13.お熱いったらありゃしないですわ。
ざわざわざわざわっ……
夜会会場内の温度が急上昇しているように感じる程、一組の男女がフロアの視線を集めていた。
「ジーニス様……あ、あの……」
「そんな他人行儀な……今まで通りジーニスとお呼び下さい、ね? キュイ様」
「え、あ、はい……ジ、ジーニス……」
「ふふふふっ……」
周囲の視線なんて構うことなく、がっしりと手を握り、溺愛を余すことなくキュイジー様に向けているジーニス殿。
二人の周りにハートマークが飛んでいるような錯覚に陥る。
だが、それも仕方ない……今まで何年も何年も必死に閉じ込めていた想いが解放され、彼女への愛しさが溢れ出して止まらないのだろう。
キュイジー嬢も戸惑ってはいるが、自分に対して真っ直ぐな愛情を向けられることを嫌がっている素振りはみられない。
その様子をニマニマしながら眺めるエリアリス嬢とロアール卿。
「あらあら、キュイジー様の困り顔もなんだか愛らしいわね。お熱いったらありゃしないですわ」
「元々ジーニス様とは好意的な関係のようだから、キュイ様が恋に落ちるのも時間の問題じゃない?」
「これは、想定以上ですわ」
人間は外見だけでは、その本質全てを捉えられない。
冷静に見えたこの令息にこれほどの情熱が隠されているとはエリアリス嬢も思っていなかった。
「ジーニス様はキュイジー様をけして傷つけない……だから、婚約者として適任かと思ってね」
「えぇそうね。二人ともどうぞお幸せに……って、ねぇ……あのさ、お嬢は……」
「ん? 何、ロア」
「……いや、なんでもないわ」
「? 変なロアね……まぁいいわ。例のモノも回収できたし、めでたしめでたし〜〜ですわ!」
パシンッ!
戯れ合うように寄り添う二人を見つめながら、エリアリス嬢は扇子を閉じたのだった。
◇
夜会も終盤。
己の許容量オーバーで目を回してしまったキュイジー嬢は、先程ジーニス殿に抱きかかえられて会場を後にしていた。
「ロア、私達もそろそろ……」
「えぇ……あら? なんだか随分と顔色の優れない方が……」
「え?」
ロアール卿の見つめる方向を振り向くと、具合の悪そうな令息が肩で息をしていた。
そんな彼に対して、真向かいから派手なドレスの令嬢が近づいていく。
だが、彼女は体調を気遣うような優しい言葉を掛けるのではなく、逆に声を張り上げた。
「貴方との婚約は破棄させて頂きますわっ! あぁ、なんて恐ろしい……この『呪われ者』‼︎」
「そ、そんな……」
だらりと腕を下ろし、項垂れる青年……まだ多くの貴族が残る広間、公衆の目前で貴族令息が婚約破棄を言い渡された。
令息が婚約破棄サレ側に回るのは珍しい。
そして、エリアリス嬢は宣告した令嬢の放った言葉を反芻する。
「……呪われ者」
呟きながら彼の全身を素早く見回す……すると、その視線が一箇所でピタリと止まる。
右手首で妖しく光る、服装とは不釣り合いな無骨すぎる腕輪。
「また一つ、見つけた……」
リリス嬢は、己の口角がぐにゃりと緩んだことに気づき、慌てて扇子を開いて口元をそっと隠した。
「なんて恐ろしい……何食わぬ顔でロッカ嬢を騙していたんだろう?」
別な令息が二人の間に割って入ったかと思うと、令嬢の肩を抱き寄せ、まるで自分達は被害者かのような顔でニヤニヤと青年を見下す。
「あれは……あぁ、ヴェルニ伯爵家のやらかし放蕩息子じゃない」
「……反吐が出るわね。とんだ茶番ですわ」
貴族にとって家名に泥が付くような醜聞は大ダメージ。
それが真実かどうかなんてのは関係ない、これは一種の『パフォーマンス』。
服装と不似合いな宝飾品は、自身でそれを選んでいない証拠。
だが、それを身につけているということは親しい間柄から贈られた物である可能性が非常に高い。
罠を仕掛けられ、嵌まれば負け……彼は『負けた』のだ。
ざわざわざわざわざわ……
広間は、彼ら三人を中心にしてぐるりと遠巻きに輪が出来上がり、囁き合う声が波紋のように広がる。
周囲を取り囲む者達の目は、下品な断罪劇に哀れみや嫌悪を浮かべているが、扇で隠したその口元はいやらしい笑みを浮かべている。
他人の不幸は蜜の味。
表面ばかりを厚ぼったくギラギラと飾り立てたその中身は、どれだけ陳腐で薄汚れているか。
「……ここにいる野次馬共は皆、信用できないわね」
ぽつりと呟くと、彼女はざぁっと周囲を見回し、一人一人の顔を順に記憶していく。
後で自身の記録書に書き加える為だ。
「皆様、私達のことでお騒がせしてしまい、申し訳ありません。どうかそのまま、最後まで夜会をお楽しみ下さいませ」
「……どの口が仰っているんだか、聞いて呆れてしまいますわ」
扇子の陰からちらりと視線を動かすと、顔面蒼白なサレ令息がふらつく足取りで静かに部屋を退出していくのが見えた。
「……ロア!」
「はいはい」
ゴージャスなドレスでは素早く動けない令嬢。
彼女が言うよりも早く、ロアール卿は彼を追う為に扉へと向かった。
◇
タボック邸の庭園のベンチに腰掛ける二つの人影。
月明かりに照らされて淡く伸びるその影を、白いパンプスが容赦無く踏む。
ざっ!
