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アジアンパンク・ジェネレーション②

アジアンパンク・ジェネレーションの続きです。

数刻前。武者小路は雲雀から手渡された絵葉書を頼りに、中華街の某所へと訪れていた。

葉書に記されたアパート461番・305号室は、狭い間隔で密集するように立ち並ぶ雑居ビル群の合間にひっそりと立ち竦んでいた。

頭上では突き出された無数の物干し竿が互いに交差し合い、窓越しからは大家族の喧騒が聞こえてくる。

辺りには夕食の下拵えをしているのであろう、何処か懐かしい匂いが漂っていた。まさに、中華街の「住」を象徴するような場所だ。

錆び付いた外付けの階段を上り、目的地である部屋の前へと辿り着く。地味な場所と啖呵を切ってきたはいいが、いざここで探し人に合い見えるかと思うと僅かに全身が強張った。

固く握りしめた拳で安っぽい金属の扉を叩く。最初は一度。返事がなかったため、次は二回。武者小路は長年の勘から、中に人がいることは察していた。

相変わらず返答がないことに業を煮やし、武者小路が大声を上げようとすると、今度は向こうから勢いよく扉が開いた。

顔を出したのは無精ひげを生やしたアジア系の男性だ。幾分、やせ衰えているようには見えるが、絵葉書の男と相違ないようだった。

「勘弁してくれよ、小美なら渡しただろう!?」

男は武者小路の顔を見ようともせず、扉を開けるや否や否や大声を上げた。

「何の話だ? 誰と勘違いしている?」

「は? じゃあお前、江の使いじゃないのか?」

男は酒臭く、呂律もろくに回っていないようだった。彼は焦点の定まらない目付きで、胡乱げに武者小路を見上げている。

武者小路は男の肩ごしに荒れた部屋の中を伺ってたが、そこに期待した小美の姿はなかった。

「小美はどこにいる」

有無を言わさぬ調子で詰め寄ると男は僅かに怯んだようだったが、スーツ姿の武者小路を前にして虚勢を張ることを選んだらしい。

「なんだよ。手前に関係あんのかよ」

武者小路としては、嘆息するしかなかった。彼としては別段武力行使に対する抵抗もなかったが、それでも何も知らない人間にいきなり銃器を持ち出すというのも物騒な話だった。

暫し悩んだ挙句、懐から札巻を取り出して男に投げ付ける。

「情報量だ。大人しく知っていることを話せ。それでも拒むと言うのなら、こっちにも考えがある」

武者小路は一方的に言い渡すと、これ見よがしに懐に右手を忍ばせた。それを見て男はぎょっとしたように目を剥く。

「わかった。わかったっての。誰も話さねえとは言ってねえだろ」

「なら、とっとと話せ」

懐から出てきた武者小路の右手には鈍色のライターが握られていた。

男は拍子抜けしたように真顔に戻ったが、相変わらず油断なく此方を見据える彼の目付きには並々ならぬものを感じ取り、渋々だが話をし始めた。

「小美は、江に売ったんだ」

「売った?」

武者小路が睨み付けると、男は決まり悪そうに視線を逸らした。

「ああ。だがな、誓って言うが、最初からそのつもりだったんじゃねえ。ただ、たまたま不運が重なって首が回らなくなってな」

「江に借金した、と」

武者小路が冷めた瞳で男を射抜く。彼は暫し言葉に詰まっていたようだが、やがて吐き捨てるように言った。

「仕方なく、だ。借金を返せば、小美は戻って来る」

「まさかお前、本当に野郎の言い分を信じているわけじゃあるまいな」

冷たく突放すと、男は情けなく項垂れた。その瞳には悔し涙が浮かんでいる。

「うるせえ。手前に何がわかるってんだ」

男の言い分も尤もな話ではあった。突如として自宅に押しかけてきた訳の分らん中年男性に言いがかりを付けられては、さぞ迷惑な話だろう。

実際、同情の余地はなくもなかった。ただ、その弱さ故にオオサカという町の悪意に飲まれたのだろう。

「引き受けてやってもいい」

「は? アンタ、何を言ってるんだ?」

「だから、引き受けてやってもいいと言ってるんだ。小美の奪還を」

男の涙に興味はないとばかりに目を背けていた武者小路だが、彼の言葉に男が息をのんだ様子は伝わってきた。

「そんな、相手は世界を股にかける大企業の社長様だぞ? お前や俺みたいなボンクラに、一体何が出来る?」

男は自分に言い聞かせるようにして、ゆっくりと噛み締めるように告げた。背の低い長屋ビルが立ち並ぶ地平線の向こうでは、沈みかけた太陽が辺りを血の様に赤く染め上げている。

