11.全力で口説きなさい……ですわ。
グレッグス公爵邸ーー
キュイジー侯爵令嬢をロアール卿に任せ、本来の姿へと戻ったエリアリス公爵令嬢は、自室で今日の出来事を振り返っていた。
手元の記録書をペラペラと捲り、タボック侯爵家とキュイジー嬢の元婚約者バカルバ……じゃなくて、カルバの伯爵家が記載されたページを開く。
「ふむ……アッシャー伯爵家、か」
カタンッ……
デスクから静かに立ち上がり、窓際の豪華な彫刻の施された柱を2回ノックする。
コンコンッ!
「最新情報、持ってるんでしょ? ねぇ?」
「……」
姿を見せることのない『影』に向けて令嬢が催促すると、柱とは反対の扉下から紙が一枚、するりと室内に滑り込んできた。
ぴらっ……
それを指先で摘み上げ、ざっと目を通す。
読み終えると同時に、美しい唇を開けて溜息を盛大に吐き出した。
「はぁ〜〜! バカさ加減がありあまるですわ!」
ガシッ! カチャカチャッ……
湧き上がる苛立ちをぶつけるかのように、ペン先にインクをつけた羽ペンを記録書の上に走らせる。
ガリガリガリガリガリーーッ‼︎
「あの野郎、随分と前からキュイジー様に酷いことを……しかも賭博で借金⁉︎ クズですわぁーーっ‼︎ ……あぁそれで、婚約破棄? 相手の有責で慰謝料請求して、その金で穴埋めしようとしたなんて浅はかぁ〜〜! でも……」
ピタリと令嬢のペン先が止まる。
「このアッシャー伯爵家……馬鹿息子のせいでぶっ潰すにゃ少し惜しい家ですわ。バカルバを廃嫡にして放流したとしても、次男がいるからどうにかなるわね。それにしても……また違った、か」
エリアリス嬢はキュイジー嬢の指肉に埋もれた古金の指輪を思い出す。
目的の品に出会えなかったことを良かったと思うか、残念に思うか……その心中は両者かもしれない。
デスク上で行儀悪く身体を崩し、頬杖を付いた体勢でもう一度ぺらりと持ち上げた報告書を眺め……令嬢は急に眉を顰めた。
「……ん? あれ? ……あぁ、そういうことね」
何かに気づいたエリアリス嬢は、いつも通りに邪悪な笑みを浮かべ、また筆記作業を再開したのだった。
◇
三週間後ーー
ざわざわざわざわっ……
今宵の夜会、主催はタボック侯爵家……高位貴族の出席比率が高いのか、見渡すとそこかしこにエリアリス嬢のよく見慣れた者達の顔触れが並んでいる。
華やかな扇子で顔を覆い隠しながら、公爵令嬢は傍らに佇むパートナーに声を掛けた。
「思ったよりも早い夜会開催ね……流石はロア」
「どうも〜〜と言いたいとこだけど、私の力ってよりはキュイジー嬢の努力の賜物よ」
年齢不詳の美丈夫はエリアリス嬢の隣に立ち並び、正面を向いたまま言葉を返す。
婚約者という特定のパートナーを持たないエリアリス嬢にとって、同伴のロアール卿は夜会で欠かせない存在だ。
公爵令嬢の眩さに引けを取らず、見劣りしない人物というのも希少である。
夜会とはある種、貴族にとっての戦場だ。
柔らかな会釈の裏で、ジロジロと相手を見定めつつ隙あらば足を引っ張ろうとする……何とも醜い泥試合。
そんな中、当然ながら一際目立つ公爵令嬢。
自分の価値を正しく理解している彼女は、己が『歩く広告』であることを存分に活用する。
「今宵のエリアリス嬢のドレス、なんて素敵なんでしょう!」
「淡いブルーなのに偏光して輝く……あれは何で出来ているのかしら?」
口々に上がる称賛の声が本人の耳に届いた瞬間、会話の輪の中に自ら飛び込んでいく。
「ご機嫌よう、お久しぶりですわね」
「お久しぶりでございます、エリアリス様。本日も素敵ですわ! そのドレスは?」
「あら、お褒め頂き光栄ですわ。こちら、グローブ領産の上質な絹糸で織り上げた生地を贅沢に使用して仕立てたお気に入りなんですの」
「んまぁ!」
「ご相談頂ければアリスウェア商会が特級品のドレスをお仕立て致しますわ」
今宵の目的以外に、ちゃっかり営業活動も忘れない。
商魂溢れる最高位令嬢に呆れつつ、戻ってきた彼女にロアール卿はそっと耳元で口を開いた。
「そういやキュイ様の新しいお相手、目星はつけてあるんでしょ?」
「手筈は万全よ。後は……全力で口説き落としてもらうのみ」
「え? それってどういう……」
ざわっ!
