9.クズ野郎からの贈り物ですわ。
「え……えっとぉ……」
ようやく絞り出した声で、キュイジー嬢に聞こえぬよう二人は背を向けヒソヒソ話をする。
「タ、タボック侯爵家……まさか十大侯爵家の令嬢がお忍びでカフェにいるとは思わなかったわね……」
「リリス様、面識はおありですか?」
「勿論ありありよ! ただ私の知る彼女とは……別人のようで……オーウェン様の時とは逆バージョンね」
ハンカチで涙を拭う令嬢をちらりと見遣り、改めて声を掛ける。
「キュイジー様。ここでは少々目立ちますので、少し場所を変えませんか?」
「ぐすっ……わ、分かりましたわ……ですが……」
「ですが?」
「残りのケーキを食べ終えるまで暫しお待ち下さいませ」
「「……」」
キュイジー嬢のお皿が全て空っぽになるのを、何とも言えない微妙な表情で見つめる二人だった。
◇
カフェを出た令嬢三人は、裏通りに待たせていたヴェグダ子爵家の馬車へ次々と乗り込む。
一般の子爵家所有にしては上等な馬車だが、キュイジー嬢がステップに足を掛けた瞬間、馬車はミシミシッと大きな軋音を上げた。
「助かりましたわ。帰りのことまで気が回っておりませんでしたので……」
キュイジー・タボック侯爵令嬢は、カフェにいた婚約者……だった者の馬車で共に街へ来ていたが、先に店を出た彼に置き去りにされたようだ。
少し困ったように微笑むお顔……先程の涙はもう引っ込んだが、泣き腫らした瞼のせいで両目は完全に周囲のお肉で潰されていた。
彼女の顔を無礼な程の至近距離でマジマジと見つめながら、リリス嬢が徐に尋ねる。
「大変失礼ながら……以前お見かけしたキュイジー様は……あの……とてもスレンダーな体型だったと記憶しておりますが……何があったんですの? ま、まさか何かの呪……病に侵されて?」
「……」
キュイジー嬢は丸々とした己の両の手をぎゅっと握った……その右の薬指には鈍く光る古ぼけた指輪が一つ。
それを鋭い瞳で睨みつけるようにリリス嬢が見つめる。
「……」
暫しの間を空けて、ふくよか令嬢はゆっくりと口を開いた。
「お……」
「「お?」」
「お胸の大きい女性が好みだと、婚約者のカルバ様が仰って……それで……」
「……それで?」
「バストアップ食材を食べ続けていたら、異常な程に食欲が止まらず……お胸だけじゃなく、全身が豊満な体型にぃぃぃぃっ!」
がばっ!
悲しげに両手で顔を覆ったキュイジー嬢。
「「……」」
ツッコミどころが色々あり過ぎて、もはやどこからツッコめばいいか分からずにリリス嬢もイル嬢も揃って頭を抱えてしまった。
………………
そんな馬車内の沈黙を破ったのは、リリス嬢の深い深い溜息。
「はぁ……」
「あ、あのぅ……リリス様?」
「キュイジー様! いい? 逆を考えてごらんなさい」
「逆?」
「『男性のアレが大きい殿方が好きだ!』と宣言する淑女がいたら……貴女はどう思う?」
……そんな宣言をする者がいたらそれは淑女ではなく、ただの痴女だ。
「きゃあ、やだぁ! リリス様!」
リリス嬢の貴族令嬢としては不適切100点満点な発言に、イル嬢が思わず顔を赤らめた。
「えっ……ひ、品性を疑いますね……」
キュイジー嬢は卑猥な話が苦手なのだろう、氷点下に誘うかのような冷ややかな視線と共にリリス嬢へ言葉を返す。
「でしょ? 貴女の婚約者……いや元婚約者のことはこれっぽっちも知らないし知りたくもないんだけど……貴女を罵倒するわ、置き去りにするわ、金も払わないわ、乳の話はするわ……んで、極めつけはそれ……」
言いながら、リリス嬢はキュイジー嬢の薬指を指差す。
「?」
「元婚約者から贈られたんでしょ? その悪趣味な指輪」
「ど、どうしてそれを……!?」
むにむにの指肉に挟まれて全貌がハッキリとは分からないが、キュイジー嬢が好むとは言い難いデザイン。
「これはカルバ様から『俺の身代わりだと思って肌身離さずつけていて欲しい』と贈られた指輪……ですが、それから少し経って私のことを『呪われ者』と呼ぶようになって……でも、外そうとしても抜けなくて……」
「呪いの指輪を婚約者に贈るなんて……バカルバめ……本当にパーフェクトクズ野郎ですわねっ‼︎」
「……呪いの指輪?」
イル嬢が怪訝な顔で首を傾げた。
「あっ……」
『呪いのアイテム』……近頃の社交界では割と浸透しつつある話だが、大切な友人の耳に入れたくはなかったリリス嬢。
怒りにかまけてうっかり口を滑らせてしまった己に対し、苦々しげに顔を顰めた。
話を切り替えるように、馬車の御者に指示を出す。
「教会へ向かってちょうだい」
「はっ!」
パシンッ!
返事と同時に御者が手綱を捌き、馬車は静かに動き出した。
「教会って……王都の中央教会ですか?」
「いえ、あそこは信用ならないから、うち……じゃなくってグレッグス公爵家領地の教会へ行くわ」
「えっ⁉︎ ……リ、リリス様って……一体……」
「……ただのしがない子爵令嬢ですわ」
キュイジー嬢の言葉に、リリス嬢はニヤリと言葉を返したのだった。