同じくして、この安アパートの狭い廊下では向かい合う二人の男が、赤いスポットライトに切り取られたかのように映し出されていた。

「出来る出来ないじゃない。やってやるって言ってるんだ。但し、金は前払いだがな」

「だから、金なんてねえって言ってるだろ! 人をからかうのもいい加減にしろよ」

男の額に青筋が浮き出す。武者小路は冷静に男を値踏みをしていた。それは一種の賭けでもあった。

「金ならあるだろう。そこに」

武者小路が指さした先は、男のズボンのポケットだった。その中には、先程、彼が情報量と称して投げ渡した札巻が入っている。

男は咄嗟に金を庇うかのようにして、ポケットの上から札巻を抑えた。そこには彼が半年以上、悩まずに暮らせるだけの額が入っていた。久々に労せず手に入れた大金だ。

これだけあれば、己の罪悪感を十分に紛らわせるだけの酒とクスリを揃えられるに違いなかった。

「選べ」

武者小路の問いかけは、男が数週間前に江に突き付けられたものと酷似していた。即ち、金か、女か。

「違うな、違うんだよアンタ。例えアンタが小美を取り戻したところで、あいつは俺の元には返って来やしない、絶対にな」

男は暫く顔を伏せていたが、やがて諦めたように頭を振った。武者小路は僅かな落胆と共に踵を返し、その場から立ち去ろうとする。

「だから、これは違う。これは小美を取り戻してくれっていう依頼じゃない」

去りゆく武者小路の肩を男が掴む。振り返ると、そこには強い意思を宿した男の瞳があった。

「ああ畜生! 何時まで経っても忘れられねえんだ。目の前で江に引っ張らていく、アイツの顔が……。頼む後生だ! 俺にあいつの笑顔を、最後に、もう一度だけ……」

男は最後まで言い切ることすら出来ず、その場に力なく崩れ落ちた。武者小路は彼の背中を優しく叩く。

「過ちを犯したとはいえ、一度は小美が見込んだ男なだけはあるな。依頼は承った」

「頼む、頼む」

男は武者小路の背中が消えてからも、暫く拝むような姿勢のまま、必死に何かに願い続けた。それは己の救済か、それとも。

男の嘆願を背に階段を降りた辺りで、タイミング良く雲雀から着信があった。

「どうだ。そっちの具合は」

「上々よ。どうやら、そっちも上手くいったみたいね」

武者小路は、はっとして無理やり咳払いをしなければならなかった。どうやら男の答えは、己の声色に分りやすい喜色を交える程であったらしい。

「参ったな。自分で仕掛けた賭けにすら一喜一憂しているようでは、この先が思いやられる」

「おまけに、それを悟られているようでは、ね」

電話の向こうで、雲雀が軽やかに笑う声が聞こえた。

「どうした、そっちこそ珍しく機嫌がいいじゃないか」

「当たり前よ。私がどれだけの間、性に合わない男言葉を使い続けたと思ってるの? もう、肩が凝ってしょうがないわ」

「言っていることは中年男性だがな」

ひとしきり肩の力を抜いて笑い合うと、今日あった様々なことが洗い流されていくような気がした。

そして次の瞬間には、雲雀の声も元の真剣なものに戻っていた。

「江ね」

「江だな」

雲雀の言葉に、短く賛同の意を伝える。異なるルートで手に入れた情報が被るということは、限りなく其の信憑性が高いということを意味していた。

二人は知らずして、同時に強く頷く。

「詳しい話は明日しましょう。私、今日はちょっと疲れたわ」

「そうか、そりゃご苦労だったな。こっちは大して何もしてないってのに」

気が付けば日はとっぷりと暮れている。今頃、サツキが自分の帰りを待ち侘びている頃だろう。

「そうだ、そう言えば光男は?」

「ああ、あいつか。さっき連絡があった。なんでも必殺を手に入れたらしい」

「必殺? 光男らしい表現ね」

「まあとにかく無事ってことだ。心配して損したな」

「本当ね」

足早に帰路に着く。雲雀は電話口の向こうで大きく欠伸をした。

「だいぶお疲れのようだな、ゆっくり休めよ」

「ええ、そうさせてもらうわ。じゃあ明日、ジェイルハウスで」

「了解した。おやすみ」

電話を切り、天高く夜空を仰ぐ。自分たちがこうしている今も、小美は何処かで辛い目にあっているのかもしれない。

それに彼女は娘の大切な友人でもあった。江だか何だか知らないが、たとえ彼が盟約の長であっても叩き潰すのに理由はいらない。

武者小路は闘志も新たに、夏夜に華やぐ中華街を後にした。


翌朝。夜通し飲み明かした駄目亜狭共で朝から込み合っているジェイルハウスの一室で、三人は再び顔を突き合わせていた。

「これが江貿易のホームページだ。で、この男が社長の江。俺たちの標的だ」

