第5話 苦戦
波瑠は一試合から苦戦を強いられていた。相手は高校生日本一のチームメンバー。控え含めて全員が実力者。当然簡単に勝てるとは思っていなかった。だがここまで苦しむのも想定していなかった。
「はあ、はあ」
ものすごく体が重たい。体力の消耗が普段より激しい。特別動かされている訳でもない。変な動きをしているわけでもない。
「うーごーけー!」
相手のレシーブが台の角に当たり、軌道が大きく反れる。波瑠は自らの脚に鞭打って無理やり踏み出し、ドライブで返す。
先輩はエッジになったことで一瞬気を緩んでしまったことで返球に対応が遅れてしまった。
波瑠はカウント二対一で勝利した。
「お疲れ一ノ瀬。先輩に勝つなんてやるじゃん」
「まあね。この調子で頑張るよ!」
波瑠はその後もなんとか勝ち続けた。だがやはり体が重かった。
午後になり、波瑠はここからは現レギュラーメンバーとの試合になる。一年で唯一全勝で来ている波瑠は一年ズの声援を受けて前に出る。
「さて、先輩としてと威厳を見せつけないとね」
そこからはさらに白熱した試合展開だった。レギュラーメンバー三人と試合をし、これまた全てフルセット全ゲームデュースの超接戦。
波瑠はレギュラーメンバー相手にも引けを取らず全て勝ち進んでいった。この結果を見て監督らは頷く。
「一ノ瀬波瑠がうちに来てくれたのは非常に大きいですね。いくら全中王者といえどもインターハイ王者のうちとは差があると思ったんですけど」
「もうすでに高校生レベルも凌駕している。去年の全日本もベスト四だったし、今年はいいとこ行けるかもしれないな」
波瑠は滝のように出る汗を拭き取る。ユニフォームがはりついて気持ち悪い。
着替えようとしたところで監督が立ち上がり指示を出す。
「一ノ瀬!あとお前のゲームだけだ。時間もおしてるし、連続になるが行けるか?」
「はい、いけます!」
波瑠は着替えるのを諦め、タオルでサッと体を拭いてコートに出る。
残りは四人。ここからはチームの主力選手たちだ。副キャプテンの瀬能先輩にいたっては昨年のインターハイと選抜大会シングルスの覇者だ。大会成績からみても完全に波瑠の上位互換だ。
ちなみに全日本ではお互い準決勝で敗れている。この部内戦で彼女と当たるのは一番最後だ。
サービスは波瑠からだった。まずは下回転サービスで様子を見る。数回ツッツキの応酬ののち、ドライブラリーに切り替わる。
波瑠はフォアへバックへと相手を動かすように返球する。先輩はとくにものともせず淡々と返す。そして甘い球がきたところを鋭いドライブで決める。
「サッ!」
このゲームは波瑠は防戦一方だった。足が思うように動かず、前に出ることができないでいた。
少し体を休めるのと態勢を整えるために台から少し離れてロビングで対応をする。だがそれが悪手だった。歴戦の猛者である先輩はすぐに前後に揺さぶりをかけ、波瑠の足を削っていった。
「ふ……はあ!はあ!」
波瑠はもはや気力のみでつないでいた。
波瑠は周りを見渡す。中学までは近くに正宗がいて応援してくれていた。だが今回はいない。
――――ああ、こういうとき恋心というのは本当に煩わしい。
正宗が来れなくなったことに対し、かなり精神に来ていることにようやく気づいた。
どうしても体が重たい。カウント十対六。波瑠は激しいラリーの末、ミドルに隙ができたのを確認し、打ち込もうと体の位置を変える。
そこで汗溜まりを踏んでしまった。
キュキュッと大きく滑り、球は大きくそれで先輩の後ろに飛んでいく。それと同じタイミングで体育館の扉が開き、バチン、と大きな音とともに誰かがうずくまった。
「すいません!大丈夫ですか!」
周りの部員たちが扉に近寄る。波瑠は息を切らしながらうずくまる人を見る。その人の顔を見て、どくん、と胸が躍るのを感じた。
「ああ、大丈夫です」
波瑠は体が軽くなるのを感じた。
――――先輩だ。
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波瑠は正宗に近づく。
「先輩、用事があって来れないんじゃ……?」
「いや、たまたま近くに来て……」
波瑠は正宗の後ろに星奈がいるのを確認した。色々確認したいことはあるが、今はそれどころではない。波瑠は切り替えて、試合に集中する。
「一ノ瀬の知り合いですかー?見るならギャラリーに移動をお願いしまーす」
正宗らは流されるままにギャラリーに誘導されていく。
波瑠は自分のチョロさ加減に思わず笑ってしまった。前言撤回。恋心は非常に素晴らしい。ここから波瑠の動きが急に軽くなった。
波瑠の変化に先輩もすぐに気づいた。苦しそうに動いていた波瑠が急に目をキラキラさせながらより早いフットワークっぷりを見せてきた。球の回転も増し、すごく重たくなった。インターハイでもあまり見なかった凄み。
「……やばこいつ」
二セット目は十一対二で波瑠の圧勝だった。続いて三セット目も十一対一で勝利し、波瑠の全勝記録は維持された。
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正宗はここに来るはずではなかった。何故体育館に立ち寄ってしまったのか、正宗はモヤモヤしていた。せっかく星奈と楽しい時間を過ごしていたのに。
「……入ってしまったものは仕方ない、か。波瑠のプレイを少し見たら出よっか、旭」
「え、あ、うん。士道くんがそれでいいなら」
正宗は壁に貼り付けてある総当たり表を見る。波瑠は全勝だった。入ってきたとき随分と苦しそうにしていたからもしかしたらと思ったが、杞憂だったようだ。
「まあ、波瑠が負けるわけないよな」
「先輩!」
フロアの方から波瑠が正宗を呼ぶ。
「今日は来てくれてありがとうございます!ちゃんと見ててくださいよ!」
この様子を見た部員たちは二人を交互に見る。一年ズはなにやらヒソヒソと話し合っていた。
「あの人が一ノ瀬さんの言ってた先輩?なんか普通……」
「え、あの人が?」
「卓球したらかっこいいって……一ノ瀬さんには申し訳ないけど……普通じゃない?」
「女の人と一緒にいるけど……もしかして三角関係?」
普通普通言うな。全部聞こえてるぞ。そして三角関係ではない。正宗は星奈の様子をちらっとみる。
星奈は真面目な表情で波瑠を見ていた。少し変な圧を感じるが。
副キャプテンの瀬能先輩が正宗に気づき、軽く手を振る。正宗はそれに対し会釈する。波瑠はそのやり取りにむすーっとしながらコートに入る。
「あの人と知り合いなの?」
「ちょっとね……」
正宗と瀬能先輩は卓球繋がりで少し知り合っている程度であり、それ以上もそれ以下もない。
「一ノ瀬さん急に動き良くなったね」
「やっぱあの先輩が来たから?」
「愛の力ってやつかな?」
再び一年ズがヒソヒソと話す。
愛の力ではなくちゃんと波瑠の実力だ。正宗はため息をつきながら試合をみる。波瑠はスロースターターだからフルセットゲームになることはよくある。圧勝する試合が少ないくらいだ。
波瑠はそれから二人続けてストレートで勝利を重ね、ついに波瑠と瀬能先輩の全勝対決になった。
体育館がシン、と静まる。
初手は瀬能先輩だった。波瑠のサービスをチキータで鋭く返す。波瑠は反応こそしたが球はラケットの角に当たって隣の台に飛んでいった。
「私に勝てば高校王者だよ、おいで後輩」
「……!胸をお借りします、先輩!」