20.むかしむかしあるところに……ですわ。
フロッシュ伯爵家の大広間には、エリアリス嬢の希望通り五名の使用人が集められた。
夫人が亡くなって、既にリュセ様の年齢と同じ16年が経過している……彼らはその月日もこのお屋敷で働き続けてきた者達だ。
皆がぎゅっと一塊となり、平民達からしたら天井人であらせられる令嬢に、恐れをなして震えている。
「なにも血祭りに上げようってんじゃありませんから、そんなに怯えないでよろしくてよ?」
「エリアリス様……この者達に何用が?」
「私……少々、昔話が聞きたいんですの」
「昔話?」
「えぇ……むかしむかしあるところに……って、話して下さる?」
そう言って、令嬢は扇子をひらりと動かし、この中で最も立場が上である老執事に話を振った。
「……」
彼はコホンッと軽く咳払いをしてから口を開いた。
「誠に僭越ながら……私、執事フゥディルがお話させて頂きます。では、どこからお話すれば……」
「そうね……『なぜ、前伯爵はリュセ様が夫人との間のお子なのに、それを認めなかったのか?』……かしらね」
「「「「⁉︎」」」」
その広間にいる者、全員の呼吸がヒュッと同時に止まった。
「エ……エリアリス様は……どこまでご存知なのですか? ジュド! お、お前が話したのか⁉︎」
「私は話していませんよ。それほどに公爵家の情報収集能力が高いということでしょう」
動揺するヴォグ卿にジュド卿が静かに返答した。
当主が焦るのも無理はない。
それは、フロッシュ伯爵家の汚点をこの公爵令嬢に知られる訳にはいかない、という心の現れ。
「こちらで調べられる範囲は概ね把握しておりますが、王国内の貴族の家庭環境全てを網羅することは到底叶いません。プライバシー侵害で訴えられては大変ですもの。ですので、何があったか……当時を見知る者の声を聞きたいんですの、ねぇ?」
「お嬢……」
冷静なエリアリス嬢の声の中に、僅かな怒りが含まれている……この場ではロアール卿だけがそれに気づいていた。
「フロッシュ伯爵家は少し前にヴォグ様が新しく伯爵になられましたね? その頃から急に、末弟のリュセ様に家庭教師やら婚約者やらが付きました……」
「……な、何が仰りたいのですか?」
ヴォグ卿が言葉を返す。
「前伯爵……お父上は夫人の裏切りから、彼女との関係を断絶し、使用人にも彼女の名を出すことを許さなかったのではないか? そして真実が打ち明けられたのは、ヴォグ様が当主になられたから……かと」
「……」
何もかもお見通しの令嬢に隠すだけ無駄……観念したヴォグ卿が項垂れながら、言葉を漏らした。
「……その……通りです」
エリアリス嬢はくるりと向きを変え、今度は執事フゥディルに冷たい笑顔を向ける……それは昔話開始の合図。
老執事は震えながら、静かに語り出した。
「大旦那様と奥様……キィナ様。お二人は政略結婚でしたが、お互いを大切に想いあう素敵なご夫婦でした。ですが……ある晩、酷く酔っ払った旦那様が、奥様と一夜を供にされ……その晩の記憶が全くなかったのでしょう。キィナ様が妊娠されたと知り、裏切られたと思い込んだ旦那様は激怒された。もはや誰の言葉も届かない。キィナ様の名前を出して主人を諭そうとする者なら、その場で解雇される……我が身可愛さに、使用人は誰もが口を噤みました」
「前伯爵め……自分で孕ませといて覚えてないとか……地獄行き決定クソ野郎ですわね」
「え?」
「お嬢、こら! あ、なんでもありません。どうぞ続けてください」
ブチ切れ寸前令嬢をフォローしつつ、ロアール卿が先を促す。
「それでもキィナ様は旦那様に手紙を書き続けました。何通も何通も……ですが……」
「渡せなかった……」
「はい……手紙は全て取っておきました。そして……リュセ様を出産された後、キィナ様はお亡くなりに……」
「……同罪ね。このクソ……もがっ!」
「お嬢! 抑えて!」
今にも老執事に飛び掛かりそうなエリアリス嬢の口を片手で押さえ、上から抱き締める形でロアール卿が彼女を拘束する。
「私共はヴォグ様、ジュド様、リュセ様が実のご兄弟と勿論存じておりました。奥様が旦那様を裏切っていないことも……ですが、旦那様がリュセ様を同一に扱うことをお許しになられませんでした。終にはヴォグ様とジュド様に対しても……奥様への憎しみがお二人にも向かったのです。ですが、世間体を気にされるお方でしたので、食事を抜く、暴力を振るう等の虐待はありませんでした。そして……けして心を与えては下さらなかった」
「なるほど……だから、リュセ様の身体は綺麗だったのね」
「ロアール卿が言うと……なんだか艶っぽく聞こえるなぁ」
「……」
空気を読まないジュド卿がぼそっと呟いた。
「ヴォグ様が妙齢になり旦那様が爵位を譲られたことで、領地の奥にご隠居されました。そして……私共は全ての真実をお二人に明かしたのです」
深々と頭を下げる老執事、その身体は小刻みに震えていた。
悔いても、悔いても、悔やみきれない。
許しを乞いたい相手はもうこの世にはいないのだから……。
「リュセが生まれて16年……私達は何も知らずに……知ろうともせずに生きてきた。なぜ父上が私達を憎むのか、なぜ弟だけが一緒に食事を取ることも交流することも学校へ行くこともないのか……弟に歩み寄ることはいくらでも出来たはず。だが、それをすれば父に見捨てられるのではないか……結局、保身のために私達も屋敷の中でリュセを孤独にしてしまった」
「あいつは幸せにならなきゃいけない……あいつは私達が幸せにしてやらないと……これは、フロッシュ伯爵家の罪滅ぼしなんだ」
皆が懺悔の告白をし、使用人達も啜り泣く。
周囲をぐるりと見回したエリアリス嬢は特大の溜息を吐き出した。
「はぁぁぁぁ……どいつもこいつも……って感じですわね。ねぇ……貴方もそう思わない?」
そう言って令嬢は扉に向けて声を発した。