武者小路の前には青白い光を発する薄型のノートパソコンが置かれていた。画面には太って脂ぎった中年男性の顔が映し出されている。

「ははあ、こいつは中々男前やな」

光男は画像を見てにやりと笑った。並んで江の顔を検分していた雲雀が顔を顰める。

「噂に違わぬ好色漢って訳ね。きっとさぞかし変態なんでしょ」

「なんだ雲雀、生理的嫌悪感ってやつか?」

武者小路が茶化そうとすると、彼はしかめっ面のまま首を横に振った。これはおそらく、肯定の意だろう。

「まあ、実際雲雀が言う通りの人物なんだろう。じゃなきゃ、リドでの悪評は何だったんだってことになるからな」

武者小路の言葉に二人が頷く。二人の真剣な眼差しを順番に見据えた後、武者小路は言葉を続けた。

「次はこいつを見てくれ。江貿易の事業内容と会社沿革、それに一応は上場企業らしいからな。幸運なことにPLや損益計算書、決算書まで何でも見放題だ」

「PLってなんや?」

光男が不思議そうに問いかける。武者小路はちらっと光男の方を見やると、すぐに画面に視線を戻した。

¥「ああ、すまん。PLってのは貸借対照表のことだ。話を続けるぞ。いいか、こいつを見る限り、江貿易が取り扱っている主な商材は食品や農産物ってことになってる」

「信用がないってこと?」

「雲雀、それは当たらずとも遠からずだ。勿論、エネルギー資源や工業製品には先に述べた商材に比べて高価であるが故に、リスクが付き纏う」

雲雀は何度か頷きながら、懐から煙草を取り出した。光男は何か言いたげな目付きで雲雀を流し見たが、結局何も言わなかった。

「江貿易は大企業とはキナ臭い会社であることには違いない。保険会社もビジネスにならない保険は売りたくないんだろう。それに江には、そんな資本金があったとも思えない」

「なんでや?」

「そう急くんじゃない。順を追って説明していかないと、わかるものも分らないだろう」

武者小路に窘められ、光男はひょうきんな表情を浮かべて首を竦めた。雲雀がそれを見て笑い声を堪えている。

武者小路は長話に飽きてきたものと思われる仲間たちを前に、小さく嘆息した。

「わかったわかった。結論から言おう。江は元狭だ」

元狭。光男はわかりやすく表情を失い、雲雀は片方の眉を僅かに跳ね上げた。

「一番の理由はこいつだ」

武者小路は二人に見えるようにパソコンの向きを変えた。二人は画面いっぱいに並んでいる数字を前に、固まっている。

「簡単に言って、利率が良すぎるんだよ。元来、食品や農産物は初期投資が掛からない代わりに利鞘が少ない。それしては純利益が多い。いや、多すぎる」

「つまり、農産物と食品はフェイクってこと?」

雲雀の問いかけに武者小路は深く頷いた。光男は難しい顔を何とか形作ったまま、だんまりを決め込むことにしたらしい。

「でだ。俺なりに荒く計算してみたんだが、江貿易の所有する船舶数及び其のキャパシティ、稼働率を織り込んで粗利を割り戻してみると」

雲雀は複雑な表情¥を浮かべたまま、何とか浅く頷いた。隣に座っている黒人の大男は、既に思考を放棄しているように見える。

「これだけの利益を生み出せる商材は、江貿易の公開しているデータを基にて計算した結果、存在しない」

「存在しないって……じゃあ奴は一体何を扱っているって言うのよ」

武者小路はノートパソコンを閉じて、にやりと笑った。

「正確には、表の世界には存在しないと言うことだ。光男?」

「お、おう。なんや」

突然話を振られた光男は、慌てて姿勢を正した。その姿は居眠り中に教師に名指しされた不良生徒さながらだった。雲雀はまたも笑いを堪えるように咳払いをする。

「裏社会の三大ビジネスを答えてみろ」

「え、ええとやな……酒、とか?」

光男の声は如何にも自信なさげだったが、彼の答えは何とか武者小路を満足させることが出来たようだ。その表情を見て、光男は内心で安堵の溜息を吐いた。

「安心してる場合じゃないぞ。後二つ残っている」

「そうやな。酒と言ったら次は、クスリやろ」

「正解だ。あと一つ」

光男は黙り込んで唸っていたが、とうとう降参とばかりに両手を上げた。

「雲雀、正解は?」

「人身売買、ね」

「ああ! 今俺も思いついたのに、何で先に言うてまうんや!」

掴み掛ろうとする光男の腕を軽く躱して、雲雀は紫煙を吐き出した。

「なるほどね。それが江貿易の取り扱っている真の商材って訳?」

「おそらくな。俺の計算ともぴたりと符合する。それにな」

武者小路の視線が光男に向いたため、彼は再び身を固くした。

「酒、クスリ、人身売買。確かに旨味のあるビジネスだが、誰でも彼でも簡単に出来る訳じゃない。美味しい既得権益にあやかりたいなら、高い参入障壁を乗り越える必要がある」

