2.から回る王城
王様が亡くなり、王妃様が王位を継いだのは、もう5年近くも前のことだ。
今の女王陛下は、前王が迎え入れた2人目のお妃様だった。
最初のお妃様との間に生まれた白雪姫と、血の繋がりはない。
白雪姫のお母様、第一のお妃様は優しく穏やかで陽だまりのような方だったと聞く。
そしてその気質をそのまま受け継いだ白雪姫を、国民はとても愛していた。
対して、我らが女王様は、氷のような鋭さと繊細さを持ったお妃様だ。
聡明で、厳格で、だからこそ国民達が戸惑ってしまったのは、仕方のない話なのかもしれない。
決して歓迎された結婚では無かったと、教えてくれたのは誰だったか。
運の悪いことに、その戸惑いが解消されぬままに王様が亡くなってしまった。
遺されたのは、戸惑う国民達とぎこちない母娘関係のみ。
女王様には、悲しむ時間も、余裕も、与えられなかった。
国を維持する重責のみがその肩にのしかかった。
気付いたころには、女王様は美しく冷酷な国主として、名を広めていたという。
「却下よ。もう少し内容を精査してくることね」
「しかし、女王陛下!」
「しつこい。中身が粗だらけだと言っているの、貴方本当にこれで良いと思ったの?」
今日も女王様は笑顔ひとつ見せず冷徹にすら見える表情で、臣下の奏上を一蹴していた。
手に持つのは臣下からの提案書だ。
臣下の男は、悔しそうに顔を歪め拳を握りしめている。
「話は以上ね。政務室に戻るわ。各自、持ち場に戻りなさい」
ぴしゃりと話を終了させると、女王様が立ち上がった。
広々した謁見の間で、ただひとりの足音が響き、続くように私も後ろに控える。
「……この、国を滅ぼす魔女どもが」
部屋の誰かの言葉が耳に入ったが、動じることは無い。
知らぬふりを決め込んで、後に続いた。
「さすがに言い過ぎでは。あれでは反発を招くだけでしょう」
「お前もあの伯爵の言い分が正しいと思うの」
「まさか。陛下の決定が正しいと存じております。しかしやり方というものが」
「いちいち理解させてやる時間などないのよ。どんな王子が来るか分かったものではないのだから」
「……これでは国は続けど御身が滅びましょう」
宰相様の苦言に女王様が鼻で笑う。
苦虫を潰したような表情の宰相様。
この5年で臣下と女王様との溝は深まるばかりだと、最も憂いているのは宰相様なのだろう。
大きく息を吐きだし、椅子に腰かける女王様。
宰相様も同様に大きく息を吐き出し、礼を取った。
振り返り退出する宰相様に頭を下げれば、宰相様は私の方にも何かもの言いたげな視線を向け首を振る。
カタカタと、情けなく指先が震えてしまうのは、もう条件反射のようなものだ。
宰相様が公正な方だろうことは分かっているのに、これはもう仕方がない。
申し訳なさが勝って、顔を上げることが出来なかった。
「いつまで頭を下げているの、お前。お茶を頂戴、疲れたわ」
「はい、女王様」
「その泣きそうな顔も整えてくることね、辛気臭い」
呆れたように告げてくる女王様の言葉は変わらず手厳しい。
けれど愛のある言葉だと分かるから、ふっと力が抜けた。
「ありがとうございます。お茶、すぐにご用意いたします」
ほのかに女王様の耳が赤い。
こういう可愛らしい姿に、安心する。
頭を下げて、私も部屋を辞した。
「見て、噂の魔女よ」
「嫌だ、怖い。今度は何を狩るのかしら」
「伯爵様じゃない? 陛下にずいぶん手ひどい言葉を受けたようだから」
廊下を歩くとたちまち届く言葉たち。
ずいぶんと話が回るのが早い。
一体誰が流したのか、心当たりがあまりに多く思いつかないほどだ。
……私もいちいち耳に入れて動揺してしまって情けない。
女王様のように凛としていたいのに、臆病者のままだ。
切り替えるように静かに深呼吸をして中庭を抜ける。
部屋のすぐ近くに用意していたはずのお茶のセットは、当たり前のように無くなっていた。
しばらく使っていなかった私の使用人用のロッカーに、その中身が撒かれている。
こうなると分かっていたから公共の場にある私のスペースは使用していない。
女王様には内緒にしているけれど、きっと気付かれてはいるだろう。
