5.シナリオが出来ましたわ。
王都にある唯一の貴族学院……ここにはエリアリス公爵令嬢と共に、子爵令嬢であるイルフィーユも侍女兼クラスメイトとして通っている。
カラカラカラ……キィッ……カタンッ!
通学の馬車は正門前で静かに停車し、侍女が主人よりも先に降り、一歩後ろを付いて歩く、いつもの光景。
周囲に聞こえない音量で、二人は歩きながら会話を続ける。
「ノルン様は一学年下だから校舎は西棟ね」
「でしたら、この先の通路を通るはずです……あ、噂をすれば……」
言いながら、二人は揃って木陰にさっと身を隠した。
傍から見れば、貴族令嬢としてあるまじき行動……だが、当の本人達はお構いなしだ。
「発見! ……って、あら? ノルン様の隣にいる彼は……クラスメイト?」
伏し目がちに廊下を進むノルン伯爵令嬢の横を、歩幅を合わせて並びながらも遠慮がちに距離を図り歩く貴族令息の姿があった。
二人の会話はこちらまで聞こえ無いが、綻んだ彼女の表情から、彼には少し心を許しているのが見て取れた。
「むむっ……何やら親しげな距離感ね」
エリアリス嬢は鞄からリストを取り出し、ぺらぺらと紙を捲る。
「うぅん……私のリストには載っていないわね。あれはどなたかしら? 前にどこかで見たような……」
「一年生の貴族令息……少しもっさりとした髪型ですけど、素材はなかなか良さそうですね。整えればきっと化けますよ!」
ヘアメイクが得意なイル嬢がウキウキと声を弾ませる。
「なんだ……ノルン様、良さげなお相手がすぐ側にいらっしゃるじゃないの」
パチンッ! パチンッ!
エリアリス嬢は指を2回鳴らして、静かに告げた……けして姿を表に現さない護衛役の『影』に向けて。
「至急、彼を調べなさい」
◇
放課後ーー
今朝見かけた、ノルン嬢の隣にいた彼を堂々と待ち伏せし、エリアリス嬢は唐突に声を掛けた。
「ちょっとそこの貴方!」
「はっ! あ、貴女は……グレッグス公爵令嬢様!」
ばっ!
平伏すような勢いで、彼は頭を下げた。
「堅苦しいのはお止しになってちょうだい、グローブ伯爵令息。私、貴方にいくつか聞きたいことがありますの」
「は、ははぁっ!」
エリアリス公爵令嬢には自身で自由に動かせる使用人が複数名いる。
彼女が一声命令を下せば、素性調査を終えた資料は一限終了後の休み時間には彼女の手元に届く。
「あなたのこと、少々調べさせてもらったわ。グローブ伯爵家、オーウェン様。……ふむ。貴方は遠縁から養子として迎えられたそうね。穏やかで優しい性格の持ち主……あら、グローブ伯爵家の領地は養蚕業に力を入れているのね。大口の取引先が出来て、最近の資産状況はまずまず安泰。何より……」
つらつらと書面を読み上げてから、ちらりと彼の顔を見遣る。
「……貴方、ノルン様のことが気になって気になって仕方ないんでしょ?」
「なっ! な、な、な、なんでそれを……⁉︎」
図星を指されて動揺した令息、声が見事に裏返った。
「だって貴方、あの時の噴水で見かけたもの……」
「⁉︎」
ノルン嬢が婚約破棄宣告を受けた際、別な木の陰に隠れていたオーウェン殿もエリアリス嬢の視界には入っていたのだ。
「それにしても……気に食わないですわね。見てたのなら何故、彼女を助ける為に前へ出なかったの?」
エリアリス嬢の問いにオーウェン殿の顔が苦しげに歪む。
「ノ、ノルン嬢の婚約者を奪った浮気相手の令嬢……ミランダ嬢はうちの取引先の商会を運営している子爵家の令嬢なんです。彼女の機嫌を損ねれば、今軌道に乗っている経営が大きく傾く。俺は……傷付くノルン嬢に声を掛けられなかった意気地無しなんです」
「あら、己の身の程はわかってらっしゃるのね」
「……はは」
容赦ないエリアリス嬢の言葉に、彼の口から乾いた笑いが漏れた。
「俺はノルン嬢のことが……好きです。だけど彼女を守れるだけの力を持ち合わせていない。本当に情け無い話です」
ギリギリッ……
己の無力さを呪うかのように、彼は拳を強く強く握り締めた。
「働く者の手ね……」
「え?」
「……何でもないわ」
オーウェン殿は養子になってまだ1年程度。
次期伯爵教育として領地経営学を叩き込まれ、日夜、努力を重ねていることも報告書には記載されていた。
時間が許せば領地に出向いて、領民と共に汗を流す……夜会に出て社交している金も時間も惜しいのだろう。
煌びやかな社交界に出ていない貴族の方が、美しき人間性を備えている者が多いというのは……なんとも皮肉な話である。
「……私のリストに無いわけだわ」
「何か仰いましたか?」
「いえ、別に……では、話を戻します。貴方もまだ婚約者はいらっしゃらないわよね?」
「は、はい……」
「そう……分かったわ」
バサッ!
エリアリス嬢は扇子を広げて、口元をそっと隠しながら目元で微笑んだ。
「グレッグス公爵家からグローブ伯爵家へ、後程手紙を届けさせます。……あとはオーウェン様、貴方次第よ」
「は、はいっ!」
エリアリス嬢の脳内で、今回のシナリオがほぼ出来上がったのだろう。
光り輝く扇子の下、彼女の口元は淑女にあるまじき笑みをたたえていた。