二人の後を慌てることなく追ってきたエリアリス嬢は、公爵令嬢直属の『影』の誘導により迷うことなくここまで辿り着いた。
「あらあら、ここにいらしたのね……」
「ちょっとお嬢! こっちは大変だったんだからね! 彼が途中で倒れ込んじゃったから、小脇に抱えてここまでなんとか運んできたのよぉ……」
ベンチに座っているロアール卿が長い足を投げ出したまま溜息を吐いた。
その隣では先程の令息が苦しげに浅い呼吸を繰り返し、項垂れたまま……だが、かろうじてまだ意識はあるようだ。
彼の前にすっと移動し、高位令嬢が先に名を名乗る。
「私はエリアリス・グレッグス……公爵家の娘よ。貴方様は?」
「はぁ……はぁ……公爵令嬢様⁉︎ わ、私は……リュセ・フロッシュ……フロッシュ伯爵家の者です」
「フロッシュ? 文官に同じ家名の方がいらしたような……」
「それは…上の兄です。わ、私は……」
「うおっ⁉︎」
いきなりロアール卿が大きな声を出す!
前触れなく、座っていた二人の間に紙が一枚、すすすっと後ろの垣根から差し込まれたからだ……言うまでもなく『影』の仕業。
エリアリス嬢はそれをぺらりと摘んで読み上げる。
「ふむふむ、リュセ・フロッシュ様(16)は……伯爵家の家督を継げない三男坊。既に長兄が当主、次兄は文官……で、リュセ様は子爵令嬢と婚約していたが……さっきのあれでは破談かしら? 婿養子としての役割が果たされなければ、文官か騎士か、はたまたどこかの貴族のお屋敷での下働きか、それとも……。ねぇ、具合が悪いのは一体いつからですの?」
「……はぁ……はぁ……」
身分の高い者からの問い掛けに返答しないのは無礼……だが、今の彼に返す余裕なんてものはない。
「……なかなか強力な呪いのようですわね」
「しかし、次から次へと破棄破棄破棄っ! だったら最初から婚約なんて結ばなきゃいいじゃない……こんな……相手を呪われ者にするだなんて……間違ってるわ」
ロアール卿が正論で嘆く。
それを聞きながら、エリアリス嬢は報告書を読み進めていく。
すると、ある部分を読んだ瞬間、紙を握る両手に力が入った。
グシャッ!
「?」
「ん? お嬢、どうした? 顔が怖いわよ?」
「私……頭にきましたわ」
いつもの三倍は邪悪な表情……これは、相当お怒りなご様子。
「リュセ様はこのまま伯爵家に帰ったとしても、色々と大変でしょう……いえ、このまま何もしなければ、恐らく数日中で死に至ります」
「……」
「何もしなければって……伯爵家が令息をみすみす見殺しにするなんてこと……えっ⁉︎」
ロアール卿が自分で言った言葉に驚き、思わずリュセ殿を見つめる。
「リュセ様さえよければ、どうぞうちにいらっしゃいませ」
「……ほ……本当……ですか?」
ようやく声を絞り出し、縋るような視線で彼は令嬢を見上げる。
……生家で一体どんな仕打ちを受けていたのだろう?
「慈善活動や保護活動も大切な高位貴族の役割ですもの……ですから……」
畳まれた扇子の先でリュセ殿の顎をクイッと持ち上げ、令嬢は彼にニッコリと笑顔で言い放った。
「リュセ・フロッシュ伯爵令息様。これから死んでくださる?」




