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事の起こり

 西糖さいとう 未千流みちるは12月の星空の下、凍り付いたアスファルトの上にだらしない姿で横たわっていた。

 着ている服と言えば着古したデニムのオーバーオールの上に、良くある紺色の綿入り半纏。その半纏の胸元からはピンクのトレーナーが見えているはずだ。髪もボサボサのまま絡んでいる。


 寒い。


 このまま死んじゃうのだろうか。なんて短い人生だったんだろう。こんな格好で死んだ娘を見た両親はどう思うんだろう。せめてもう少しちゃんとした格好で死にたかった。


 未千流の両側には真っ黒にそびえ立つブロック塀。そしてその塀の隙間から覗く星空の真ん中には、食べ終わったスイカの皮のように薄っぺらく青白い月が輝いていた。


 吐き出す息が白い幕のようにその星空を覆っていく。未千流は細長い月に別れを告げ、静かに目を閉じた。


 …頭の下、ゴリゴリするなぁ。





 未千流が今回請け負ったプロジェクトは、既存の博物館に新しく立ち上げるイベントの、映像制御プログラム。イベント用なので運用は先方任せで更新の必要も無し、売り切りの単発仕事。

納期も問題なし。楽な仕事のはずだった。


 なのに、あのくそ教授! 大学の先生なんていう、偉そうな肩書を持っている人間などわたしは知らないが、きっとろくな奴はいないに違いない。


 全部完了してから最後にチェックした、だと!


 どうやら、最終納品後に『先生、確認お願いします』的な仕事だったらしい。で、結果はここはこうしなけりゃダメの修正の嵐!


『先生のいう事は絶対なので、よろしく』だと!

 死ね!と言いたいところだが、徹夜続きになって死んだのは未千流だった。


 最後の力を振り絞って、データを送信。納品は完了。だが、エネルギーが切れている!


 未千流は朦朧とした頭のまま、ドリンク剤を求めて街に出た。だが、神はわたしを見放した。

 あと一歩というところで未千流はドリンク剤にたどり着くことが出来ず、力尽きたのだった。





「ねえ、大丈夫? 生きてる?」

 誰かが、わたしの眠りを妨げようとしていた。


「誰だ私の眠りを妨害する不届き物は!」

 心の声と共に未千流は不機嫌なその重い瞼を持ち上げた。


 焦点の合わない目を声の方に向けると、星空を背景に黒い人影が未千流を見下ろしている。


 テラテラと星の光を反射するエナメルの黒い衣装は、彼女の身体のラインを余すことなく表していた。

 後ろに一纏めにしている長い髪は、目にも鮮やかなピンク色。小柄な顔にキラキラと輝くエメラルドの瞳。極めつけは背中で揺れている巨大な真っ黒いコウモリの翼。


 未千流は、目を見開いた。こ、これは、本物の女神さまだ。そうだ、そうに違いない。


 アニメや小説ではよくある話じゃないか。事故で死んだり、過労死した主人公が女神に拾われて転生するって話。そうか、神はわたしを異世界へ転生させるためにこの女神を遣わしたのだ。


 未千流は新しい使命に応えようと、女神に手を伸ばして起き上がろうとした。が、力など出るはずもなく、そのままばたりとアスファルトの上に倒れ込んだ。ゴンッという音が頭に響く。痛い!


「あら、ダメみたいね。救急車呼んだ方がいいのかしら?」

 女神はしゃがみ込むと、未千流の額に手を当てた。


 女神が救急車とは! 今時の女神はなんて現実的なんだろう。そんなことを考えながら、未千流は薄目を開けた。


 その瞬間、未千流の目には、女神が手にしているドリンク剤のボトルが飛び込んできた。


「こ、これだ! これがわたしが探し求めていたもの!」


 どこにそんな力が残っていたのだろう? 突然ガバッと起き上がった未千流は、女神の手からそのドリンク剤を奪い取った。

 プッチっという気持ちの良い音とともにキャップを捻り、一気に飲み干す。


「プッハー、 生き返るぅー」

 うん!これだよこれ! これを待っていたんだ。転生なんかくそくらえだ!


