第1話 士道正宗と旭星奈
色々つたない部分はあるかと思いますが温かい目でお付き合いお願いします。
中学最後の夏、卓球の天才は潰れた。
天才は独りで戦っていた。背後で睨み続ける大人たちの圧力に抗っていた。
「そんなものか」
「優勝するのは当たり前だ」
「何だそのプレーは」
「お前にどれだけの金と時間を注いでると思ってるんだ」
この中に両親も含まれていた。齢十五の少年にこの現実は耐えられなかった。
最後の全中、大会三連覇を賭けた決勝戦、セットカウントニ対零で優勝は確実と思われたその時、天才の身体は限界を迎えた。
会場が騒然となる中、両親たちは心配する素振りを見せることすらせず、ただ再び立ち上がることだけを求めた。
「もう……嫌だ……」
天才は蓋をした。誰も自らの領域を侵してこないように。
将来、日本の、いや世界の卓球を牽引していくはずだった天才はこうしてドロップアウトした。
天才が卓球界からいなくなり約二年が経った。
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かつて天才と呼ばれた少年、士道正宗は地元広島に帰り進学していた。
卓球から逃げるように勝手に帰ったので両親の理解は得られておらず、現在は祖母の家に居候させてもらっている。
「行ってきます」
「はいよ、気をつけてね」
祖母に見送られながら正宗はジャージ姿で走り出す。卓球は辞めたが体力作りの習慣を無くすことはできず、毎日走って通学している。
正宗は地元広島の呉翔陽学園高校に入学した。
呉翔陽は県内でも屈指のスポーツ名門校で、正宗が居候している祖母の家から一番近いところに位置する。
学校まで片道約五キロ。正宗はハッハッ、と白い息を切らしながら走る。一月の朝六時、まだ日も昇らない暗い時間だ。
正宗は教室に入る。
「おはよ、士道くん」
教室にはすでに先客がいた。挨拶をしてきた女子生徒の名前は旭星奈で、最近縁あって朝活と称する勉強会をしている。
「おはよう、今日も早いな旭は」
「ふふん、朝強いのだけが取り柄だからねー。さて、今日はどの科目をやろうか」
星奈はカバンから教科書とノートを取り出す。
「今週は暗記モノがんばろう」
教室に静寂が訪れる。カリカリとシャープペンシルの芯がノートに擦れる音が心地よい。
正宗は日本史の教科書をゆっくりと読みめるく。読む、というか眺めているのだが。というのも今の正宗の心臓はバクバクであった。
正宗はそっと星奈を見る。星奈は真剣な表情でノートに書き込んでいた。
日が昇り、朝日が薄っすらと教室を照らす。
――――ああ、いいな。
士道正宗は旭星奈のことが好きだ。正直なところ勉強は好きではない。むしろ触れたくないくらいである。だが今はその嫌なものにも向き合っている。毎朝星奈と二人の世界に入れるからだ。
パチッ、と二人の目が合う。
星奈はニコッと控えめな笑顔を見せて「どうしたの?」と尋ねる。
――――ああ、可愛すぎる!好きだ!
