5.不器用な感情の発露
黒いカラスが私達の仲間となったのは、3年ほど前の話だ。
私が女王陛下に拾われて2年ほどが経過した頃のこと。
どこからともなく現れて、気付けば傍にいるようになった。
気まぐれにやってきては、すぐ近くで束の間を過ごす、そんな鳥。
私達と同じ黒の色に親近感を覚えて、止まり木を増やしたことを覚えている。
色々と調べて用意したエサは、木の実以外口にはしてくれなかったけれど。
そんなカラスが実は人で、おまけに隣国の王子様だとは。
事実を知って数日経った今でも、実感が湧かない。
「こんにちは、ソフィア。今日も素敵な歌だね」
「ウィリス様、聴いていらっしゃったんですか?」
今日も姫様の周りは眩しくて、温かな空気が流れている。
ウィリス殿下がいらっしゃってから、日に日にお2人の仲は前進しているようだ。
両国の従者達も微笑ましくその光景を見守っていた。
相変わらず私は、その光景を遠目で見つめるだけ。
輪に交ざることは無く、様子をうかがうだけだ。
今日も楽しそうで良かった。
そう確認して、そっとその場から後ずさる。
「ルイ!」
しかし、ウィリス殿下の呼びかけにピクリと反応して思わず足を止めてしまった。
今日は、どうやらあの輪の中心にもう一人いるようだ。
「今日こそ共に駆けるぞ、お前は遠慮の塊だからな」
「ルイ殿下、今日はぜひご一緒していただけますよね?」
「やあ、兄上に白雪姫。魅力的なお誘いですが、2人の仲を邪魔するのは気が引けるかな」
「そんなこと言って、一度も付き合ってくれないじゃないかお前は」
「そうですよ、ルイ様。私、ルイ様にもぜひ紹介したい動物達がたくさんいるのですから」
「全く、2人そろって人が良すぎますよ。これだから心配なんだ」
やれやれと腰に手をあてて、呆れたように笑うルイ殿下。
その反応につられるようにして、周囲の従者達も笑っている。
とても自然に馴染んで、城の皆にも受け入れられている姿がやはり眩しい。
私と同じで、私と全く違う人。
魔を持ちながら、魔に惑わされることなく、光の中で笑える人。
とても遠い人だ。
ここにいるとなおさらそう感じた。
「……ルル殿」
小さな声で呼びかけられ、ハッと我に返る。
振り返れば、そこにいたのは宰相様。
「し、失礼いたしました。邪魔ですよね」
声が震えてしまうのは、申し訳ない。
どうにも壮年の威厳ある男性の前では、条件反射で気が張ってしまうのだ。
頭を深く下げて、端に寄る。
そうすれば何かを含めたような息の吐き出しを感じて、それがなおのこと私を萎縮させた。
……思い出してしまうのだ、家を追い出された日のことを。
父の言葉と顔を。
「……貴女はどう思われますか、あの光景を」
いつもならば宰相様はそのまま、どこかへと姿を消してしまう。
私の異常な怯え具合に気を遣って下さっているのか、呆れているのか分からない。
けれど今日は、そうではなかった。
見上げれば、やはりいつも私に向ける渋い顔のまま宰相様は視線を中庭の方へと向けている。
姫様とウィリス殿下とルイ殿下がいる場所だ。
「ルイ殿下のことを、どう思われますか?」
聞かれた問いに、また強張ってしまった。
宰相様が期待する正しい返答は一体何だろうか。
うまく察することが出来なくて困惑する。
「正直な気持ちで結構。貴女の意見が聞きたいだけです」
宰相様は付け足すようにそう告げて、私の目を真っすぐ見据えた。
逃げを許さないような強い視線に、心臓が早鐘を打って仕方ない。
……初めてだ、この方が私に正面からこうした問いかけを行うのは。
いつも何かを言いたげにしたまま、けれど言葉のやりとりは最小限だったから。
当たり障りのないような言葉と、警告と、そうした内容ばかりが頭に浮かぶ。
