1.捏造なんてクソ喰らえですわ。
貴族学院の裏庭、噴水前で伯爵令息の声が周囲に響き渡る。
「ノルン! お前みたいな非情な人間との婚約は破棄させてもらうっ!」
「そ、そんな……」
傍らに別な女生徒の肩を抱きながら失礼な宣言をした男。
誇らしげな表情を浮かべる彼とは対照的に、言い渡された小柄な令嬢は絶望感からか顔を真っ青に染めていた。
遠くから一部始終を扇子の陰からじぃーーっと眺めていた公爵令嬢は、形の良い唇の端をぐいっと引き上げ、周囲には聞こえぬ声を漏らした。
「あら……またまた婚約破棄……か。ふふっ……腕が鳴るわ」
パチン!
そう呟くなり、手首をくるりと返して豪奢な扇子を閉じたのだった。
◇
休日ーー
王都中央の高級住宅地からは少し外れた場所の、とある子爵家のタウンハウス。
その応接室では令嬢が二人、向かい合わせの形でソファに腰掛けている。
片方は数日前、噴水で婚約破棄されていたあの令嬢だ。
見るからに気弱そうな彼女は、両目に涙を浮かべながら徐に口を開いた。
「酷い……こんな仕打ちは、あんまりですわ……」
「そうね……」
もう一人の地味な令嬢は、ぺらぺらと手元にある厚みのある紙の束に視線を走らせながら、溜息を吐いた。
「『嫉妬に駆られ、他の令嬢への執拗な嫌がらせ、婚約者の地位を笠に着て学院でやりたい放題……』って、これ本当に貴女のこと? 吐くならもう少しマシな嘘にしやがれって話ですわ!」
ばさっ!
目の前のテーブルへ、冤罪まみれな報告書を乱暴に放り投げた。
貴族令嬢としては些か品位に欠ける行為だが、その粗雑さが目の前の少女の流れ落ちる涙をぴたりと止めた。
「あ、貴女は……私を信じてくれるの?」
「当たり前でございましょ? じゃなきゃ、貴女の前に座ってのほほんとお茶なんて飲んでませんわよ。しっかし、学院の噴水前で断罪なんて……二人まとめて水中にゴボゴボ沈んでろですわ!」
……この令嬢、後尾だけ丁寧語にすれば良いと考えている節がある。
言葉選びに自由が過ぎるが……まぁ、仕方ない。
育った環境というものが、人間性の形成に大きく影響を与える……このご令嬢は分かりやすい事例の一つなのかもしれない。
◇
今、巷では『婚約破棄』や『断罪』が大流行している。
若き令息令嬢達が、親や祖父母から決められた政略結婚に反旗を翻す、新しい時代の幕開け……と言えば聞こえはいい。
家同士の取り決めた婚約が解消されることは昔から一定数あった。
だが、これほど雑で愚かで稚拙では無かったように思われる。
そこには理路整然と、両家が納得し得るだけの判断材料が積まれた上で双方了承し、解消成立していた。
しかし今や、本来の手順から大事な部分がごっそりと抜け落ち、単に『婚約破棄される側に非がある』という悪いイメージだけが一人歩きしている状態となっていた。
そしてまた婚約破棄の『理由』にも異変がある。
真実の愛やら婚約者の非人道ぶりを非難して破棄を宣告するのが相変わらず主流なのだが、最近『ある理由』を持ち出す事例が急増していた。
◇
「古くさい悪しき慣習なぞクソ喰らえだわ、そこは同意……だけど、やり方が汚いのよね……って、あらあら、お言葉が過ぎましたわね。おほほほほほ」
「あ、あの……なぜ、私を子爵家へお招き下さったのですか? リリス・ヴェグダ嬢」
リリス嬢と呼ばれた彼女は、令嬢にあるまじき邪悪な笑みを浮かべた。
「婚約破棄された令嬢って……真実がどうであろうと関係無く、ロクな縁談が回って来ないのよ……噂大好きな貴族社会あるある。そんなの……ふざけてると思わない? 真面目にやっている人間が不幸になっていいわけがない。だから私、ノルン様にはもっといい男と結ばれて欲しいと思っているの」
「な、なぜ……そこまで、その……面識の無い私に……?」
そう、この二人が会話を交わしたのは、今日が初めてだ。
「ごめんなさい……学院で貴女が婚約破棄を告げられているのを目撃してしまったの。あの時、助けてあげられなくて……それで貴女に手紙を……」
「そうだったのですね……」
彼女はそっと自分の手元に視線を落とす。
その華奢な手には、握り締められシワになったレースのハンカチ……繊細な刺繍は彼女が施したのだろう。
丁寧な技術から彼女の性格が垣間見える。
「リリス様からの手紙に……私がどれだけ救われたか……婚約者だけじゃなく、友人だと思っていた彼女にも騙されて……」
信じていた人間が裏切り、誰も味方をしてくれない……それは……どれほどの絶望だろう。
「もし私を信じてくださるなら、ノルン様に悪いようには致しませんわ」
「私……貴女を信じます! だってリリス様は私にとっての女神様だもの!」
……随分と口の悪い女神様がここに誕生してしまったものだ。
「それで、私は一体何をすればよろしいでしょうか?」
「ふふっ、そうね……貴女、ここのところすごく落ち込んでいたでしょう? ノルン様は美味しい物を食べて、好きなことを心の底から目一杯楽しんで、元婚約者のことはすっかりさっぱり忘れて、元気になって頂きましょう!」
「え? え? え?」
「全てはこちらでご用意致しますわ。だって、これは……私の趣味だから!」
そう言って彼女はニヤリと笑った。