突如、フロアから歓声が上がる。
そちらを振り返ると、人だかりが出来ており、二人の位置からでは中心人物の頭頂部すら見えなかった。
だが、エリアリス嬢が一歩そちらに進み出すと、彼女の前に道を作るかの如く、両脇にさあっと人が下がり、今宵の主役が姿を現した。
「……っ⁉︎ キ、キュイジー様、ご機嫌よう。また一段とお美しくなられましたね」
驚きで一瞬、目がまん丸になったがすぐに立て直したエリアリス嬢。
その様子には気付かずに侯爵令嬢は丁寧に礼を返す。
「お久しゅうございます、エリアリス様。……今の私があるのは、そちらにいらっしゃるロアール卿と友人達のお陰ですわ」
「素敵よ、キュイ様ぁ!」
あの婚約破棄を告げられていた日とは別人……いやあの頃の彼女が特異な状態だった。
ロアール卿指導のスパルタ肉体改造プログラムに耐え、たった三週間で元の姿を取り戻す……本来のキュイジー・タボック侯爵令嬢は、精霊のような透明感と凛とした気骨を合わせ持った令嬢なのだ。
「そういえばアッシャー家のバ……カルバ様は廃嫡になられ、他領の親戚筋の下働きになった……とか」
友人リリス嬢ではなく、公爵令嬢として振る舞う彼女の言葉に、同一人物と知らないキュイジー嬢は顔を硬くする。
「ご存知でしたか……今宵はこの会場に新たな婚約者様をお招きしているようでして……」
侯爵から何も知らされていないのか、不安そうに頬に添えた右手……宝飾品を纏わない白魚の手。
体型が戻ったことで外れた指輪は、もうどこにも見当たらなかった。
エリアリス嬢はチラリと周囲に視線を走らせ、ある人物を確認すると、目の前の令嬢に一礼する。
「私がキュイジー様を独占していては他の方が話しかけられないというもの……ではまた」
「お話出来て嬉しかったですわ。なんだか、お久しぶりな気がしませんもの。あ、例の試作品、お帰りの際にお持ちくださいませ」
「あ、ありがとうございますですわ」
キュイジー嬢の言葉にギクリとして言葉が若干ぎこちなくなりながらも、顔を崩すことなくその場を離れたエリアリス嬢。
少し距離を空けて、また彼女の様子を扇子の陰から見つめる。
「タボック侯爵令嬢!」
「私とお話を‼︎」
エリアリス嬢が離れた瞬間、今がチャンスとばかりに貴族令息達が彼女に群がる。
「ええっ⁉︎」
キュイジー嬢は狼に囲まれた仔羊のように顔を青くした。
婚約者不在の麗しい侯爵令嬢となれば、その伴侶の座を皆が狙いにくるのは自然なこと……だが、その群れを牽制するかのように、一人の令息が彼女の手を取った。
「え? あ、あら……」
「ご機嫌いかがですか、キュイ義姉様……いや、もう義姉では無いですね」
「ジーニス……」
昔からよく知る存在が現れ、安堵した表情を浮かべるキュイジー嬢。
だが、すぐにその表情は一変することになる。
ジーニスと呼ばれた少年は跪き、キュイジー嬢の手の甲に軽くキスをしたのだ。
「?」
「幼い頃からずっとお慕いしておりました。此度、貴女の婚約者になれたことを心より神に感謝致します。生涯全力で愛し抜きますよ、キュイジー様」
「⁉︎」
予想通りの展開を眺めながらエリアリス嬢はニヤリと笑った。
……本人は微笑んでいるつもりなのだろうが、何故だかいつも邪悪な顔になってしまう。
「あらあら……『全力で口説きなさい』とは伝えたけど、公開告白しろとは言ってないわよ?」
フライングでキュイジー嬢との婚約発表したこの少年……アッシャー家次男、ジーニス・アッシャー次期伯爵。
無能な兄が退いたことで、彼はずっと心に秘めていた想いを全力で解放したのだった。




