11.魔を嫌う者
ウィリス殿下とルイ殿下がこの国に越してきて、季節がひとつ変わろうとしていた。
深い緑の葉が、少しずつ薄れて色を変えていく。
「水が冷たくなってきたなあ」
いつものように布を洗いながら、つぶやく。
朝晩の水が肌をさすようになってきた。
長時間洗い物をしていると、指先がほんのり赤い。
「温めてあげようか? ルル嬢」
「お気持ちだけいただきます、殿下」
相変わらず傍には黒カラス姿のルイ殿下がいた。
毎日のようにいるから、慣れてきてしまった。
一国の王子様と、一介の侍女。その関係性がおかしなことは、分かっていたけれど。
居心地が良くて、手放せなくなっている。
洗い終わって、いつものようにルイ殿下が風の力で布巾を乾かす。
その風が少しだけ、温かい。
「あ、本当にちょっと冷たい」
「で、殿下。殿下の体が冷えてしまいます」
「だから”殿下”じゃなくて良いってば。名前で呼んで?」
一通りの仕事が終わるとルイ殿下がいつものように胸元に飛んできて、腕で囲む。
抱き込めば私の手の冷たさが直に伝わるのだろう。
思いっきり顔をしかめている。
「……温かい」
ルイ殿下の羽と、体の温かさに思わず呟けばようやくその険しい顔を緩めてくれた。
拒否されないことを良いことに、ギュッと抱きしめる。
ハッと我に返るのは、少したってからだ。
「ご、ごめんなさい! これでは殿下が風邪をひいてしまいますよね」
「良いのに。それより名前……」
「だ、駄目です。ただでさえ、殿下は近く長期でお出かけなのに」
そう、ルイ殿下はこの後ウィリス殿下と共に国内を回る予定なのだ。
ウィリス殿下、ルイ殿下の生活が慣れてきたところで、国に広くウィリス殿下の顔と名を知らせる目的だ。
ルイ殿下は同じく周知目的とともにウィリス殿下の護衛を務める。
「私は丈夫だから。この程度で体調は崩さないよ」
冷たい私の手先に触れさせないよう、殿下から手を離そうとすれば、ルイ殿下がそう告げてぐいぐいと私の体にカラスの身を押し付ける。
駄々っ子のような仕草が可愛くて、押し黙ってしまった。
私の様子にルイ殿下が満足そうに息をつく。
諦めて籠を持ち上げる。
あっさりと私の肩に移ったルイ殿下を少し恨めしくにらんでしまうのは許してほしい。
心臓が本当に持たない。
ピリッと鋭い視線を感じたのはその瞬間だった。
「……っ」
「ん? どうしたの、ルル嬢」
「あ……なんでもありません」
どうやら気付いたのは私だけのようだ。
ルイ殿下に首を振って、笑う。
「殿下。気を付けて行ってきてくださいね」
「そんなに心配しなくて大丈夫だよ、私強いし。ルル嬢こそ風邪ひかないように」
「大丈夫です、私も丈夫ですから」
明日からは、きっとルイ殿下も忙しくなってこうして会うことは出来ないだろう。
姫様もしばらくウィリス殿下と離れ離れになることを、寂しがっている。
「戻られたら、また女王様とお茶してくださいね。きっと喜びます」
「ここでも陛下主義だね、貴女は」
「ふふ、では殿下の好きな方の茶葉をお出ししますよ」
「……仕方ない、それで手打ちか」
直接ルイ殿下とお話したのはそれが最後。
ほどなくしてウィリス殿下とルイ殿下は、城内の皆に盛大に送り出されて旅立っていった。
城はウィリス殿下達がいらっしゃる前の静かな城へ。
賑やかな笑い声で溢れていた中庭には、姫様の歌声が響く。
いつものように小鳥たちやリスたちが集まって、それはそれで賑やかだけど。
「少し、寂しそうな印象でした。ウィリス殿下の存在は大きいようです」
「ふん、慣れてもらわなきゃ困るよ」
姫様の様子を報告すれば、女王様はいつものようにそっけなく答える。
それでも思うところはあるようで、姫様が中庭で歌える時間が増やせるよう、公務や用事をひっそりと調整していることを私は知っていた。
「それよりお前、あまり1人でウロウロするんじゃないよ」
「はい。他の皆様の邪魔にならぬよう気を付けます」
「そうじゃない……まあ、良い」
もの言いたげな様子の女王様は珍しい。
首を傾げながら、頭を下げてその場を去る。
もうそろそろ宰相様がいらっしゃる時間だ。
「……やっぱり、何か変」
部屋を後にし、いつものように中庭の脇を抜けて用事を済ませる。
その間ずっとチリチリと鋭い視線を感じて、思わず呟いた。
