12.私、欲しいんですわ。
夜会の一週間前ーー
この日、アッシャー伯爵家は緊張に包まれていた。
早馬からの伝令直後、エリアリス公爵令嬢が屋敷に乗り込んできたからだ。
面識のない最高位令嬢が何用での訪問か……心当たりがあり過ぎて、夫妻は揃って青ざめた。
応接室のソファには、顔色の悪い伯爵夫妻、伯爵家次男ジーニス殿、エリアリス嬢が座る。
令嬢だけが優雅に紅茶を召し上がっているが、他の者達はまるで生きた心地がしないのか、置物のように無言無動を貫いている。
持ち上げていたカップをソーサーに戻すと、令嬢が静かに口を開いた。
「そんな硬くならずともよろしくてよ。取って喰おうというわけでもあるまいし……この場にもう例のご長男様がいらっしゃらない、という時点で私、伯爵家をそこそこ評価しておりますのよ?」
「あ、ありがとうございます……」
震える声で、アッシャー伯爵が頭を下げた。
子鹿のように怯えられることに慣れている令嬢は、気にも止めずにそっと手紙を差し出した。
「グレッグス公爵からの手紙ですわ」
「は、拝見いたします」
夫妻が手紙を覗き込む様子を、洞穴のような瞳で見つめる少年……その目には何も映っていない。
「な! こ、これは……」
「タボック侯爵令嬢との婚約者『交替』についての打診よ」
「……え? こ、交替?」
自分の耳を疑うかのように、少年が顔を上げた。
「キュイジー嬢に感謝することね。バ……カルバ様の数々の行い、王国の司法局に申し立てれば彼の懲罰は免れない、いえ牢獄行きだったかも……ただ、そうするとアッシャー伯爵家もただでは済まない。彼女は自身が酷い目にあったにも関わらず、尚もアッシャー伯爵家のことを憂いた心優しい令嬢よ」
「ううっ……キュイジー様ぁ……」
エリアリス嬢の言葉で伯爵夫人は肩を震わせ、泣き出してしまった。
『夫人がキュイジー嬢を実の娘のように可愛がっていた』という報告は真実のようだ。
「どこでどうしてこうなったのか……私達はカルバの育て方を間違えました……」
真面目で穏やかな両親から、何故あんな馬鹿息子にすくすく成長したのか……もしかしたら、自分よりも身分が上の侯爵令嬢を娶るという将来が決まった段階で、彼の中の何かが歪んでしまったかもしれない。
……今となってはただの憶測だ。
「そうそう! 私、ジーニス様と少しお話しがあるのですが、よろしくって?」
「え? わ、私ですか?」
予想外の指名に、少年が驚き聞き返す。
既にその顔からは先程の暗い表情は消え失せ、瞳は光を取り戻している。
「はっ! 勿論であります!」
「では、失礼致しますわ」
バタンッ……
伯爵夫妻が退室し、二人だけの空間になった瞬間、エリアリス嬢はにこりと笑い、本題を切り出した。
「私……欲しいんですわ」
「?? え……何のことでしょう?」
脈絡無く放たれた言葉に、彼は戸惑いを返す。
「貴方が持っている『本物』のことですわ……すり替えたんでしょ? バカルバが購入した『呪いの指輪』を……」
「なっ……なぜ、それを……?」
驚きのあまり、彼の声が掠れている。
ジーニス殿のその反応だけで『私がやりましたぁぁっ!』と自白しているようなもの。
エリアリス嬢はハンカチを取り出してそっと広げていく。
そして、包まれていた指輪を摘み上げ、シャンデリアにかざした。
「そ、それは……!」
見覚えのある指輪に、少年は顔をくしゃくしゃにしてボロボロと涙を溢した。
「良かった……義姉様……良かった……」
「キュイジー様から無事に外れたこの指輪を回収したところ、裏面に刻印がありましたの。古くて少し削れてて読みにくいけど……『アッシャー』と彫られているわ。この家にあった品物ですわね?」