光男は目を白黒させていたが、一方の雲雀にしても表情に出していないだけで、武者小路の言っていることが全て理解できているわけではななかった。

「この場合の参入障壁とは、ある程度の金、それに裏社会とのコネと人脈だ。そしてそれら全てを得ることが出来るのは……」

「亜狭ってことね」

漸く、得心が言ったとばかりに頷く雲雀。光男も同じくして強く頷いていたが、本人も結論以外の因果関係に関しては良く分っていなかった。

「これを見ればお前らでもヴィジュアルでわかるさ。何となくな」

武者小路は閉じていたノートパソコンを再び開くと、二人に見えるように向きを変えた。画面には複数の男の顔写真が並んでいる。

「そいつらは全員、江貿易の役員たちだ。いわば、江の腹心と言ってもいい」

雲雀と光男は食い入るように画面に見入っていた。

なるほど、言われて見てみるまでは武者小路の言っていることの意味を測り兼ねたが、いざ画像を前にすれば彼の言わんとすることは一目瞭然だった。

「隠す気ないんちゃうか、こいつら?」

光男の呆れた台詞も尤もだった。役員たちの顔付は、揃いも揃って凶悪もいいところだった。

目は口にほどにものを言うとは至言だが、彼らの瞳は完全に据わっており、画面越しに此方を睨み付けている\\かのような目付きは、どう見てもカタギのそれとは程遠かった。

「ほら見てよ。この副社長って人なんか、額に刀傷があるわよ」

「ん、それは俺も気が付かなかったな。そこまで露骨なのか」

二人は画面に夢中になっていて、光男の様子が変わったことに気が付かなかった。

「黄」

光男の口から掠れたような声が漏れ、二人は漸く仲間の異変を察した。振り返ると、そこには複雑な表情を浮かべて腕組みをする光男の姿があった。

「黄。そいつの名前は黄や。昔、一緒に働いたことがある」

「なんだと」

武者小路は勢い込んで詰め寄ろうとしたが、理性がそれを躊躇わせた。雲雀も何かを堪えるようにして、唇を引き結んでいる。

「いや、ええんや。二人がそないにして、気にする程のことでもない。ただ、奴とは少し……ちょっとした因縁がな」

ちょっとした因縁が、そう浅いものではないことは光男の表情から容易に想像がついた。

「大丈夫? もし」

「せやから、気にすんな。所詮は過去の事や」

話しは終わりだと、そう光男がきっぱりと告げたので、雲雀は渋々引き下がらざるを得なかった。武者小路は二人の顔を交互に眺め見た後、再び口を開いた。

「ふむ。それで江貿易だが『オオサカ華人中心』にある10階建の自社ビルが、本社になっている」

三度、新しい画像がパソコンに表示される。無骨な鉄筋コンクリート製の本社ビルは、窓も小さく、入り口には屈強なガードマンが二人立ち塞がっていた。

「ふん。物々しい奴やな。自分らがやってることを隠すつもりもないんか」

「まるで要塞ね」

二人の感想を聞いて、武者小路が頷いた。

「まさにその通りだな。この警備だ、おそらく小美と江は其処にいるに違いない」

「黄もな」

光男が重苦しい声音で付け足した。

「小美を取り返すには、ここを突破しないと行けないのね」

「ああ。当然、それだけじゃないだろう。厳重なセキュリティが何重にも張り巡らされていると見て、間違いない」

三人の間に初めて重た\\い空気が流れた。分かってはいたが、所詮自分たちは何物でもない中途半端な成り損ないに過ぎない。

裏社会に通ずる大企業の社長を相手取れるなど、思い上がりも甚だしいのではないか。

「さあ、それで? どうやって奴をブッ飛ばす?」

そんな弱気を吹き飛ばすかにして、武者小路は柄にもなく凶悪な笑みを浮かべていた。懐には小美と恋人が写る絵葉書がある。男同士の約束は決して違えられない。

「黄の野郎、きっちり落とし前をつけさせてもらうで」

ゆっくり、一言一言噛み締めるようにして告げた光男の顔には静かな闘志が満ちていた。彼にもまた、乗り越えなければならない壁があった。

「あら張り切っちゃって。まあ、私も頑張らないとね。太陽の塔に誓って」

「太陽の塔?」

「こっちの話よ」

二人は首を傾げたが、雲雀は快活に笑って見せただけだった。

「二人とも、やる気は十分だな。後は突破口さえ見いだせれば良いんだが」

三人は各々思案顔で黙り込んでいる。闖入者は突然に現れた。

「邪魔するぜえ。お、あんたか。東ってのは」

突如として個室の扉をあけ放ったのは、如何にも風体の悪いチンピラだった。左右を刈り上げた極彩色のモヒカンが目にまぶしい

「何者や手前ら。怪我せんうちに失せろや」

「生憎と、そうはいかねえなあ」

光男のドスの聞いた声を出したが、チンピラは軽薄浮揚な態度を崩そうともしなかった。

