10.指輪が外れませんわ。
このカルスタット王国内には『呪いのアイテム』と呼ばれるモノが無数に存在している。
そして最近、貴族間の婚約破棄の理由ランキングに『呪われ者となった相手の非を責める』という事例が急浮上していた。
大切な婚約者からの贈り物は身につけるのが礼儀。
だが、婚約破棄を狙う輩はそれを悪用し、どこからか手に入れた『呪いのアイテム』をわざと贈り、相手が呪われるように仕向ける。
そして自作自演の婚約破棄劇場を公衆の面前で披露するのだ。
『呪い』と一口に言っても、その内容は様々。
身体にかかる負担は、軽く風邪をひいた程度に怠さを引き起こすモノから、衰弱して命を落とす程に凶悪なモノまで多種多様。
だが大なり小なり、どれを取ってもけして無事では済まない代物……それを親交を重ねた己の婚約者に身につけさせようとするのだから……そんな者は、貴族の前に人間ですらない。
……ただの魔物だ。
「信用のおけないクソ貴族どもは、皆、仲良く地獄への道を辿って頂きますわ」
社交界やら学院やらに蔓延る悪辣貴族の名を、エリアリス公爵令嬢は記録書の要注意事項欄に追記していった。
そして、いつしか彼女の手元には分厚い貴族名鑑が出来上がっていったのだった。
◇
馬車は静かに教会の正門前へと停車し、令嬢達は順に石畳へと降り立つ。
ストンッ……ストンッ……ズドンッ‼︎
見上げると、シンプルだが格式高い美しさを持った大聖堂が高く聳える。
「イル……ちょっとお願いがあるんだけど……」
「かしこまりま……あっと……えぇ、何かしらリリス様?」
「ロアを代わりに寄越して欲しいの」
「⁉︎」
『ここで交代しなさい。貴女には聞かせたくない話なの』……そう語るリリス嬢の大きな瞳。
主人の意図を汲み取った侍女は、少し寂しげに微笑んでから、そっと頭を下げた。
「……では、このまま馬車をお借りしていきますわね」
優しさは時として『壁』を作る。
自分への想いを分かっているからこそ、彼女の胸中は複雑だろう。
今、降りたばかりの馬車にまた乗り込みながら、イル嬢は二人を振り返る。
「キュイジー様、私ここで失礼致しますわ。貴女にとって良きことが数多に降り注ぎますように……」
「え? えぇ、イルフィーユ様。今日はありがとうございました。今度はぜひお茶会で……」
「ありがとうございます。では、リリス様……行って参りますわ」
「えぇ。よろしくね、イル」
走り去る馬車を見送ってから、二人は大聖堂へと伸びる階段を一段一段上って行った。
◇
大聖堂内、厳かな祭壇前で窮屈な小椅子に座らされたキュイジー嬢。
彼女のふくふくとした右手を取りながら、老司教は静かに鑑定結果を告げた。
「指輪が抜けないのは、単に太ってるからですね」
………………
「「……はい?」」
浄らかな空間に響き渡ったど直球なその言葉に、二人は思わず揃って聞き返した。
「え、でもこれ……カルバ様が『呪いの指輪』って……だから外れないんじゃ……」
「呪いの力はこの指輪から微塵も感知出来ませんよ。ただの骨董品です。どうせ怪しい商人に偽物をつかまされたのでしょう……愚かな者よ」
昨今の婚約破棄事情をよくご存知の老司教は、聖職者らしからぬ顔で忌々しげにそう吐き捨てた。
「え……でも……だったら……」
まだ納得いかない様子のキュイジー嬢はゴニョゴニョと言葉を漏らす。
「体型の変化は……おそらく精神的な負担による過食が原因でしょう。失礼ながら……婚約者は貴女様にお優しかったですか?」
「そ、それは……」
「この指輪自体に呪いの力はありません。ですが、婚約者の悪意ある言葉と態度が、じわじわと貴女の心と身体を蝕んでいった……それは禍々しい呪いに等しい」
老司教の言葉を聞き、令嬢は自分の顔を両手で覆った。
「……私は……自分で思い込んでしまったのですね……呪いのせいだと決めつけ、諦め……それほどまでにカルバ様に嫌われていたなんて……」
