2.モブ令嬢に擬態しておりますわ。
日が傾き、空はすっかり茜色に染まっていた。
年頃の令嬢同士、美味しいお茶とお菓子を手に随分と話が弾んでしまったようだ。
「ノルン様、最後に一つ質問よろしいですか?」
「え? ええ、何かしら?」
「元婚約者から貰った贈り物の中に……何か変わった物は無かったかしら? 例えば宝飾品とか……」
「贈り物……」
小柄な令嬢は少しだけ考え、すぐに首を横に振った。
「ありませんわね。ここ一年くらいは贈り物なんて頂いてませんでしたから……最後に貰ったのは……何だったか、もう思い出せませんわ」
力無く笑う彼女の中に、まだ元婚約者への想いが僅かばかり残されているのが見て取れた。
「……そうですか」
『思い出せない』はきっと嘘だろう……そう思っていても、リリス嬢は口に出さなかった。
「では、今日はこの辺で……また近日中にお手紙をお送り致しますわね、ノルン様」
「ありがとうございます。リリス様のお陰で、今日は心から楽しかったです。……では失礼致しますわ。ご機嫌よう」
笑顔を取り戻した小柄な令嬢は上品にお辞儀をしてから、馬車に乗り込んでいった。
パカラッ、パカラッ、パカラッ……
馬の蹄鉄の鳴らす音が遠ざかったのを確認し、リリス嬢はすうっと頭を上げ、邸宅内へと戻った。
ぱたん……
扉がきっちり閉まり、令嬢が振り返ると、ノルン嬢を見送った時の三倍程の使用人が玄関ホールにずらりと並んでいた。
子爵家には不相応な多人数である。
その中から一人のメイドがすっと一歩前へ出た。
「エリー……じゃなくって、リリス様。ではお支度を始めてもよろしいでしょうか?」
「よろしくね、イル」
メイドに向けて、地味令嬢リリスはニヤリと笑った。
◇
玄関ホールから部屋に移動するやいなや、専属侍女イルフィーユは慣れた手つきでリリス嬢の服を脱がせ、メイクを落とし、パチッと髪を外した……そう、外したのだ。
ふわさっ……
ウィッグの中に隠されていた、美しい金色の髪が一気に解放される。
あえて、別人級な地味顔に見える高テクニックメイクも、当たり障りのない量産型デザインのドレスも、どこにでもいそうなクリーム色の髪も取り払い、公爵令嬢エリアリス・グレッグス嬢が本来の姿を現した。
「やってもらってて、いつも思うんだけど……イルのトータルコーディネートって……本当、凄いわぁ‼︎ メイクも、わざと地味顔に見せるって……鏡見て『うわ、誰⁉︎』って毎回、自分の顔面にビックリするのよねぇ……」
鏡に映る本来の自分の姿をまじまじと見つめながら、令嬢は感嘆の声を上げた。
「ふふっ。お褒めに預かり光栄ですわ」
「イルがお嫁に行くまで……いや出来ることなら、お嫁に行ってからもずーーっと私の側にいて欲しいわぁ〜〜」
「そう言って頂けてとても光栄です! 私もエリー様、大好きですよ。今のところ将来をお約束した婚約者様もおりませんし……ただ、私も子爵家の者ですから、いつかその時がきたら……未来の旦那様にご相談してみますわ」
「イルの未来の旦那様か……絶対、イルのこと独占しちゃってさ、私とのお茶会にも心配でくっ付いてきて邪魔しそうな男よ」
「えぇ〜? どんな想像ですかぁ?」
くすくすと、主従であり、友人関係な令嬢達は笑い合った。
……エリアリス嬢の未来予想がほぼ当たっていることを、この時点の彼女達はまだ知らない。
◇
このカルスタット王国において、王族の次の序列にあたるのは三大公爵家……そのうちの一つ、最も権力を持っているのがグレッグス公爵家である。
そして、その一人娘がエリアリス嬢(17歳、婚約者無し)なのだ。
やんごとなきご身分の令嬢であり、どこへ行くにもお供か護衛である『影』が付いて回る。
このエリアリス嬢……そんな息苦しい状況に素直に従うような淑やかなご令嬢であるはずもない。
お取り潰しになった子爵家をポケットマネーで買取り、架空の令嬢リリス・ヴェグダ嬢として、夜会やら街やらを自由気ままに動き回っているのだ。
だが、子も子なら、親も親である。
『バレなきゃ……まぁ、とりあえず良し!』そう言って娘に許可を与えているのだ。
エリアリス嬢は公爵夫妻公認の元、日々このモブ令嬢生活を楽しんでいる。
生まれながらにして、責任や重圧がのしかかる……それが高位貴族の宿命だからこそ、公爵夫妻は彼女に自由を与えているのであろう。
きちんとやるべき事を押さえていたら、あれこれとやかくは口出ししない主義……というわけだ。
◇
さっさっさっ……
ブラシで丁寧に髪を梳かし、一つに結い上げながら、侍女は令嬢に声を掛ける。
「ねぇ、エリー様。……何かをお集めになっていらっしゃいますが、収穫はありそうでしたか?」
親友であり、侍女であってもエリアリス嬢は全てを彼女に話しているわけではない。
むしろ心配をかけたくないからこそ、伝えていないことは多々ある。
イルフィーユ嬢は子爵家の経済的な理由で夜会には出ていない為、社交界の噂は彼女の耳に入ることはほとんどない。
それはエリアリス嬢にとって好都合だった。
『どろどろとした醜い世界に大切な友人を触れさせたく無いわ』
……主人のそんな想いを感じ取っているからこそ、イル嬢もまた深くは踏み込みはしないのだった。
「今回は無さそうよ。ただの縁結びに全力を注ぎましょう」
「承知致しました。ちなみに、ノルン・ガイドラー伯爵令嬢様のお相手はいかがなさるおつもりで?」
「そうねぇ……さっき話していて好みのタイプはざっくり聞き出せたんだけど……それにぴったりの令息は……」
呟きながら、エリアリス嬢は黒い表紙の冊子をパラパラと捲る。
「あ、出ましたわ! エリー様の秘密の記録書!」
「王国内の公爵、侯爵、王都の上位貴族クラスの情報に関しては、ほぼ網羅しているけど、その下になってくると社交界やら学院で情報収集しないと……そして意外と優良株は……」
ぱたん!
「夜会に出ていないことが多い……」
そう言って、令嬢はリストを閉じた。