「こっちも貰うもん貰ってやってんだよ。悪いけど、外出ろや」

チンピラの方も負けじと\\啖呵を切ったが、光男に比べてしまうと聊か迫力不足でもあった。

光男は招かれざる客に応え、音もなく席を立つ。男はは光男の上背の高さに幾らか気圧されたたが、精一杯虚勢を張った。

「こっちだ」

「おい光男、大丈夫か?」

「当たり前や。なんなら付いてくるか?」

「は? お前舐めてんのか? 一人で来ないとかそれでも男かよ?」

チンピラは光男と雲雀が席を立ったのを見て焦ったように光男を挑発したが、彼はただ押し黙っまま、眉ひとつ動かさなかった。

「安心しろ。我々は丸腰だ、手出ししたくても出来ないさ。そうだろう、雲雀?」

「ええ、そうね。なんなら確認する?」

男は暫し逡巡していたが、やがて舌打ちをして二人とも外に出るように促した。

「ほう」

外に出て初めて、光男が人間らしいリアクションを見せる。ジェイルハウスを出た先には、総勢5人の男が三人を待ち受けていた。

風格はないが、どの男も比較的逞しく、日焼けしている。風体は全員似たり寄ったりだった。如何にもな格好をしたチンピラ共が、オオサカには溢れかえっている。

「おっとお二人さん、手出しは無しだって言ったよな?」

一応六人の中ではリーダー格らしいモヒカンが下卑た笑みを浮かべた。二人は神妙な面持ちで頷くしかなった。

「大丈夫よね、光男?」

「当たり前や。俺を誰だと思ってやがる」

光男は吐き捨てるようにそう告げると、堂々と敵前に踏み出していった。光男の方が、相手より一回りも二回りも大きく見える。

「なあ、始める前に一個だけ聞いておいてやる。手前ら、誰の指示で来た?」

光男の声は重く、真綿の様に相対する男達の首を絞めつけた。モヒカンは一対六と言う圧倒的な人数差を頼みに、未だ何とか余裕を保っている。

「教えられるかよ、と言いたいとこだけどな。アンタ一昨日の晩、アムールでやらかしてるだろ? 何でも、その落とし前だそうだ」

「思った通りやな」

光男は浅く溜息を吐くと、緩くファイティングポーズを取った。気負っている節はないが、その構えからは一部の隙も窺い知れない。

「やっちまえ!」

モヒカンの号令と共に、一斉に男達が飛びかかるかと思いきや、あろうことか彼らは懐から拳銃を抜き出した。

「撃て撃て、やっちまえ!」

銃弾が雨あられと降り注ぐ。男達は拳銃を扱いなれていないらしく、狙いは悉く外れていたが、それでも脅威には違いなかった。

「雲雀、こっちだ!」

二人は咄嗟に物陰へと身を潜めた。ともすれば流れ弾が頬を掠めたが、銃撃の真っ只中に晒されている光男を放っておく訳にはいかない。

「光男! 今行くから待ってろ!」

「来るな!」

武者小路の逼迫した呼び声に大して、光男が吼えた。その声には焦りも恐怖も含まれてはおらず、ただ怒りと冷徹な闘志のみが見え隠れしていた。

危ないと分っていても、光男の様子を確認せずにはいられない。物陰からこっそり戦闘の様子を伺い見ると、そこでは有り得ない光景が繰り広げられていた。

「当たるわけあるか!」

光男は、殆ど全ての銃弾を紙一重で避けきっていた。勿論、男達の射撃の腕前はド素人も良い所だが、それを差し引いても光男の身の熟しは異常だった。

しかも、それだけではない。既に一人の男が地面に倒れ伏している。そして更にもう一人。光男の神速の蹴りによって、男の身体が宙を舞った。

「こんなのありえねえ! 殺せ殺せ殺せ!」

モヒカンは狂ったように叫びながら後方で拳銃を乱射している。彼は混乱の極みにあった。彼我の戦力差は圧倒的なはずであった。

何せこちらは六人、おまけに向こうは丸腰で此方は全員拳銃で武装しているのだ。簡単な仕事のはずだった。

だが、しかしどうだ。銃弾が当たらない。それはまだ良い。最初から期待などしていなかった。それでも、六人の一斉射撃を避けきれるはずもない。

例え、当たらずとも相手がジリ貧になるのは時間の問題だった。それをあろうことか、この男は。

「うらあ!」

避けながら間合いを詰め、我々を追い込んで吹き飛ばしている。拳銃相手に己の肉体のみで。モヒカンには何故そうなるのか、全く理解が出来なかった。

また、一人。そして、次の標的は自分だった。震える手で引金を引くが、この至近距離でもってしても当たらない。

まるで曲芸染みた予測のつかぬ動きで、距離を詰めてくる。大男は巨体に似つかわしくなく、俊敏だった。

間合いに入る。だが、モヒカンにはまだどこか希望的観測が残っていた。確かに自分は銃のド素人だ。だが、単なるストリートファイトには自信がある!