下手に贔屓すると悪化すると分かっているから静観されているのだと思う。
「宰相様! みて、この衣装! ウィリス殿下に見合うようにと皆が繕ってくれたのよ!」
ロッカーを掃除し直し、お茶を再び調達しに厨房へ向かう途中、中庭から明るい声が届いた。
中央にいるのは、白雪のように透き通った綺麗な髪目を持つお姫様。
その容姿から白雪姫との愛称で呼ばれている、この国唯一の王女殿下だ。
先ほど難しい顔をしていた宰相様は、姫様の声を受けてその頬を緩め頷いている。
「これは姫様。よくお似合いですよ。本当に美しくなられて」
「ふふ、ありがとう。優しい臣下達に囲まれて私は本当に幸せ者ね」
慈愛に満ちた表情で大事そうに衣装を纏う姿は太陽そのもの。
大輪の花束がよく似合う。
そこにいるだけでキラキラと輝いて見えて、私には眩しすぎた。
「あら? そこにいるのは、たしか……ルルよね? お義母様の侍女の」
「……ごきげんよう、姫様」
「ええ、ごきげんよう。珍しいわね、お義母様と別行動だなんて」
「女王陛下にお茶の準備をと。その途中でございます」
「そうなのね。いつもお疲れ様」
姫様は、明らかにこの国で浮いている私に対しても優しい。
邪気のない笑顔で、私相手にも丁寧に接してくれる。
表情の変わらない、いつだって黒服の私にも。
深く頭を下げる私に、「もうそんなに仰々しくしないで」と笑いながら近づくお姫様。
警戒したのは、宰相様だ。
「ルル殿。どうしてこのような場所まで。茶器ならば別室にもあったはず」
「……諸事情につきです。それでは私はこのあたりで」
「ルル、待って。これ、あまりに綺麗な花束だから、お義母様にもお裾分けしたいのだけれど、渡してくれる?」
私と宰相様の微妙な空気感に気付くことなく、姫様が私に近づいてくる。
綺麗なオレンジと赤の花が目に入って、顔を上げた。
これは、女王様が好きなお花だ。
昔、王様から贈られていた花と同じ色合いの。
ふっと心が温かくなって、姫様を見上げる。
頷く姫様に頷き返して、「はい」と受け取った。
「きっとお喜びになられます」
「そうだと嬉しいわ。お義母様、お忙しそうだから。少しでも癒されてほしいもの」
女王様と姫様の仲は、お世辞にも良いとは言えない。
女王様から姫様への接し方も不器用で、ぎこちない空気感を姫様も感じ取っているはず。
けれど純粋に血の繋がらない家族を心配し気遣える姫様。
国民達に慕われる理由がよく分かる。
私だって、姫様に嫌な感情は持てないのだから。
「ルルも、無理をしないようにね。顔色あまり良くないわよ?」
久しぶりに目にした姫様は、やはりとびきり美しく優しい姫様だった。
眩しくて、真っ白で、あまりに無垢だから、少し心配になるほどに。
汚れも何も知らない、日向しか知らないお姫様。
どうかそのまま健やかであって欲しいと願う一方、自分勝手に少しだけ妬ましい。
私とはまるで正反対の道を歩み続けられるこの方の人生がうらやましくて。
「それでは、私はこれにて」
汚れた自分の思考を振り払うように、頭を下げた。
「ルル殿。中庭には寄らぬ方が良い。ここは」
「……はい、勝手をして申し訳ございません。気を付けます」
いつもより強く告げられた言葉に頭を下げる。
宰相様はなおも何か言いたげな様子。
それを聞き返す勇気のない自分が情けない。
宰相様が悪いわけではないのだ。
過去のトラウマを抱えすぎて過敏な私が悪いのだと分かっている。
けれどどうにも体が言うことを聞かないのだ。
再び頭を下げて、その場を去った。
「女王陛下、こちら姫様からです」
「……ふん、あれには惜しげもなく金を出すんだね。私には倹約をと窘めるくせに」
「女王様」
「分かったよ。好きにおし」
「はい。飾らせていただきますね」
「まったく、このお人好し」
「女王様に言われたくありません」
そんな会話があったことなど、きっと城の誰も想像すらしないだろう。
女王様が姫様を心から厭っているわけではないことを、知っている人は少ない。
この国は白雪姫を中心に回っている。
白雪姫は、この国の希望だ。