いつにも増して向けられる視線が多く、強い。
いつもならヒソヒソと声が遠くに聞こえるのに、会話の内容が聞き取れない。
わずかな接点のある人々も、いつにも増して強張っていた。
私に対する不審の目はもともと多い。
毒りんごを生み出す魔女として、怖がられ避けられている。
だから人目を避け最低限の接触だけをしてきたつもりだけど……ここのところ多くの優しさをいただいたから、知らず知らずのうちに私は調子に乗ってしまっていたのだろうか。
当然だけど、今日は黒カラスがいない。
心細く思ってしまう自分に、やっぱり私は随分甘えてしまっていたのだと自覚する。
『一家の恥さらしが』
頭に流れ込む過去の記憶に足が止まって、気持ちを押し込めるように目を閉ざした。
……自省、しなければ。
息を整えて、ようやく目を開ける。
気付けば影に囲まれていた。
険しい顔をした兵士達が3名、私を見つめている。
「……何か」
動揺を隠せないまま問う。
それだけで目の前の兵士達の視線が厳しさを増した。
3名のうち1名が腰に付けた剣の柄に手を伸ばすのが見えて、私の顔も強張る。
「おい、やめておけ」
「しかし」
「良いから」
窘める声から、どうやら私に危害を加える予定は流石に無いということを知る。
けれどいずれにせよ穏やかな話ではない。
つい先日だって、女王様の部屋に同じように抜き身の剣で押し入った兵士がいたばかりだ。
どうしたって警戒せずにはいられない。
視線を外さず、後ずさりする。
「野蛮なことは辞めなさい。品が無い」
新しい声が響いたのは、その直後のことだった。
目の前の兵士達がサッと道を開け、頭を下げる。
視線を合わせれば、見覚えのある男性の姿が目に映った。
「こうして話すのは初めてかな、侍女殿」
「……伯爵様」
隣国にほど近い領地を有している伯爵様だ。
何度か女王様の元へいらっしゃっているから、覚えている。
いつも無茶な提案をしては却下され続け、女王様にも私にもいつだって厳しい目を向ける。
この方はきっと魔の力を嫌悪しているのだろう。
正直なことを言えば、少し苦手な方だ。
それでもこの国の高貴な貴族であることには変わりがない。
守るべき領民がいて、国を守る責を負っていることも事実だ。
頭を下げて、礼をとる。
視線を合わせれば、いつもと変わらず鋭い目に身がすくみそうになった。
口元だけが笑っていて、目元が笑っていない。
「そう怖がらなくて結構。君に折り入って頼みたいことがあってね」
一見穏やかそうな声ではあるけれど、糸が張り詰めている。
近づく気配に、身動きがとれない。
目をすっと細めて笑みを消すその瞬間が、ずいぶん恐ろしく感じた。
「これは陛下の御身にも関わる事だ」
その大事な話を、どうして嫌悪しているはずの私にするのか、警戒心は取れない。
この方ならば、いや、この方でなくともそういった重要案件はまず宰相様を通す。
けれど女王様の身に関わると言われて無視はできない。
ぴくりと反応を示した私に、伯爵様は耳打ちをする。
「ルイ殿下に謀反の可能性あり。彼の方を、再び王城に入れてはいけない」
そうして発せられた言葉。
内容を反復して、頭が真っ白になる。
声も発せない私に、伯爵様がポンと私の肩に手を置いた。
「君は随分ルイ殿下と仲が良いようだね。けれど可哀そうに。彼の方はとても狡猾で強い。君のような一介の侍女では利用されていることにも気づかないだろう」
「……利用されている? 私が、ですか?」
「ああ。君は女王陛下の信を得ているからね、懐に入り込むには君が一番手っ取り早い。同じ特徴を有しているし、君は心優しいから絆すこともそう難しくはない」
何を、言っているのだろうか。この方は。
訳が分からず困惑したまま見上げる私に、伯爵様は哀れみの表情を浮かべる。
周囲の兵士達も、伯爵様の言葉を疑うこともせず険しい顔を浮かべたまま。
「城内の噂を耳にしてね、私も裏を調べてみた。残念ながら、可能性は高いようだ」
そのような噂が流れているなど、聞いたことがない。
けれど、私は他の使用人達との交流が無い。情報が入りにくいのは事実だ。
それに最近感じていた私に向けられた鋭い視線の数々。
思い当たる節が、無いわけではない。