光男の一見して無軌道に思える蹴りを躱したと思った時、男の身体は既に宙を舞っていた。何故?揺さ振られる脳味噌の中では単純な疑問だけが渦を巻いていた。

「光男のやつ、凄まじいな」

「まるで獣ね。心配して損したわ」

二人はと言えば、最早、あまり心配している様子もなかった。どちらかという気分は、スポーツ観戦のそれに等しい。

「にしても、なんだあの蹴りは。軌道が全く読めん」

「面白い位に当たっているわね。しかも的確に急所を付いてる」

その姿はさしずめ、アナウンサーと実況解説担当と言ったところだった。武者小路に関しては本職なのだから、始末が悪い。

やがて全員が片付いたところで、二人は物陰から出て光男のものとへと向かった。光男は荒い息を吐いたまま、その場に立ち尽くしている。

「それが殺十兄弟仕込の新技か?」

「本当、必殺なんて言うだけあるわね」

光男は黙って呼吸を整えていたようだが、すぐに二人に気が付いたらしく振り返った。

「そうやな。それもあるが、昔の勘が帰ってきたってのもある。正直、嬉しく思っていいのかはわからんのやけどな」

光男は複雑そうな表情を浮かべていた。

「なんだかんだ、全員生きてるみたいだしね」

雲雀は辺りを見回して、満足そうな笑みを浮かべた。光男は満更でもなさそうだったが、照れ隠しのつもりなのかわざとらしく顔を顰めてみせた。

「コントロールしたからな。こんくらいの雑魚やったら加減も出来る」

「なあ、光男。あの蹴り、どうやってやるんだ?」

武者小路は興味津々と言った様子だ。光男は珍しく苦笑した。

「あのなあ隆一。あれも一応は武の神髄、奥義の一つなんやぞ。そう簡単に出来るわけないやろ」

「そこを何とか! 仕組みだけでも!」

気が付けばいつもと立場が逆になっている。傍で見ていた雲雀だけが其れに気が付き、忍び笑いを漏らした。

「あれはな。影の位置を調節して立体感を消し、平面から蹴りを放ってるんや。相手からしたら、何もない空間から突然蹴られた、みたいになる訳やな」

「そんな馬鹿な、科学的にあり得る訳が……いや、しかし実際に光男の蹴りは視認できなかった」

武者小路は腕を組んで何やら考え込んでいる。その様子を眺めている光男の表情は何処か得意げだ。

「お二人さん、盛り上がってるところ悪いけどね」

雲雀の言葉に、現実の世界に引き戻される二人。彼は自分の背後を親指で指示していた。

「彼、起きてるわよ」

慌てて、伸びきっているモヒカンの元に駈け寄る二人。先程までは完全にノックアウトしていたが、今になって意識が回復してきたようだった。

「おい、おいお前! さっさと起きんかい!」

光男の怒声に、モヒカンは思わず跳ね起きた。瞳には紛うことなき恐怖の色が浮かんでいる。

「し、知らねえ。俺は何も知らねえんだ。誓って本当だ、ただ金をもらって、アンタをやれって……」

光男の拳が、モヒカンの真横を穿つ。当たれば、ただでは済まないだろう。

「やめて、やめてくれよ。本当に知らないんだ。俺たち本当はしがない土方で、たまたま金に目が眩んだだけなんだよ」

「用無しかもね、こいつ」

「そうやな」

光男がそう言って凄むと、男は哀れに懇願した。

「勘弁してくれ、これ以上やられたら、もう鳶の仕事なんて出来なくなっちまう! 頼む、子供も女房もいるんだ、後生だから」

「ついさっき、卑怯な手で他人を殺そうとした人間の台詞とは思えんな」

武者小路が溜息を吐くと、漸く光男は男から離れた。

「興醒めや」

「ありがてえ、ありがてえ」

哀れモヒカンは大の字になりながら情けなく涙を流しているようだった。

「いや、待てよ」

三人は立ち去ろうとしてが、武者小路が何かに気が付いたように男の元へと戻る。モヒカンの心の底から安堵しきった瞳には、再び絶望の色が広がった。

