21. 名前はまだない……ですわ。
エリアリス嬢の一声で、皆の視線が一斉に扉に集まる。
しーーん……
………………
だが、扉の向こうからはいつまで経っても何の音すら返ってこない。
「……あ、あら?」
思わず数歩、扉の方に歩き出した令嬢。
すると、扉とは真逆のカーテン裏側から彼女の名を呼ぶ控えめな声が聞こえてきた。
「あ、あのぅ……エリアリス様……」
「⁉︎」
ばっ‼︎
ドレスを翻す勢いでエリアリス嬢が振り返る!
一瞬遅れて、他の全員も令嬢に倣うように揃って顔をそちらに向けた。
「えっ⁉︎ ……いつからそこに?」
「エ、エリアリス様が……応接室に案内されたときからです。私は『書面』で指示を受け、ずっとこの大広間に潜んでおりました」
呪いから解放されたリュセ殿がカーテンの陰から顔だけを出し、不安そうな表情でこちらを見ていた……その様子はまるで、木から生えるキノコそのものだ。
「呪いのアイテムが外れた反動からか暫し眠り続けていましたが、昨夜、ジュド様がお帰りになった後、ようやく目覚めましたの」
「「リュセ……」」
伯爵家兄弟と使用人全員の目に薄っすら涙が浮かんでいる……が、直後の令嬢の言葉でそれは一瞬で引っ込むこととなる。
「ご紹介致しますわ。この子は我が家の新しい使用人ですの。名前は……あら、そういえば何がいいかしら? まぁ、帰ってからゆっくり決めるとして……」
「「……え?」」
………………
「「ちょ、ちょ、ちょっとお待ち下さい、エリアリス様!」」
「あら、何かオススメの名がありますの?」
「いえ、そうではなくて……リュセは伯爵家の……」
「私はリュセ・フロッシュ様を社会的に抹殺致しましたの……これからの人生の選択は自由ですわ。伯爵家にこのまま戻るか、うちで新たに冠した名と共に生きるか……まぁ、伯爵家に戻っても『弟を幸せにするんだ』とか言いながらも婿に送り出すくらいしか思いつかないでしょうし、ましてや今回みたいに見る目なく選ばれた相手からまた呪いのアイテムでも贈られたら、たまったもんじゃありませんわ」
「ぐはっ!」
「うぐっ!」
図星をグサグサッと刺された二人は苦しげな声を上げた。
二人を軽く論破したエリアリス嬢、今度はくるりと向きを変え、ツカツカとリュセ殿に近づくと、カーテンをバサッと奪い取った。
「⁉︎」
「旧リュセ・フロッシュ様……家に縛られることなく、貴方は自分の好きなように生きてよろしいのですわ」
「わ、私は……」
「ん?」
「私は、この家でずっと……透明でした……。兄上が当主になられて急に色々なことを知らされ、生活が変わり……だけど、私は私のはずなのに……何一つ自分のことを自分で決めることは出来無かった……」
「「リュセ……」」
「弟への『罪滅ぼし』とかなんとかより、さっさと彼を解放して差し上げてはいかがですの?」
ヴォグ卿らに説教くさくそう言い放つ令嬢の背中を見遣りながら、ロアール卿はリュセ殿にそっと近づき、小声で尋ねる。
「リュセ様、いいんですの? お嬢はやると言ったらやる女よ?」
「エリアリス様は恩人です。それに……私の元に置かれた紙には指示だけではなく、他にもこう書いてあったんです……『エリーなら大丈夫』と……お仕えする方がそう仰るのですから、私は……信じます」
「そう……あの『影』が……ったく、ほんと妬けるわね」
リュセ殿の言葉を聞き、一瞬驚いた顔をした後、ロアール卿は切なげにそう呟いた。
◇
その後、すぐに令嬢達は伯爵家を後にして家路についた……とはならなかった。
「で、ですが……リュセは……」
