23.お茶会はお開きですわ。
「では、失礼致します」
リュシエルは軽く一礼し、ティーポットに添えていた左手をそっと離し、令嬢のソーサーを持ち上げる。
その拍子に、一枚の紙がテーブルから地面にひらりと落ちた。
「えっ⁉︎ あ、す、すみません!」
「いいのよ、リュシエル。これは『彼』の悪戯だから……」
「え?」
いつの間にやら、皿の下にでも挟んでいたのだろう……言わずもがな『影』の仕業だ。
「まったく、こんなところに挟んで……はい、お嬢」
「ありがとう、ロア……あら?」
ロアール卿が拾い上げてくれた一つ折りの紙を開き、文面に視線を落とすリリス嬢。
すると、令嬢の顔が見る見るまに綻んでいった。
嬉しくて嬉しくて仕方ないのか、口元がニマニマと動いている。
その様子を見て、メモの内容を察した彼は小さく溜息と小言を吐き出した。
「あらあら、お嬢ったら……お顔がだらしなく緩んでいるわよ? ……嬉しいのは分かるけど、貴族令嬢としては減点ね」
「しょ、しょうがないですわ! ここにはロアとリュシエルしかいないんですから、少しは大目に見てちょうだい!」
珍しく、ほんのり赤い顔をした令嬢はぷくりと頬を膨らませた。
リーンゴーン、リーンゴーン……
その時、遠くから鐘の音が鳴り響く。
あれは公爵領地の教会の鐘……隣地のここヴェグダ子爵邸にまで届く、5時の時報だ。
「あら鐘が……もうそんな時間なのね。二人とも、今日のお茶会はここでお開き! ではまたお会いしましょう、ロア」
「……」
リリス嬢の言葉を合図に、執事見習い少年がそっと彼女の椅子を後方へと引いた。
令嬢は立ち上がり、ふわりと綺麗なカーテシーを披露すると、そのままくるりと踵を返した。
「……」
だが……その姿が、まるで自分との時間を早く切り上げようとしているかのように感じたのだろう。
ロアール卿は無意識のうちに手を伸ばし、背を向けていた令嬢の華奢な手をそっと掴んだ。
パシッ!
「え?」
振り返った彼女の手を優しく持ち替え、流れるような仕草で今度はその甲にそっと口付ける。
「えぇ⁉︎」
令嬢よりも先に、リュシエル少年の方が驚きで目を丸くした。
「ねぇ、エリー……私のこと、どう思ってるの?」
彼女を愛称で呼び、その手を握ったまま、上目遣いで真剣な眼差しを向けるロアール卿。
その辺の令嬢だったらこの色香に一発でやられて鼻血を出しながら気絶する……それほどの美の破壊力。
だが、自分のことに関してひどく鈍感な令嬢は、顔色一つ変えることなく、鉤型に曲げた人差し指を顎に添えて首を傾げた。
「そうねぇ。私にとって、ロアは……なくてはならない存在……かしら?」
………………
「……はいはい。ありがと」
数秒の間を空けてから、握っていた手をぱっと離し、ロアール卿はいつもの口調でにこりと微笑んだ。
……『彼女の口から自分の期待する言葉は出ない』と早々に見切りをつけたようだ。
「??? ……まぁ、いいわ。それでは、ご機嫌よう」
「はいはい、ご機嫌よう」
「またね、ロア。大好きよ!」
「「⁉︎」」
不意打ちのように、さらりと親愛の言葉を残してリリス嬢はその場を立ち去っていった。
「……」
呆然と、離れゆく令嬢の背中を眺めていたロアール卿。
己の顔の温度が上昇していくのを感じ、急にぱっと自分の口元を押さえて呟いた。
「本当、無自覚に……ずるい子ね……」
二人の一部始終のやり取りを見ていたリュシエルは、若干気まずそうに、テーブルに並んだ茶器を静かに片付け始めた。