「安心しろ、取って食おうって訳じゃない」

「なんなんだ、まだ何かあるってのか」

男は子供の様に喚いたが、武者小路が無言で見下ろしていると直ぐに唾を飲んで黙り込んだ。

「お前、もしかして江貿易について何か知らないか?」

「隆一、この小悪党がそないなこと知ってる訳ないやろ」

「そうよ、そんな都合の良いことなんて」

「し、知ってる! 江貿易だろ!? 俺たちは其処で雇われて働いてんだ!」

光男の瞳が光る。男は慌てたように釈明した。

「違う、勘違いするんじゃねえ。働いてるってのは、大工として働いてるって意味だ。至極全うに、だぜ?」

「ほう」

武者小路は顔を上げて、驚いた表情を浮かべている雲雀と光男を見た。二人は直ぐに強く頷く。

「あのな、よく聞けよチンピラ。これは大事なことだ。適当なこと言ってみろ、お前のいるかいないんだかも分らん一家諸共オオサカ湾に沈めてやる。いいな?」

チンピラは黙って狂ったように何度も頷いた。隣で光男が拳を鳴らしているのが、よほど怖かったらしい。

「俺たちは分け合って、江貿易のビルに忍び込まなきゃいけない。あるものを取りにな。そこで、安全な侵入経路が必要なんだが……」

「そんな、そんなものあるわけないだろ! 江社長はトンだ臆病者なんだ、おかげで俺たちがどれだけ苦労したか!」

男は悲鳴を上げるように金切り声を上げたが、光男が無表情に此方を見下ろしていること気が付くと、重苦しく押し黙った。

必死に何かを考えている様子のモヒカンを前に、三人は辛抱強く待ち続ける。

「あ……」

やがて男は何かに気が付いたように声を上げた。

「どうした。何か思いついたか」

「一つだけ、一つだけ江に気付かれずに社長室に行けるかもしれないルートがある」

「なんやて!」

そんなものがあるとするなら、それは願ってもいない話だった。三人は真剣に男の言葉に耳を傾ける。

「もうすぐ解体されるが、今はまだオンボロの雑居ビルが江貿易の隣に立っているはずだ。そこからなら、或は、屋上から忍び込めるかもしれない。社長室は最上階だ」

三人は期待に昂った表情でお互いの顔を見合った。足元の男はそれを見て笑う。

「でも、無理だ。なんてったて、雑居ビルから本社ビルの屋上まで5~6メートルは下らない。生身の人間が下りればただじゃ済まない」

「せやろか?」

光男が犬歯を剥きだして笑う。その表情を見てモヒカンは泣き笑いのようななんとも複雑な表情を浮かべた。

「確かに、アンタなら行けるかもしれないな。俺を破った、アンタなら……」

「それ、強い奴が言う台詞でしょ」

雲雀の冷静な突込みは、再び気絶したらしいモヒカンの耳に届くことはなかった。


「ロープか何かが要るんじゃないか?」

一先ずロイに経過報告をと言うことで三人の意見は一致した。道すがら腕組をした隆一が続ける。

「幾ら隣接したビルから飛び移るって言っても何の補助も無しってのは自殺行為みたいなもんだろう」

隆一の言に光男がたくましい顎を撫でながら答える。

「せやなあ。さしもの俺もそないな曲芸じみた荒事の経験なんてないし……」

「あら、てっきり殺十兄弟のところで手ほどきを受けてきたものかと」

ここぞとばかりに混ぜっ返す雲雀の瞳は茶目っ気に光っていた。横から覗き込まれた光男は渋い顔だ。

「あんなあ雲雀。人をいったい全体なんやと」

「ジャ、江貿易から手を引け!」

ミナミの雑然とした路地裏に響く突如の叫び声。ゆっくりと振り返った三人の視線の先にはスーツ姿に似合わぬ黒光りする拳銃を構えた一人のサラリーマンの姿があった。撃鉄に掛けられた指先は遠めでも分かるほど小刻みに震えている。