納得いかずに食い下がる当主に対し、物凄く面倒くさそうに眉間に皺を寄せて、エリアリス嬢が言葉を吐き出す。
「あぁ、嫌ですわぁ。いつまでも過去に囚われて、その場で足踏みしてばかり……私の前での懺悔だけでは物足りないなら、我がグレッグス公爵領の教会へお越しなさい。教会の懺悔室なら365日ウェルカムよ。抱えているものを何でも吐き出し放題ですわ!」
「こら、お嬢! 司教達にブラック労働させないでちょうだい! 昨日、ジュド様と働き方改革がどうとかこうとか話していたくせに……」
令嬢の勧誘にストップをかけるロアール卿。
するとそこに、ヴォグ卿とは違い、リュセ殿の件を受け入れたジュド卿が話題を変えるように話を振ってきた。
「それにしても……この首飾りは母上から贈られた品……呪いのアイテムとは未だに信じられないし、私達は何の害も感じていない」
三兄弟が揃いで着けている首飾り。
「信じるも信じないも勝手にしやがれですが、首飾りに呪力があるのは事実……やはり、教会にいらっしゃい。鑑定で白黒つければ良いのですわ。……って、夫人から贈られた⁉︎ それは彼女が亡くなる前かしら、後かしら?」
「後ですね。リュセが生まれた後……」
言いながらジュド卿が執事フゥディルに視線を送る。
誰かの同意を得たかったのだろう。
「え? えぇ……リュセ様のご誕生に際し、御三方に同じ物を贈りたいとキィナ様は妊娠中からご準備されていらっしゃいました。結局は、遺言という形で果たすことに……」
「……ちょっと見せて下さる?」
「えぇ……ぐえっ!」
「こら、お嬢! 引っ張り過ぎよ!」
ジュド卿の背後に回ったエリアリス嬢が首飾りの留め具を確認したくて鎖を引っ張り、ジュド卿の首が軽く締まった。
「あら、やっぱり。留め具に魔石が埋め込まれている……破壊したあの首飾りと同じね」
「ねぇ、魔石だと何か問題があるの?」
ロアール卿が首を傾げる。
「魔石は聖石にも呪石にもなる石……子供達の成長を願った品が出産までの日数で憎しみに変わったとしてもおかしくないわ。……でも、何も発症してないとしたら……他に、何か常に身につけている品はあるんですの? もしくは毎日の日課とか……香水とか食べ物とかでもよろしくてよ?」
「特に身につけてはおりませんね……あぁ、せいぜいこの腕時計くらいでしょうか?」
「あ、あの!」
やり取りを聞いていたメイドの一人が急に口を挟んできた。
本来は不敬な行いだが、平民では貴族の暗黙のルールすら分からない場合も多々ある……だとしたら、伯爵家の使用人教育の甘さは否めない。
だが、気にせずに最高位令嬢は話を促す。
「あら、どうぞ……」
「は、はい。あの……『毎日の健康の為に……』とキィナ様からの言いつけを守り、東教会の葡萄酒を夕食の際にお出し続けております。また、お坊っちゃま方が若かりし頃には、アルコール分を飛ばしたワインベリージャムを毎日……」
「元々、キイナ様のご実家が東教会とのご縁があり、その名残か現在も伯爵家は寄付を続けておられます。そして、そのお礼として定期的に葡萄酒が送られてくるのです」
他の使用人も情報を追加してきた。
「そう……夫人が亡くなっても東教会とは交流が続いているんですのね。遺跡近くにある東教会……噂では『東教会の葡萄酒は聖水をも凌ぐ』といわれる代物……なるほど。それのお陰で、身体は呪いに蝕まれることなく身を守れていたのですわ」
「⁉︎」
家族の為に身体に良い物を摂取させようとする母の愛と、夫と子供らに対しての憎悪……それらが混じり合い、互いを打ち消しあった均衡状態を作り出した……それがフロッシュ伯爵家三兄弟の『呪いの首飾り』の真実だったのだ。