彼女の瞳から溢れた涙は、顔を覆い隠す手の隙間から漏れ、指輪を濡らしながらポタポタと床へと滴り落ちた。
涙と共に、婚約者との関係が良好だった頃の記憶も流れ去ってしまえれば、どれほど楽だろうか。
「キュイジー様……」
リリス嬢が言葉を掛けようとした瞬間、扉を叩く音が鳴り響いた。
コンコンッ……ギィィッ……
「皆様、ご機嫌よう」
「ロア!」
扉を押し開けながら、華やかな装いの美青年が恭しく頭を下げた。
その拍子に、長い髪が輝きながら揺らめく。
「もう、お嬢ったら……イルが拗ねていたわよ? 何やってんだか……」
「そんなこと言ったってしょうがないじゃない……」
「ロアール卿、エリ……リリス嬢に対して少々、礼儀を欠いておりますぞ」
「あぁ、いいのよ。ロアには、私が許可しているの」
老司教が嗜めるのを制止してから、リリス嬢はハンカチで涙を拭うキュイジー嬢を振り返った。
「キュイジー様、こちらロアール・ステンド子爵。見た目20代だけど、実年齢は4……もがっ!」
「こら! 余計なこと言わんでよろしいわ!」
ロアール卿は無神経に年齢を暴露しようとした令嬢の口を慌てて両手で押さえた。
その様子を見て、老司教はハラハラと青ざめている。
当然だ……高貴な身分である公爵令嬢の顔面を素手で掴んでいるのだから、焦るのも無理はない。
「ぷはっ! えっと、このロアール卿は社交界でも『美の伝道師』との異名を持つお方でね。健康管理から、マナー講師まで幅広くご活躍されているのよ」
「どうも〜〜!」
病弱な王家の代わりに、公爵家は最重要公務を任されている。
健康管理も貴族の務め……体調不良で仕事に支障をきたせば、国家存亡の危機を招きかねない。
そこで、公爵家の健康管理をロアール卿に一任しているのだ。
美しい所作の彼だが、元は平民出身。
エリアリス嬢が才能を見抜き、裏で色々と手回しして、子爵位を持たせたのだ。
そして、社交界を優雅に渡り歩くロアール卿……彼もまた、エリアリス嬢にとっての武器の一つだ。
「なぜ私にロアール卿をご紹介下さ……はっ! ま、まさか……卿は呪いでそのようなお言葉遣いにーーっ⁉︎」
「おいこら! なんでじゃーー!」
ふくよか令嬢の斜め上の発想にツッコミを入れる……と同時に、今度は彼女の頬をむにむにと掴み始めたロアール卿。
「え? え? え? あ、あの……」
「やだぁ! すごいお肌綺麗! 白くてもちもち! え〜〜! 何食べたらこんなに美肌になるの⁉︎」
「ふぇっ?」
矢継ぎ早に褒められて、キュイジー嬢の陶器のような頬が真っ赤に染まった。
「も、もしかしたら……タボック領特産のピジュの実のお陰かもしれません……」
「「ピジュの実?」」
聞き覚えのない果実の名称にリリス嬢とロアール卿は仲良く首を傾げた。
「肥沃なタボック領で、昔から野生に生えていた樹なんですが、最近実験的に栽培開始したのです。ただ、採取できる実は鮮度が落ちやすく安定供給しづらい為、領地外には出回らないので、ご存知なくて当然かと……」
「それがもしかして、バストアップの食材って言ってた、例の?」
「えぇ」
リリス嬢の言葉にキュイジー嬢はこくんと頷いた。
「実のサイズは小さいんですけど栄養価の高い果実で……お胸を大きくしようと躍起になってしまい……食べ過ぎましたね」
「これじゃ栄養過多よ、キュイジー様。美しさとは心身の健やかさがあってこそ……ね?」
「栄養補給に効果のある……出回らない品……」
「お嬢、何ぶつぶつ言ってんの?」
「はっ!」
突如、リリス嬢はキュイジー嬢の両肩をがしっと掴んで声を上げる。
「ピジュの実の加工品を商品化して、商会と専属契約をーーっ‼︎」
「ひぃぃっ⁉︎」
鬼気迫る形相のリリス嬢に、思わずキュイジー嬢は悲鳴を上げた。
「……あぁ、ダメだわ。商売根性丸出しモードのお嬢、こうなったら暫くは誰も止めらんないわ」
「……」
呆れたように呟くロアール卿の隣で、退室するタイミングを完全に失した老司教がただただ、皆のやり取りを眺めているのだった。