心の中でそう叫びつつ正宗は「なんでもないよ」と再び教科書に目を落とす。
卓球をしていたあの頃では絶対に味わうことのなかった「青春」をしっかりと謳歌していた。
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「正宗、自転車とか買わねーの?」
終礼が終わり、帰る準備をする中、隣の席の友人日浦大我が正宗に尋ねてきた。
「うーん、なんか走らないと体がムズムズするんだよな」
「お前陸上部入れよ。毎日走れるぞ?」
「部活は遠慮しとくよ」
日浦大我は正宗と同じく帰宅部で、家も近いことからすぐに意気投合し、仲良くしている。大我は運動が大の苦手で、曰く「あんな汗だくで息切らして、二酸化炭素排出して、地球温暖化の根源だ」だそうだ。
「今日どーするよ、また駅前のゲーセンで遊んでく?」
「あー、そうだな――――」
答え終わる前に誰かが正宗の肩を叩いた。振り向くとそこには少し緊張した表情の星奈がいた。
「ねえ、士道くん。このあと時間あるかな?学年末試験も近いし、もしよかったら一緒に――――あ」
星奈は正宗を勉強に誘おうとしていた。言い終わる前に大我の存在に気づき、途中でセリフをやめた。
「あ、予定あったんだ、なんでもない!」
その様子を見て大我はニヤリとした。
「旭さん、全然大丈夫だよ。そいつ、今日暇だから」
「大我!?」
大我はニヤニヤしながら「頑張れよー」と正宗の肩をポンと叩いて教室をあとにした。
「ねえ、士道くん、一緒に勉強しない?」
「は、はい……」
星奈は頬を少し赤らめながら嬉しそうに荷物を取りに席に戻っていった。
正宗は髪の毛をかきむしる。
――――そんな反応見るとさ、勘違いするよ
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放課後の図書室は思ったより人がいた。時期的にも大学入試を控えた三年生が多く、皆真剣に赤本と向き合っていた。
二人は図書室の端の机に腰掛け、教科書を開いた。
「先輩たちすごく大変そうだね」
星奈がこそこそと話しかけてくる。
「おれたちもいずれこうなるんだな」
二人でため息をつく。
「まあ私達はまずは目の前の学年末試験だね」
「頑張ろうか」
二人は黙々と勉強に耽った。しばらくの間演習問題と格闘し、顔を上げると夕日は沈み、外は真っ暗になっていた。時計は十九時を回ろうとしていた。
「うわ、ずいぶんと長居しちゃった。やっぱり士道くんと一緒だと勉強が捗っちゃうから。そろそろ帰ろっか」
二人は荷物をまとめて図書室をあとにする。星奈はスマホを取り出しメッセージ通知を確認する。
「やば、お母さんからめっちゃ連絡きてる!マナーモードにしてたから気付かなかった。ちょっと電話させて?」
星奈は正宗から少し離れて母親に電話をかける。どうやらそれなりに怒られているようで、電話越しに謝っていた。ただその謝る姿も少しおちゃらけたような感じで、はたから見ていて仲の良さを感じ取ることができた。
正宗はただ、羨ましいと思った。
スマホをしまい、星奈が正宗のもとに戻ってくる。
「いやあ、怒られちゃった。まあこんな時間まで帰らず連絡の一つもしなかったから仕方ない仕方ない」
星奈はへらへら笑いながら靴を履く。
「もう暗いしさ、近くまで送っていくよ、旭」
「士道くん……随分と優しいねぇ?イケメンですねぇ?」
星奈はニヤニヤしながら正宗を肘でつつく。正宗としては真っ暗な道を女の子だけで歩かせるのは危ないと思い善意で提案したつもりだった。……下心が全くないといえば嘘になるが。
「な、なんだよ。いいだろ別に。旭になんかあったらいけないからな」
正宗はボソボソと言う。星奈は予想外に真面目に返されて少しおろおろする。
「う、あ、ありがと。……自転車取ってくるね」
星奈は駐輪場にダッシュする。表玄関で一人になった正宗はポケットからネックウォーマーを取り出し顔を隠すようにつける。
「……今のはちょっとキモかったかな」
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二人は静かに並んで歩いていた。白い息が時々視界を遮ってくる。正宗は星奈をちらっと見る。星奈は街灯を眺めながら歩いていた。
「前見ないと危ないぞ?」
「へ?」
星奈は段々と進路が斜めになり、電柱にぶつかりそうになっていた。正宗は早々に気づき、自転車を掴んでぶつかるのを阻止した。
「あ、ありがと。ちょっと考え事してて」
星奈はマフラーで口元を隠す。
駅前に到着し、星奈は「ここで大丈夫、ありがとう」と言って自転車に乗る。
「おやすみ、また明日」
正宗は小さく手を振る。星奈も「じゃあね」と手を振りペダルを漕ぎ、暗い住宅街に消えていった。
正宗はそれを見届け、走って帰るためにトイレでジャージに着替える。
「……一緒に帰った……進歩した……」
好きな人との下校イベントは素晴らしい。ただ歩いて帰っただけだがそれでも、何かこうくるものがある。正宗はいい気分で一歩踏み出――――そうとしてスマホがブーッとなり立ち止まった。
「誰だ――――――――まじか」
正宗はコール画面を見て表情を曇らせる。
正宗に電話をかけてきたのはかつてともに戦ってきた幼馴染の後輩だった。