「わわわわワ! …あなた何するのよ、そんなもの飲んだら死んじゃうわよ!」


 女神が何か叫んでいたが、そんなことはどうでもいい。未千流はドリンク剤が、自分の身体の 隅々まで染みわたって行くのを感じていた。


「素晴らしい、全身に力がみなぎって来る」


 叫びながら、ガッツポーズを取る未千流。先ほどまで寒さに凍えていたのがウソのようだ、身体がポカポカと…、と言うよりは暑いな…。なんか暑すぎるような気がする…。


 ブボホッと、何か熱いものが口から飛び出し、周りの景色が真っ赤に染まった。痙攣しながら人間とは思えない形に身体を歪めている未千流を見て、女神が後ずさる。


「どうしよう、どうしよう! ヤバい、ヤバいわこれ! 間違いなくアウトだわ」


 女神は両手を口に当て、立ち尽くして周りを確認した。ここは細い路地の中、今のこの状況は誰も見ていない。


「とにかく証拠品を回収しないと」


 未千流は痙攣したままだが、ドリンク剤のボトルはまだその手の中にある。女神はそのボトルを奪い取ろうと手を伸ばしたが、未千流は放そうとしない。


「もうっ、放しなさいってば!」


 女神は未千流の身体に圧し掛かって、渾身の力を入れた。未千流はその身体を押される感触に半ば意識を現実に戻され、薄目を開けた。


 身体が燃えるように熱い。世界はすっかり変質していて全てがピンク色に染まって、回転していた。未千流はその世界の中心に、おいしそうな唇の形のゼリーがプルプル震えているのを発見した。その唇は『わたしを食べて』と未千流を誘っていた。


「こ、これは! 今度は唇がわたしを誘っている」

 未千流は欲望に導かれるまま、その唇に吸い付いた。


 女神が悲鳴を上げ、逃げようとするも時すでに遅し! ブッチュー、という下品な音が路地に響きわたる。


「ウキャッ、止め…てっ…!」


 女神は未千流に引き倒され、しばらくもがいていたのだが、やがて力尽きておとなしくなった。

 未千流が彼女の唇に吸い付いていた時間は1分以上になったが、その間未千流は自分が何をしているかと言う自覚も無く、ただ気持ちの良い夢の中に漂っていた。





 気が付くと、未千流はアスファルトの上にペタンコ座り、お尻が冷たい。何故か半纏が脱げていて遠くに落ちていた。


 見上げると、冬の星空がとても綺麗に見えた。考えてみれば夜の空を見上げることなど暫くなかったような気がする。

 それにしてもここはどこだろう? ブロック塀に囲まれた細い路地。そう言えば仕事を終えて、コンビニに向かった記憶がある。どうやらここはそのコンビニに行く途中の路地のようだ。


 しかしコンビニに辿り着いた記憶は無いのに、不思議と今、疲れも寒さも感じていない。


 とは言え、わたしの横で白目をむいて倒れている、このコスプレ衣装の女の子は一体何なんだろう。頭がボーっとして、状況が理解できない。


 未千流がスマホを取り出して時間を確認すると、まだ夜中の12時前。人通りは皆無。こんなところに気絶しているコスプレ風の女の子と未千流だけ。おかしすぎる。


 ふと、未千流の脳裏をピンク色の唇の映像が横切り、悪寒が走った。

 わたし、このに何かした?


「うううっ」とその女の子が呻きながら身体を起こした。

 月の光に浮かぶ白い顔の大きな黒い目がじろりと未千流を睨む。やっぱり何か有ったのは間違いなさそうだ。



 女の子はゆらりと立ち上がった。

「……あなた、生きてたんだ」


 未千流を見下ろす小柄な女の子の白い肌と、その身にまとう黒い衣装の対比が印象的だった。

そしてその黒いエナメルの衣装は、腰元が細く絞られている上に胸元は大きく空けられ、その細い身体の女性らしいラインをしっかりと見せ付けている。そこに繋がる短いフリルの重なったスカートの端にはレースがあしらわれ、色気と言うよりは少女らしい可愛らしさを強調しているように見えた。

 その女の子の長い栗色の髪が夜風に乱れるが、ふと未千流はその髪の毛の色に違和感を覚えた。


「どう責任取ってくれるのかしら?」

 女の子は腰に手を当て怒っているポーズを取るのだが、身体に力が入らないらしく全く迫力が無い。


「寒っ!」

 女の子は自分の両肩を抱えてブルっと震えた。

うん、そうだろう。確かにその恰好は実に寒そうだと未千流も思う。


 女の子は近くにひっくり返っていた黒いキャリーバックを開け、中からダウンの黒いロングコートを引っ張り出してコスプレ衣装の上に羽織った。


「お腹空いたわ、何か食べる物持ってないの」

「いや、わたしコンビニに行く途中だったから…」

「ならそのコンビニで何か買って」


 きっと否定できない何かがあるのだろう。そう未千流は理解して、自分も落としていた半纏を羽織りコンビニに向かうことにした。


 その後コンビニでお弁当やら、その他もろもろを買うことになるのだが、支払いが未千流だったのは言うまでもないだろう。

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