これもルイ殿下がやって来たからこその変化なのだろうか。
そう思うと、少しだけ言葉を続ける気力が湧いた。
そっと中庭を見つめて、彼の方の姿を追う。
「……不思議な方です、あの方は。何もかも。きっとすごく強くて、芯の通った方」
「強い、ですか」
「はい。人と違うものを持ちながら自分を貫くことは簡単ではないから。姫様と同じで、とても眩しく映ります」
表情の凝り固まってしまった私では、笑みを見せることは出来ないけれど、少しは伝わってくれるだろうか。
初めて宰相様にまともな返答が出来た自分を、少し誇らしく思えた。
「ならば、貴女も倣ってみては如何か」
「……はい?」
「年頃の女性が、そのようにいつも黒ばかり身に着けていては流石に浮くでしょう。貴女もあの方のように明るい色を纏っても良いのでは? それだけで、周囲の印象も変わるだろうに」
宰相様の言葉にパチパチと目を瞬かせ、見上げてしまう。
意外な方からの意外な言葉に、理解がうまく追いつかなかったのだ。
確かにルイ殿下は、今淡いベージュの柔らかなローブを纏って笑っている。
それだけでも随分と印象が変わる。
一方の私はいつでも黒一色。
「もしかして、いつも私に何か伝えようとされていたのは」
警戒されていただけではなかったのだろうか。
言葉にするには少しためらう単語を隠し問えば、宰相様は軽くため息をつく。
「侍女として城に上がったならば、周囲の目を気にしなさい。陛下の力となりたいのならば、どうすれば理解が得られるか努力なさい」
私を責めるように告げる言葉は、けれどさほど威圧感を受けなかった。
言葉の節々に、私への配慮が見えたからだ。
「ルイ殿下は、心得ておられる。理解を得るための努力と覚悟を怠らない、私はそう思いますが」
きっぱりと言い切り、私に背を向ける宰相様。
大きな背中を、私は見つめるだけ。
「まあ、怠っていたのは私も同じです。自戒も含め、苦言といたしましょう」
そのまま去っていく宰相様に、頭を下げる。
お城に上がってから初めて受けた説教だった。
5年目にして初めての、指導……なのだろうか。
今までと違うことが起きた原因は、きっと。
宰相様が彼の方々の輪に入っていく。
皆がにこやかに受け入れまた笑い声が届いた。
一瞬、ルイ殿下と目が合った気がしたのは、きっと私の思い込みだろう。
「本当に、不思議な人」
このたった数日で、確かに変わっている。
心が、温かい。
血の通う感覚を、この数日だけで幾度も味わった。
きゅっと手を握りしめ、もう一度だけ頭を下げた。
眩しい方々へ、羨望も込めて。
「ルル、お茶を頂戴。全く、これでは先が思いやられる」
「ウィリス殿下からの報告書、ですか?」
「やっぱり見た目通り甘いね、見通しが。音を上げず綺麗ごとを諦めない姿勢は見上げたもんだが」
「ふふ、やはり誠実な王子様ですね」
「ふん、苦いねこの茶」
女王様は何だかんだと言いながらも、ウィリス殿下の書いた書類の束を決して粗雑には扱わない。
ウィリス殿下の人柄なのだろう、何だかんだとお2人の関係性も良好そうだ。
少し複雑な女王様と姫様との関係性も、間に入ってうまく取りなしてくださるかもしれない。
「ところで、髪飾り変えたのかい。珍しい色を選んだね」
「はい。少しだけでも、変えてみたくて」
「はあ、さっさと服も変えな。他にもあったでしょう、給仕服。いつまでも薄暗い服ばかり選んでるんじゃないよ」
「そうすぐには、落ち着きません」
真っ白な髪飾りを、女王様は不思議そうに見つめる。
誤魔化す様に笑って、お菓子を差し出す。
「何かありましたら、いつでもお呼びください」
頭を下げてそっと部屋を辞せば、辺りを包むのはいつもの静寂だ。