「なああんた、少し落ち着け」

隆一が相手を刺激しないよう極めて穏やかな口調で男に問いかける。

「黙れ!下手に動くと撃つぞ!脅しじゃない! ほ、本当に撃つんだからな!」

定まり切らない銃口が辛うじて隆一の方を向く。隆一は緩やかに両手を挙げて抵抗の意思がないことを示した。

「おい、隆一。あんなひょろもやし野郎、俺が一発で」

光男が小声で囁くも隆一は小さく首を横に振るのみだった。

「無理だな。パッと見あれは完全にカタギだ」

隆一は歯噛みする。確かに奴をぶちのめすのは造作もないことだろうが、必ずどこかに人目がある。不思議なことにこの無法の町オオサカにも最低限の良心は残っているようで、あの手のカタギに手を挙げるもには余り有り難くない司法の報いが待ち受けているのだ。

「なああんたら!黙りこくってないで何とか言えよ!」

男は焦れたように三度甲高い声で叫んだ。銃口を向けているのはあちらだが半ばパニックを起こしているようで、このままだど本人にその気がなくとも銃口が火を噴くのは時間の問題かもしれなかった。

「あなた……」

緊迫した空気を破ったのは、まるで独り言のような雲雀の呟きだった。何事かと二人の視線が集中したが、まるで呆けた様子の雲雀が意に介した様子はなかった。それどころか雲雀は男の方に無造作に歩を踏み出した。雲雀の予期せぬ行動に男が目を剥いて叫ぶ。

「馬鹿お前、それ以上こっちに来たら撃つぞ、止まれ!止まれよ!!」

男の静止の甲斐なく雲雀の歩みは止まらない。それどころか一歩、また一歩と男に近づいていく旅に雲雀の歩調は段々と早くなっていき、最後は駈け寄らんばかりの勢いになっていた。残された隆一と光男は完全に呆気に取られている。

「更生!更生じゃない!」

「お、お前は……ウイスカヤ?」

二人の距離が近づくにつれ男の顔に浮かぶ表情は焦りから驚きへと変わっていくようだった。男の狼狽振りは遠目で見ていた二人にも伝わるほどだった。ついに彼我の距離は1メートル、男の腕はとうに力を失って、だらりと地面を剥いていた。

「そうよ更生!会いたかった!」

そんな男、もとい更生を雲雀は近寄って力強く抱きしめた。当然、取り残された二人の嫌な予感は今回も的中したわけだ。どこか既視感のある光景に二人は仲よく揃って渋面も浮かべるしかなった。

「本当にウイスカヤなのか」

分かりやすくうろたえた様子の男の腕が恐る恐る雲雀の背に回り、彼を優しく抱きしめ返した。

「そうよ更生。もう本当に今までどこに……」

「いやウイスカヤ。その話はよそう。それよりも君はいったいどうして江貿易なんかと」

暫くして二人は身体を離した。隆一と光男は顔を見合わせ、そろそろ大丈夫かと値踏みしている。

「ああ、隆一、光男。こちら紹介するわね。更生よ」

我に返った雲雀が二人を手招きする。毒気を抜かれた二人は唯々諾々と従うしかなった。

「はあ、どうも……にしてもウイスカヤ。一体どうしたんだ、こんな厄介ごとに首を突っ込んだりして」

気を取り直してように男が尋ねた。先ほどまでの動揺した様子とは打って変わって落ち着いた表情を浮かべている。

「色々あったのよ」

ウイスカヤは黒々としたまつ毛を伏せた。容量を得ない答えに男はけげんな表情を浮かべる。自然その矛先は残る二人に向いたようだった。

「そうだなあ、まあ色々。虎とか兎とかな」

更生と呼ばれた男は初めてまじまじと隆一を見た。まあ普通のサラリーマンに見えなくもない中肉中背の男性。ニッカ帽にサスペンダー、少し草臥れたスーツと革靴を履いている様子は自分と同じカタギに見えなくもない。が、と男は仔細に観察を続ける。こいつの召し物は年季が入っていても相当な値打ちものだということは良く見ればわかった。加えてカタギにしては目つきが鋭すぎる。男はジロジロと隆一を嘗め回すように見ていたが、その鷹のような眼光とかち合い、思わず目をそらせた。

「なあ、ひょっとして、いやひょっとしなくてもなんだが、あんたも雲雀の元カレってやつなんか」

恐る恐ると言った表情で問いかけてきた








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