いくつかの女性用の履物が並んでいる。
「店閉めてから行くから、風呂入って着替えて待ってな」
店の方から、またも大きな声が響いた。
後で判ったのだが、声の主は「ブティックハナハナ」の店主の妖子さんだった。フルネームは仲谷 妖子なのだが、妖子さんで通っているということだった。
玄関の上がりの先の格子戸を開けるとその先は廊下になっていて、奥に行くと確かにバスルームがあった。
途中にはキッチンもあるしっかりと生活が出来る空間になっていて、店とのギャップの大きさに未千流は戸惑った。
「あら、アナ。遅かったのね」
突然脱衣所のドアが開いて、見知らぬ女性が顔を覗かせた。
「ああ、ごめんなさいね。一緒だったのね」
未千流の顔を見て、彼女は柔らかな笑顔を見せる。未千流より少し年上に見えるその女性は、サラサラのショートヘアに切れ長の目が印象的な美人さんだった。
「ねえ、何で連絡しなかったのよ。こんなに遅くまで。心配してたのよ」
彼女はアナに向き直る。
「色々ありすぎて連絡なんてする余裕なかったのよ。それでね。この娘が未千流」
アナは未千流のことを紹介する。この娘っていう言い方は、既に何かしら話が伝わっていたという事なのだろうか?
「ああ、ここのお風呂1人しか入れないから。未千流、先に入ってていいわよ」
「驚かせちゃって、ごめんなさい。ちょっとアナ借りてくわね」
彼女は、アナの手を引いて出て行った。
「何してたの、あまりにも遅いから心配してたのよ…」
「そんなこと言われても…」
廊下を遠ざかる2人の足音を聞きながら、未千流は服を脱ぎ、脱衣場に用意してあったタオルを手に取った。それにしてもサキュバスになってから、シャワーとかお風呂とかが多すぎな気がする。
バスルームのドアを開けると、そこには檜の匂いが漂っていた。今時家庭用の風呂では珍しい檜の浴槽に満々と湯が張ってある。
髪と身体を洗い、湯につかって手足を伸ばす。檜の浴槽の肌触りが何とも気持ちよく、溜まっていた今日一日分の疲れが抜けていく。やっぱりお風呂は最高だわ。
未千流は髪の毛をドライヤーで乾かしながら、自分の顔を鏡で確認した。無理をしなくてもサキュバス光は出ないようになっていた。
髪も伸びてきて肩に届きそうだ。そろそろ切らなければとも思う。癖のある髪なので、先程アナを連れて行った女性の綺麗なストレートヘアに憧れを感じた。
今回出掛けるにあたって数日分の着替えを用意したつもりだったのだが、既に部屋着までアナに貸してしまっていた。
本来ならば別の服に着替えたいところなのだが、予備は無いので元来ていた服をもう一度着るしかない。
未千流が着替えているとアナが戻ってきた。入れ替わりに脱衣場から出ると、廊下で先程の女性が待っていた。
「アナから聞いたわよ。なんか大変な目に合ったんですってね」
そう言って彼女は未千流をリビングまで案内する。
「私はここで妖子さんのお手伝いをしている、紅音って言うの。よろしくね。もちろん、私もあなたと同じサキュバスなのよ」
紅音は安心させようとしているかのように微笑んだ。
「西糖 未千流って言います」
「未千流ちゃんね、アナから聞いているわ。アナが来るまでお話でもして待っていましょう。そこに座って待っていてね」
明るい色の木製テーブルには、既に4人分のティーセットが並べられていて、菓子皿にはクッキーとチョコレートまで用意してあった。
リビングの直ぐ向こう側にはキッチンがあって、来客用と言うよりは日常的に使われているように感じられる。
紅音はキッチンに寄って花柄のエプロンを着けると、お湯の入ったケトルを持って来た。
紅茶のポットにお湯を注ぐ仕草や下を向いたときにサラリと揺れる髪に、未千流は大人の女らしさを感じる。
「どうかしたの?」
紅音の顔をうっとりと見ていた未千流は慌てて目を逸らした。ちょっと顔が赤くなっている。いやわたしにそういう趣味は無いって。
「お腹空いたわ…、あら丁度いいところだったみたいね」
アナが頭にタオルをかぶったまま現れ、チョコレートに手を伸ばした。服は当然のように未千流が貸したスウェットのままである。
「夕飯はどうしましょう? アナから連絡が無いから用意してなかったのよ。ピザの宅配でも頼もうかしら?」
「ピザはさっき食べてきたから他のがいいわ」
それを聞いた紅音は嫌な顔をする。
「あら、他人に散々心配させておいて、それってどういうことなのかしら」
「狼男のおごりだったの、未千流も一緒よ」
「ヒャッ!」
紅音が驚いた拍子に持っていたティーポットを取り落としそうになり、テーブルに零れた紅茶が広がる。
「熱っ…」
未千流は膝に熱いものを感じて反射的に立ち上がり、椅子がガタンという大きな音を立てて倒れた。
「ごめんなさい…」
紅音は慌てて布巾でこぼれた紅茶を押さえ、アナは手にしていたタオルで未千流の膝に掛かった紅茶をぬぐう。
「大丈夫? 火傷してない?」
「ちょっとだけだから。…大丈夫」
未千流は自分の膝を確認するが、既に紅茶は冷えていた。
「念のため、パンツ脱いで…」
アナが心配そうにしているので未千流はひざ元までジーンズを下ろしてみた。少し赤くなっているが水膨れにまではなってはいない。
「きちんと冷やしておいた方がいいわね。もう一度おバスルームに行ってお水で冷やしましょう」
紅音は未千流のジーンズを脱がすとバスルームに連れて行く。
下着姿のまま紅音に手を引かれて歩く未千流は何とも情けない気分だった。




