縋る思い
「こんにちは、グレイシス様」
「ああ、昨日ぶりだ。君も昼食をこの場所で?」
「え……。ええ、はい」
などと答えておきながら、私は何も持ってきていない。
どうして見栄なんか張ってしまったのだろう。一目瞭然で、両手には何も持っていないと分かってしまうのに。
「それはよかった。僕も今日は、誰かと一緒にご飯を食べたい気分だったのだ」
「そうだったんですか?」
「ああ。稀に、そういう時がある」
日の光のせいだろうか、昨日の幻想的な雰囲気とは打って変わって、青年に人間味を感じられる。それでもやはり、目を引く容姿であることに変わりはないが……。
そんなことを考えながら、私は目の前に立つ彼の顔を見つめていた。
「僕に何か?」
「いえ、特に……」
「そうか」
そう言って彼は、昨日と同じ場所に座ると、行儀良い手つきで手に持っていた袋を開け始める。
どうしよう……。正直に昼食を持ってきていないことを告げて、この場を立ち去ろうか……。
確かに、何かに縋る思いで会えることを期待していた自分がいたのは事実だが、実際に出会ってしまうと、それはそれで戸惑ってしまう自分がいるのも事実だった。
「あの、私」
「そうだ。良ければ君も一緒にどうだろう?」
「え?」
そう言って彼の手から差し出されたのは、丁寧な包装が施された四角い箱のようなもの。
「いいん、ですか?」
「ああ。僕はそんなに多くは食べられないから。……そう言っているはずなのだが、何故かいつも多く作られてしまって。君さえよければ」
「あ、ありがとうございます」
そう返事をして、私は彼の場所から通路を挟んで隣側、昨日と全く同じ席に腰を下ろす。
手渡された包み紙と箱を開けると、中にはサンドウィッチが入っていた。意外な食べ物に驚いたが、よくよく考えれば、こういったテーブルも何もない場で食べるには最適な食べ物である。
「いつもここで昼食を?」
「いや、そんなことはない。今日は、ここに来たらまた君に会えるかもしれないと思って来てみたのだ」
そんなことを何の恥じらいもなく呟いてから、青年は食事を続けるのだった。
えっ……。まって、今、の言葉は、そんなにさらりと言えること……なのだろうか? いや、でも会えるかもしれないと思って来るなんてことは、誰にでも経験があるはず。そう、例えば教員に何か聞きたければ会えると思って会いに行くわけだし、決して珍しいことではない、のだろう。
「そうですか」
「君は? どうしてここに?」
「私は……少し静かになりたかったんです」
ここに来れば会えるかもしれないと期待して、という喉まで出かかった言葉を、適切ではないと判断した私の頭は冷静に切り捨てていく。もう会うことはないと思っていた人に会う機会を、自らの手で作ってしまっただけでも浅はかだというのに、更にこれ以上の綻びを生むことがあってはならない、と。
「そうか。それは、昨日の話に関係しているのか?」
「そう、ですね……。昨日までの状況よりも、事態がより深刻だったことに気付かされた感じです」
「なるほどな。家が没落して、そのせいで当てにしていた婚約が破棄なった。それ以上に深刻な話は、なかなかなさそうなものだが」
「それが、あったから困っているんです――――」
そこから私は、今日アシェリーから聞かされた話と、それによって自分の中で導き出された結論を、彼に話した。
「あくまで推測の域は出ませんが、余りにもことの運びが円滑すぎるのと、展開の早さに違和感を覚えまして……」
私が一通りの説明を終えると、青年は食事を終えた手を顎に添え、何かを思案している様子を見せる。そして私に向き直り、不思議なことを言うのだった。
「君はその話の内容だけで、そこまでの結論を導き出したのか?」
「そうですが……。何か変なことでも?」
「いや……。自分が渦中にいるというのに、その冷静さを欠かない姿勢に感心しただけだ」
そんなことはないです、と返事をしようとして我に返る。
確か、この話は友人のものとして彼に説明していたはずでは……?
「ゆ、友人の話ですので、直接私には関係のないことですから……だから冷静に分析出来たのでしょう」
「あー、そうか。そういう話だったか」
これはもう、完全に誤魔化しきれていないのではないだろうか。その事に薄っすら気付いておきながらも、どうしても友人の話として譲れない気持ちが先行していた。
「さて。では話を、君が導き出した推測へと戻そう。僕の意見を言ってもいいかな?」
「良ければ、お聞かせ願います」
「メルヴィン嬢、君から聞いた状況から判断すると、その結論に間違いはないように思う。
ただ不思議なのは、そこまで気づかれないほど慎重に進めていた事柄を、なぜ最後の一手で焦ってしまったのか、という点だ」
最後の一手で焦ってしまった――――。
「と、言いますと?」
「本来なら、婚約破棄を言い渡した当日に、別の者に婚約を申し込むなどという行為は、軽率ではしたないと揶揄される可能性がある。そんなリスクをわざわざ冒す必要があるのか? 少なくともそれまで、誰にも気付かれないよう慎重に動いていた者達に」
「ないですね……」
実のところ、そこまで思い至らなかったのが本音だ。
私から得たわずかな情報だけで、そこまで手の内を読めてしまえる青年に驚きつつ、私は彼の話に耳を傾ける。
「つまり、その者達には事を急ぐ必要があったのだろう。リスクを承知の上で」
「何か差し迫るほどの出来事など、今までにあったでしょうか?」
「そうだな……。例えばだが、公の場において婚約者を紹介する機会があった、とか……」
青年の言葉を聞いて、私には1つだけ思い当たる節があった。
それは、あの時のアシェリーが言い捨てた言葉。
――今度の定期舞踏会にアランはあたしと行くことになる。
「定期舞踏会……」
「それは確か、学園の生徒全てが集まり催されるという、年に数回の行事……だったか?」
同じ学園に在席していながら、生徒、更にはその家族さえもが重きを置いている定期舞踏会に対し、余りにも知識がなさすぎる青年のことを不思議に思いつつも、私は概要を説明した。
「年に2回ほど開催されます。この催しの目的は、学園の生徒が将来立つであろう社交の場に限りなく近い状況で、マナーや立ち居振る舞いを学ぶことです。けれど長い年月の末、その本来の目的はすでに形骸化しつつあり、今となっては本番の社交場と同様に重要な顔見世の場となっています」
「それが開催されるのはいつだ?」
「今日から数えて3日後です」
「だとすれば、急いだ理由はそれかもしれないな……」
真剣な表情で考え込む青年の横顔を見る。
なぜ彼はそこまで私の話を信用し、更には一緒になって熟考までしてくれるのだろうか。
彼は誰にでもそうなのだろうか。誰にでもこのように、親身になって話を聞いてあげるのだろうか。
私は今、自分が直面している状況を一瞬忘れ、そして我に返り、また目の前のことに集中するのだった。
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