正面突破
定期舞踏会での情報は、生徒からその家の者へ必然と流れるようになっている。それは、今の貴族社会において、どこの誰が実権を握っているのか、誰に恩を売るのが最良か、どこの誰が落ちぶれたのか、誰を蹴落とすのが最善か、貴族と一部力のある庶民達が目を光らせ自分達が権力を誇示し続けられるポジションを常に探っているためだ。
学びの場として設けられたはずの定期舞踏会は、その参加人数の多さから、いつしか大人子供関係なしの狩りの場と化していた。
その場所で、アランが、はたまたダーシー家が、アシェリー・ミルボンドを婚約者として周囲の者達に紹介する必要があったのはなぜか――。
「それを解明するには、まだ情報が少なすぎる」
もうお昼休みも終わりを迎えるであろうというタイミングで、青年はそう告げた。
「いいえ、ここまで分かっただけでも十分です。
どちらにせよ、これ以上の事を知ったとして、私にはどうすることも出来ませんから」
「諦めてしまうのか?」
「はい、それが私のこの場所においての役目ですので」
「そうか……」
その一言で終わりかけた会話は、次に放たれた青年の言葉で急展開を見せることになる。
「何が何でも友人のこととして話を押し通すのは、その役目の内には入らない、というわけか」
「なっ…………!」
気付かれているだろうとは思っていたが、まさかそれを面と向かって指摘されるとは思っていなかった。絶対にその意見を譲らないという淑女らしからぬ在り方が、露になってしまったことに動揺を隠せない。
「君は、最後の最後までその意見を押し通そうとしただろう? あれは、君が言うところの役目とは、些かかけ離れた態度のように見えた」
「そ、そんなことはありません……」
「では、弁明を求む」
「くっ…………」
この時、初めての感情が私を襲う。
自分を取り繕うことにばかり気を遣っていた私なんかよりも、自然体でそこにいる彼の方が何枚も上手であったという事実。そのことが、どうしようもなく悔しかった。
だから。だから、もう、建前とか理由とか立場とか、そんなものは全部忘れて、私は彼の挑発に見事綺麗に乗ってみせよう、と大胆な決意をするのである。
「分かりました。グレイシス様、あなたの仰るとおりです。無理やりにでも自分の意見を押し通そうとする態度は、淑女として然るべき振る舞いではありません。そこは認めます。この場所での私の役目は、波風を立てることなく誰かの隣に付き従い生きることでした。
けれど……そうですね。よくよく考えてみれば、付き従う誰かが不在の今、そこまで細かいことをあれやこれやと気にする必要は、今更ないのかもしれません」
「つまり?」
「私はまだ、諦めるつもりはありません」
そう断言したのと同時に、今まで必死になって守ってきたメルヴィン・ローズという模範的な人物像が、音を立てて崩れていくような、そんな気がした。
「それはよかった」
そう告げる青年の声は穏やかではあったが、表情にはどこか満足そうな笑みを浮かべている。
不思議な人だ。赤の他人である私の奮闘を喜び、あろうことか助力まで進んでしてくれる。考えてみれば、こんなにも柔軟で掴みどころのない人物に出会ったのは、生まれて初めてのことだろう。
だからこそ余計に、私は彼から目が離せないのだ。
それが無意味であると分かっていながら――――。
「まずは情報収集からですね。とは言っても、私には人脈が豊富にあるわけでもないので、方法は1つに絞られます。あまりお上品な手段とは言えませんが、これが一番手っ取り早いかと」
「その手段というのは?」
「俗に言う正面突破、というやつです」
私が真顔で言い放つと、青年はたちまち青白い顔をする。
「正気か……?」
「もちろんです」
「君は臆病そうに見えて、その実なかなかに肝が据わっているのだな」
目を見開いて感心するように呟く青年。
私は、「そう仕向けたのはあなたですよ」と心の中で静かに呟いた。
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「では、僕の方でも色々と探ってみよう」
「ありがとうございます」
探る、と言っても、ただ漠然と動いたのでは意味がない。彼は一体どんな手を使って探るというのだろうか。あまりにも知らなさすぎる彼の手の内を、想像することが私には出来なかった。
「くれぐれも無茶はしないように。相手も、元婚約者に直接手を下そうなどとは思わないだろうが、貴族という者は追い詰められた時、何をしでかすか分からない人種だ」
まるで、近くでよく見てきたような口ぶりで青年は言う。
「肝に銘じておきます」
「君は今日にでも行動を起こすつもりなのか?」
「そうしたいところですが、私にも色々と準備がありますので、今のところ予定は明日の早朝……ですね」
「なら明日の放課後、またこの場所で落ち合おう」
「分かりました」
昼休憩も後5分で終わりを迎えるという頃、私達の会話はそこで打ち止めとなった。
青年は長椅子から立ち上がると、赤い絨毯の上を歩き、礼拝堂から去っていく。
私はそんな彼の後ろ姿に、最後に声をかけた。
「あの! サンドウィッチ、ありがとうございました」
返事は期待していなかったが、どうしてもそれだけは自分の口で伝えておきたかったのだ。
青年は一瞬だけ振り返り、
「ああ。僕も楽しい時間をありがとう」
とだけ告げると、コツコツと音を立てて礼拝堂から出ていってしまった。
青年がいなくなった空間を、ぼうっとした頭で眺める。
楽しかった……。そうか、私も楽しかった、のか。
最初に出会ったあの時から、今の今まで、私は彼との数少ないやり取りを楽しんでいたのだ。
次会えるのは明日の放課後。
ここに来た当初の陰鬱な気持ちはどこへいったのか、私は幼い少女のように胸を弾ませ、来るべき時に向け、心持を改めるのだった。
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寮にある自室の扉を開け、中に入ると急いで開けたばかりの扉を閉める。
あの後、午後の授業が始まる時間ぴったりに教室へと辿り着いたおかげで、私とアシェリーのやり取りを見ていた者達からの、無遠慮な質問や高圧的な揺さぶりは避けることができた。
常に、どちらが上でどちらが下かを意識しているクラスメイト達のことだ、私の家の話と婚約を破棄された話は、彼らにとっての人を蔑むための恰好の材料となるだろう。
もともと庶民の出で、なおかつ成り上がり者であった私のことをよく思っていなかった者も多い。
そんな彼らからの直接的な干渉を避けられたのは、アラン・ダーシーという後ろ盾があったことに他ならなわけだが……。
「起こるかも分からないことを心配してもしょうがない、か」
全ては私の妄想であってくれ、と心の中で願いながら、私は明日の準備に取り掛かった。
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