シュレディンガーの帰り道
「和也?あぁ、あいつは凄いわ。勉強も運動も出来て、人望もあっておまけにイケメン。だから当然モテる」「そんで嫌味もないよな、和也は誰にでも優しいし」「私、同じ中学校なんだけど、その時から和也君のクラス、雰囲気が本当に良かった」
周囲からそんな評価を受ける僕が物心つく頃には年に1回、いや最近は1ヶ月に1回はみるようになった夢。
卑屈でプライドが高く、強者に媚びて弱者を見下す。
何の努力もせず、その結果にただただ不平不満を垂らす。
好物だけを食べ続け、ろくに動けない肥満体質。
他者からは当然のように嫌われ、全てを受け入れただ嘲笑っている同年代の男。
確かにそれは、もう一人の僕だった。
1ヶ月ぶりにその夢をみた翌朝、テレビを見ながら朝食を食べていると、好感度ランキングで連続1位をとったらしい女性アナウンサーが言う。
ーーー様々な世界線があり、それぞれの自分がいるのです。
あなたがなぜ、それを夢に見るのかは分かりませんが、あなたがその夢に見る世界線の自分でもおかしくはありませんでした。
私自身も世界線のことなんて何も知らない、日々家事に追われる主婦として生きている世界線もあります。きっかけは分かりませんが、今はこの世界線でいうところの超越した存在です。
誰しもが、様々な世界線で存在しています。
ある世界線の大統領が別の世界線では大工であったり、ある世界線の公安がマークしている教祖が別の世界線では重度知的障がい者であったり、ある世界線のミシュランの料理人が別の世界線ではセンティネーゼ族であったり。性別もそうです。男性が女性であったり、老婆が男の子であったり、トラジェンダーとして悩まない世界線も。
どうしてそれぞれの世界線に別れたのかは分かりませんが、ただそれぞれがそれぞれの世界線でその人生を生きています。
そしてその別の世界線にいる自分を知る人は、私のような存在から聞かなくても、ある時に突然その存在を把握します。ある科学者はその世界線を証明しようとしたり、あるカメラマンは小児性愛者のもう一人の自分にショックを受け自殺したり、あるいじめられっ子はもう一人の自分が子役スターであることを心の拠り所にしたり。
そして私が何故、このような話をあなたに話しているのか?
あなたに危険が迫っています。あなたが夢に見ている嫌われ者のあなたが、この世界のあなたと入れ換わろうとしています。これまでに別の世界線の自分と入れ換わろうとした存在はいないため方法は分かりませんが、嫌われ者のあなたはかなり近いところまできています。夢に見る頻度が増えてきたのはその予兆かもしれません。ちなみに私には何も出来ません。私は別の世界線やその存在に干渉することは出来ず、またその方法も分かりません。目的である別の世界線にたどり着き、別の自分と入れ換わる方法が分かっているあなたにはとても敵いません。ーーー
呆然としていると、一緒に食卓を囲んでいた両親が、芸能人夫婦の離婚ニュースに驚いていた。
その一週間後、高校から帰宅して部屋に戻ると彼がベッドに腰かけていた。僕とは似ても似つかないけれど一目見て分かった。目の前で嘲笑っているのは間違いなく僕だ。狙いは分かっているし、本当の彼をよく知っているから断る理由もない。
「いいよ、入れ換わろう」僕は何を言われるでもなく自分から了承する。
「さすが、人格者の俺。まぁ問答無用で入れ換わるけどな」彼は嘲笑いながら言う。
「うん。妹想いの君と入れ換わるのなら悪くはない。幼いころ、双子の妹が苛められているのを知った君は、下校中のいじめっ子集団に泣きそうになりながら体当たりをしたのを夢でみた。そんな妹は今では勉強も運動も出来る人気者の生徒会長で、兄である君を嫌っている。その理由を自分は嫌われ者だからと思っているだろう?」笑いながら言う僕を、彼はいつの間にか無表情で黙って見上げている。
「違うよ。あんなにカッコいいお兄ちゃんがどうして?みんな違うんだよ、お兄ちゃんは本当はカッコいいんだよと、心からそう思っているからだよ。君のことが大好きなんだよ」
そう言い終えた瞬間、鼻息荒く真っ赤な顔をした彼が体当たりをしてきたため、僕は部屋の壁まで吹っ飛ぶ。
「アハハハ、さぁ、君と入れ換わるやり方を教えてくれ。ちなみに僕は君の世界線にいったら、君の妹が知っている本当のカッコいい兄として過ごすよ。一人っ子だから兄妹が欲しかったんだ」
身体の痛みに心地良さを感じながら僕は彼を、あの世界線に生きる本当の彼を、あの日のように泣きそうになっている彼を見上げる。
次の日、体育館で行われた全校集会にて、運動部の表彰を上機嫌で行いながら校長先生が言う。
ーーー結局、君達は入れ換わらず今の世界線で生きていくんだな。彼が気になるかい?まぁ、夢で見るのを楽しみにしていなさい。多分、夢見心地は悪くはないだろう。ーーー
夢ではなくいつかまた会いたいなと思う。
後ろにいる帰宅部の大木が何で校長の話はこうも長いんだ、可能性は無限の話なんて聞き飽きたよと、
欠伸をしながら言った。