「……なぜ、お気づきになられたのですか?」
「バカルバの足りない頭じゃ慰謝料請求しようなんて発想は微塵も浮かばない。借金をキュイジー嬢に肩代わりさせようと考えるのが普通ね。だから、誰かが入れ知恵したのでは無いか、と……それに……」
「それに?」
「『怪しい商人を捕らえて吐かせたら、取引相手の中にカルバ・アッシャーの名前があった』という報告を受けたのよ。『本物』を売り捌く闇商人……」
「……婚約破棄になるよう焚き付けたのは私ですが、方法までは提案しませんでした。あれはたいした計画も立てられず自滅すると、たかを括っておりましたので……」
兄より歳は二つ下、まだ幼さの残る少年だが、賢さは比べるまでもないようだ。
そして、嫌悪の対象である実の兄を『あれ』呼ばわりする。
「ですが、あれが『呪いの指輪』をどこからか入手したのを知ったのです。誰に唆されたのか……あの指輪を義姉様に贈り『呪われ者』に仕立て上げて婚約破棄を目論んでいる……焦りました」
「どうやら浮気もしていたらしいですわ。ギャンブルに借金に女遊び……トリプルクズ……ど畜生野郎ですわね!」
高貴な令嬢の口から真反対な言葉が飛び出し、ジーニス殿は一瞬ギョッとした顔をするが、すぐに表情を戻して話を続ける。
「……許せなかった……だけどチャンスだとも思ったのです」
「チャンス?」
エリアリス嬢が聞き返した。
「あれには父上達も手を焼いていたんです。変なところは器用で、尻尾を出さない……退ける決定打がありませんでした……」
「……だから、あえて機会を『作った』のね」
「はい。キュイジー義姉様があれの呪縛から逃れられるように……本来、身分の下の者からの婚約破棄は出来ませんが、相手の有責なら可能です。そして、あれは人前で派手に破棄を宣言するでしょう」
「あぁ、馬鹿だからね」
「骨董品の指輪とすり替えても気づきもしない」
「あぁ、馬鹿だからね」
令嬢は2回連続、同じ言葉で罵った。
「あれの計画は失敗する……はずだった。なのに……すり替えた偽物で義姉様は呪われてあの様なお姿に……まさか、我が家にあった指輪も呪いの品だとは思いもしなかった……」
「えっと、いや、あれは……」
己を責めるかのように苦悶の表情を浮かべる令息と、事実を知っていて微妙な表情の令嬢。
「……ジーニス様は、キュイジー様に幸せになって欲しいのよね?」
「はい! 誰よりも!」
彼は、たとえ伯爵家がどうなろうと彼女が愚兄から解放されることを願って行動していた。
『ジーニス殿はキュイジー嬢のことを一人の女性として想っている』との報告も受けている。
伯爵家と侯爵家の関係も良好……だが、大切なのはキュイジー嬢の気持ち。
「キュイジー様は、貴方のこと……義弟としか見ていないですわね」
「……えぇ。私もお慕いしてることはお伝えしていません」
せつなげな顔で首を横に振るジーニス殿に向き直り、エリアリス嬢は告げた。
「公爵家の手紙には、ポンコツ長男を除籍すれば、次期伯爵である次男ジーニス様に婚約者を交替し侯爵家との縁故を許可する旨を記していた……でもそれだけでは、足りないですわ」
「……と言いますと?」
「たしか幼い頃、バカルバの押しの強さにキュイジー嬢が惹かれて婚約関係となった……のよね? だったら貴方……全力で口説き落としてみなさい!」
「……はい?」
「心から愛を囁き、押して押して落とすのです! キュイジー様はたぶんですが……押しにめっぽう弱い‼︎」
「え、えっと……」
「貴方がキュイジー様を心から幸せにするというのなら、私、エリアリス・グレッグスは全面的に協力致しますわ!」
そう言って、エリアリス嬢はジーニス殿のハートに火をつけたのだった。