伯爵様も兵士達も、この視線の主達も、噂を信じているのだ。
私が得られた情報など、それだけだった。
現に先ほどまで人がいたはずの中庭には、今私達以外の気配が失せている。
視線は強く感じるのに、他に人がいない。
相当数の協力者がいるのは明らかだった。
「我らが女王陛下の身に何かがあれば取り返しがつかない。君にはルイ殿下の足止めをお願いしたいんだ。私達とて、せっかくの隣国との絆を壊すことはしたくない。ルイ殿下の気持ちが変わってくれることを切に願っている」
艶やかな声色に乗せられ発せられた言葉は、なんて鋭いものだろうか。
哀れみの表情を浮かべたその方の、鋭い視線は変わらぬまま。
向けられた視線がどういう質のものなのか、私には分かる。
……悔しい。
女王様だけではなく、ルイ殿下までも。
魔の力と色を有しているだけで、この世界の景色が変わってしまう。
怒りよりも、悲しみが先に出た。
「ならば証拠をご提示いただけますか?」
「……何?」
「ルイ殿下が疑わしい根拠をいただかねば、納得できません」
いつにもなく語気を強めた私に、驚いたように表情を揺らしたのは伯爵様と兵士達の方。
まさか反論されるとは思っていなかったとでも言うのだろうか。
一向に返答がないところを見ると、きっとろくな証拠なんて無いのだろう。
噂話を根拠に、女王様の危険を盾にすれば私が動揺すると思われていたのかもしれない。
そこまで侮られてしまう自分の弱さが、情けない。
これでは力になるどころか、足手まといだ。いつまでたっても、お2人の枷でしかない。
けれど、落ち込むのは後で良い。
女王様とルイ殿下を標的にされて、見過ごせるわけがない。
弱い私にだって、矜持はあるのだ。
私は伯爵様から距離を取って、中庭へと踏み入れた。
途端に強張ったのは伯爵様と兵士達の方だった。
何せ中庭には、ひとつ大木がある。
慌てて追いかけてきて、兵士3名が私相手に剣を抜く。
魔を厭い、私の力を知るならば、この反応は間違いではない。
間違いではないのだけど、やっぱり悲しいものは悲しい。
笑えてしまうほどに。
「私を哀れみ、思いやって下さっているわけではありませんね。貴方達は、魔の力を排除したいだけ」
不思議と、前に感じた時のような恐怖は感じなかった。
今は恐怖よりも先に他の感情が立つ。
怯えて警戒して私に剣を向ける兵士達の表情が見えたことも大きかったのかもしれない。
「ルイ殿下は、私とは違う。彼の方は、そのお力をウィリス殿下やこの国を守るためにお使いです。魔の力を理由に、彼の方を退けるおつもりでしたら、どうか彼の方自身を見てから判断なさってください」
魔の力は確かに強い。
常人では到底追いつかない強い力がある。
人を傷つけることも可能で、危険なものには違いない。
けれどそれでもルイ殿下は理解を得ようと努力されていた。
強い風当たりの中、あれほど堂々と立ち笑顔を絶やさないルイ殿下。
それがどれほど勇気のいることなのか、笑みすら上手に作れない私にはよく分かる。
「……魔女が、何を偉そうに」
伯爵様の地を這うような低い声が、届いた。
鋭い言葉を、きっと私よりも多く受けてきたであろうお2人を思い浮かべる。
それだけで、震えてすくむ足に力が入った。
顔を上げる勇気が湧く。
「ルイ殿下が女王陛下を害することなど、万に一つもありません。女王陛下もルイ殿下も国を守るため不断の努力を続けている。お願いです、魔の力があるというだけで彼の方々の努力までをも否定しないでください」
多くの視線を感じる。
ザワザワと、隠しきれない囁きが耳に届く。
……どれほど多くの人が、ルイ殿下を疑っているのだろうか。
いや、ルイ殿下というよりは魔の力を、だろう。
女王陛下を希代の魔女だと囁き、恐れ、距離を取る人の多さを知っている。
魔の力は、忌み嫌われるもの。
知ってはいたけれど、あんな安易な噂を信じてしまう人がこれほどいるとは。
悔しい思いがどうしたって拭えない。
「貴方達、ここで何をしているの……?」
不意に声がした。
無垢で透き通った、声。
「ルル?」
驚いたように声をかけてきたのは、姫様だ。
白雪姫と呼ばれている、聖の力を持つ姫様。
剣を向けられた私を見て、呆然と立ちすくむ。
ザワザワと、声が大きくなって次第に静まり返った。