空回り、うまく歯車の回らないこの国の光。
少しずつ歪んでいる歯車を、繋ぎ止めていることには間違いない。
「……ウィリス殿下がいらっしゃいますね、明日」
「ああ、そうね」
「良い方だと良いですね、お噂通りの誠実な方であったなら」
「ふん、誠実なだけでは足りないけどね」
「それでも、民はそのお姿に希望を持つことができましょう」
「……民など」
葛藤の見える顔で、女王様が視線を外す。
同じ未来を願っていながら素直じゃない女王様に笑う。
「それよりも、お前、顔色が悪いのではなくて? まさかまた無理に溜め込んでいるのではないわよね」
「ふふ、お気遣いありがとうございます。大丈夫ですよ」
ずずいと近付く女王様に笑み返した。
怪訝そうな女王様の視線から逃れるように、窓へと目をやると、庭先にいつもの黒カラスが佇んでいる。
窓を開けて中に入れてやると、今度はカラスの方から責めるような突きを貰った。
カアと強く鳴いて、服をつまんでいる。
「そら見たことか。そいつも言っているじゃないか」
「い、いえ。これはきっとそういうことではなく……お腹空い……いた、いたたたっ」
女王様と黒カラス。
双方から鋭い視線が届いて降参した。
「実は、少しだけ呼吸が苦しく」
「いつからだい」
「昨日の朝、でしょうか」
「溜め込みすぎなのよ、お前は! さっさと吐き出しなさい!」
「ごめんなさい……」
頭上で女王様が、肩でカラスがわぁわぁと騒いで私を責め立てる。
心配してくれているのだと分かって、嬉しくて涙すら出そうだ。
「外が嫌なら、ほらさっさとここに!」
広い女王様の部屋ににょきにょきと突如木が生える。
いつの間にこんな魔術を開発したのだろう。
分からないけど、きっと私のために動いてくれた事だ。
申し訳ないと思いつつ、やっぱり嬉しい。
ここまで気遣ってくれる人はそういない。
「ありがとうございます、ローザ様」
一言告げて頭を下げる。
そうしてお言葉に甘えて、その木に手を当てた。
「ごめんなさい、負担をかけてしまいます」
生まれたばかりの木に謝る。
この子にもきっと負担がいくだろうから。
邪悪な私の力の負担が。
体の中に溜まったモヤをゆるゆると吐き出していく。
木に触れた手から、流れるようにモヤは木に移っていく。
それらはやがて真っ赤な実となり、ぽとりと辺りに落ちた。
今日も立派な毒りんごの出来上がりだ。
「……何度見ても酷い力」
自嘲するように呟く。
生き物の命を奪う毒りんご。
その凶悪さとは裏腹に熟れて美味しそうな毒りんご。
身一つで凶器を生み出してしまう私のこの力が邪悪で無くて何というのか。
ペシッと女王様が私の頭を遠慮なく叩く。
そうして当然のように丁寧に毒りんごを拾い上げて籠に詰めていく。
誰もこの毒を口にしないように。
とても丁寧に扱う。
私の心ごと拾い上げるように。
「何度も言うけどね、お前は精霊なんだ。卑屈になるんじゃないよ」
「ありがとうございます、女王様」
「……いつか証明してやるさ」
今日も部屋は少し薄暗い。
この部屋には女王様と私とカラスの3人きり。
優しいこの時間が私には何だか勿体ない。
「あなたも、ありがとう。優しいのね」
「お前、何度も言うけどそのカラスは」
「優しい子ですよ、この子は絶対」
「……本当に面白くないね」
カラスが私の頬にスリスリと寄ってくれる。
きっと人の言葉を理解しているだろうカラス。
経緯は分からないけど、きっとこの子は私と同じだ。
普通から少し外れてしまって、輪から抜けてしまった同志なのだ。
「いつまで引っ付いてるつもりだい、黒カラス」
「カア」
「カラスの振りしてるんじゃないよ」
「カア」
「カアカアうるさいね!」
「女王様、落ち着いて下さい。カラスがカアと鳴くのは普通のことです」
「人語に反応してカアカア鳴くのは普通じゃないよ!」
仲良く喧嘩する女王様とカラスの仲裁をしながら、思う。
どうか少しでもこの温かな時間が増えますように。
けれど、この些細な時間は少しずつ、形を変えていくこととなる。
隣国から白雪姫の王子様がやってくる前夜。
私達はまだ、その事を知らない。