醜女の箭吹がお父上様の寝所から出てきた
箭吹は女子である。
それも普段はお台所の竃に顔を向けて大きな尻だけを此方に見せている飯炊き女である。
お父上様には3人のお部屋様がいる。お母上様が亡くなられる前も、お部屋に入られている女子に変わりはあっても、お部屋の数が3っつなのはずっと変わっていない。
お母上様が子を五人、それも男子を4人も育まれたから、お部屋様がお腹様となることはなかった。衆道のお父上様にはそちらに向かわれる由縁はなかったのであるが、海堂家の御屋形様の流儀として、跡継ぎの杞憂を起こさぬ形が必要と考えての思し召しだった。
その思し召しのために、三つのお部屋様は途切れることなくお屋敷に設けられている。それぞれの部屋の納まるお方の真の心持ちは斟酌できぬが、女子にせよ男子にせよ生類として生まれた身の上として、気の毒があたまを擡げた。
お父上様の男子に向かわれている手づるまでは女子のわたしの領分ではない。寝所を固めている若侍はどれもこれも配置の妙まで押さえたように姿かたちの整ったものたちばかりだから、だれがどうと臆する心持ちまで生まれてはこない。そのあたりは、ひとり娘にぞんざいなささくれが立たぬようお父上様も心配りを成されている。
箭吹は醜女である。
いまだ殿方をしらぬ女子のわたしから見ても、どこにも勃つ片鱗の見えない女である。齢はわたしと同じだ。12の時から竃に向かっている大きな尻はしっていたが、奥向きを任される段になって初めて目あわせした。お父上様の寝所の襖を開けて出てきた顔が女性であるのは意外であった。
そして、それが、醜女の箭吹であることの不釣り合いに正気を保てぬ顔まで拵えたらしく、二人にしっかりその顔を凝視されてしまった。お父上様はわたしの狼狽などは予測のことと捨て置き、下知された。
「お母上様が亡くなられたので、奥向きとこの箭吹のことはお前が扱うよう」
お父上様は、わたしたち子どもと同様に母上様のことを「お母上様」と律儀に云う。その言いようはわたしたち子どもの前だけでなく、生前のお二人のみであられた折もそのように申される。その呼び名を聞くたびに、女として、お母上様の今生が偲ばれ、寂しさが前に溢れそうになる。
お父上様の言い渡しを聞いた箭吹は畳に埋まるほどにあたまを下げる。
慄いたのではない。先ほどのわたしの狼狽をお父上様と一緒にスン顔で受け流した女である。スンの顔を隠すためなのは見え透いている。