何となく自室に戻るのが惜しくなって、女王様の隠しの庭へと足を伸ばした。
女王様が私のためにと作って下さった、とても小さな中庭だ。
人が1人、2人はいれるくらいの広さに、小さな椅子と1本だけ木が植えられている。
他の人には感知されにくい、特別な庭。
人知れずここで力を吐き出すのだ。
ここで椅子に腰かけて、月を見上げるのが好きだった。
静寂の中、日中よりも少し涼しい風が心地良い。
しばらく天を仰いでいると、バサバサと羽音が聞こえる。
驚いて音を追えば、やがて大きくなるそれは、すぐそばの枝で止まる。
「やあ、こんばんは。私の姫」
黒カラスのまま紡がれた人の言葉に、息をのんだ。
こうして話すのは、あの日以来だ。
あの日と同じく私を姫と呼ぶその声に、ビクリと大げさに肩が揺れた。
「本当のことが聞きたくて、来てしまいました」
続いた言葉に、ようやく我に返る。
「貴女が黒い服を選ぶのは、本当はどうして?」
「聞いていたのですか? どうやって」
「まあ、いわゆる魔の力を使ってかな。どうにも気になって」
あははと笑い声を上げながら、黒い目が私を見つめている。
この暗がりでもはっきりと感じる彼の方の真っ黒な目。
吸い込まれそうなほどの見事な黒を、美しいと言ったらどう思われるだろうか。
この方が、ただの黒カラスでは無くてあのルイ殿下なのだとは今もなかなか結びつかない。
声が一致していても、カラスが人の言葉を話していても、なお。
私の中でこの黒カラスは、長く共に暮らして来た大事な相棒だったから。
すぐに切り替わりはしなくて、頭は混乱したままだ。
けれどするりと問われるままに本音が零れるのは、だからなのだろう。
心を預けられる、そんな根の信頼は揺らぐことが無かった。
「私くらいは、寄り添っても許されないかと、思ったのです」
「寄り添うとは、何に?」
「女王様の、ローザ様の悲しみに。私に出来るのはそのくらいだったから」
宰相様に明確な返事が出来なかったのも、あれだけ親身に注意してくださったにも関わらず髪飾り程度の変化しか出来なかったのも、何となくこの人には気付かれているような気がした。
不思議と、嘘は付けないように思ったのだ。
「……今でも囚われているのか、夫君の死に」
「本当のところは、私にも分かりません。私がそう感じただけで」
「だから貴女は陛下に寄り添いその恰好を?」
「ただの自己満足で、押し付けです。けれど、誰かを深く愛し、悼み、祈る気持ちは一人で抱えるにはきっとあまりに大きいと思ったから」
こんなこと、誰かに言ったのは初めてだ。
独善的なこの気持ちは、決して褒められるようなものではない。
多くをいただいていながら何も返せない私が思いついた、あまりに拙い寄り添い方。
それが多くの人から不審を招く結果となっているのだから、間違えているとは分かっていたけれど。
「貴女の愛は、あまりに優しく自虐的だ。私は少し心配かな」
「そのようなことは」
「けれど、そういう貴女だから」
バサバサと音を立てて、カラスは私の膝へと降り立つ。
不安定な足場に慌てて私がカラスを腕で囲えば、苦笑が響いた。
「救われたと思うよ、きっと」
そうして響いた優しい言葉に、私もつられて苦笑する。
「少しだけ、結びつきました」
「ん?」
「貴方が、あのルイ殿下だって」
「ええ、まだ少しなの?」
「ふふ、だって、3年も貴方を私の相棒だと思っていたのですよ?」
「今は違うのかい?」
「それは、少し複雑です」
「うん、それは私も少し複雑だ」
他に人がいないからだろう。
あれほど遠く感じていた人を、今はとても近く感じる。
優しく溶けるこの闇夜の時間は、どうにも手放しがたい。
少しの間、そうして私達は同じ時を過ごして解散したのだった。